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第31話「大英雄」

 帝国からの襲撃を受けて今後の方針を改めて決めたいときに、手合わせなどに興じるべきか否かという葛藤はあった。だが、これもナミルの協力を得られる好機。なにより、実を言えばアーシャの強さを見てみたい気もしていた。


 ナミルの大英雄。アーシャ・ハサンは二十三歳にして首長の座を前首長から力ずくで奪い取り、あまつさえ砂漠地域の紛争地帯において、総勢三千人ほどの相手を、たった三百にも満たない兵を引き連れて死傷者なく制圧。その中心で大暴れして、記録に語らせれば単独で千人は殺害した怪物だ。


「広い稽古場じゃのう。思う存分暴れられそうじゃ」


「余の目指す国は騎士による平穏の統治だ。そのために鍛錬は欠かせぬと思い、こうしてソリッシュ城の稽古場を、なによりも重要視して造らせた」


 正式に騎士団を設立するために、まずは帝国からの脱却を目指したので、それぞれが不在の期間も長く稽古場も静かだ。本格的に使われるのは、もう少し先になるかもしれないという話を聞いてアーシャもネストルも呆れた。


「馬鹿だなあ、お前は。帝国と戦おうというときに誰も鍛錬を積んでおらんのか? アイシスやクイヴァがいなければ壊滅していたに等しいではないか」


「愚か者じゃ、愚か者。民を守る兵士が守られる側になってどうする」


 返す言葉もない、とモリガンは縮こまって申し訳なく思う。クイヴァとアルテュールが駆け付けなれば今頃は死んでいたし、アイシスがいたからこそ都市の半分は救われた。自分たちの防衛力が、あまりにも欠点であったと反省する。


「まあ過ぎた事など考えても仕方ないよ、モリガン。実際に参戦してくれた騎士たちのおかげで死傷者は殆どでなかったわけだからさ」


「私もそう思います。小都市といえども、数人で守れる場所ではありません。よく持ちこたえてくれました。だからこそ私たちも救えたのですから」


 様々な武器が種別に入れられた籠から、アーシャが細い槍を取って、床にコンコンと叩いて頑丈さを確かめながら────。


「下らぬ。生き残ったからとて敗者は敗者。傷の舐め合いは死んでからやれ。生きているのなら死ぬ気で鍛えろ。それが出来ぬのならば、ここで死ねばよい。吾らはてめえら如き、いてもいなくても良いのじゃからのう」


 穂先をアイシスに向けて睨みつける。剣聖ともあろうものが間の抜けた顔だと内心で非難して、実力を見るというよりは見せつけるつもりになった。


「本気で来い、剣聖ブリオングロード。てめえがいながら、なぜ帝国如きに窮地に立たされたのかを今一度、吾が思い出させてやろう」


「……わかりました。ですが怪我をしても責任は取りませんよ」


 アイシスは勝つ気だ。大勢相手ならいざ知らず、彼女は決闘において負けた事がない。剣を握れば誰もが天才だと称えた。だが、それも井の中の蛙でしかない。籠から自分の身の丈に合った剣を手に取り、いざ構えて勝負が始まった瞬間に理解させられた。それも圧倒的な差で。


 いくら剣を振っても、アーシャは打ち合うどころか全てを最小限の動きで躱しながら、槍の石突で脇腹を強く打ち、怯んだ隙に槍で足を払って転ばせた。あっという間の制圧。気づけばアイシスは穂先が眼前に突き付けられていた。


「ハッ、威勢だけは良いのお! じゃが剣聖の称号を授かったわりには大した事のない奴よ。この程度で騎士とは恐れ入ったわいのう!」


 からん、と捨てられた槍が床を転がった。一方的な勝負ではあったが退屈はしなかった、と彼女は満足げに、休憩用の椅子にどっかり腰掛けた。


「のお、ネストルよ。てめえもやってみりゃどうじゃ、アルインの雄牛の名は年老いても健在だと風の噂で耳にしておるぞ」


「フッ、儂は遠慮しておこう。既に前回の手合わせで負けておる」


 座っていたアーシャが驚いてがばっと椅子から立ち上がった。


「馬鹿を言うな! こんな雑魚にてめえが負けるはずなかろう!?」


「雑魚とはなんです、雑魚とは。私が勝ったのは本当です」


 負けた事実への悔しさから、ふくれっ面で返したアイシスに対して、アーシャはギッと睨んで強い舌打ちを送った。


「ハッ、アルイン公国はいずれ吾にとって最大の敵国となろうと思っていたが……。こんなガキに負けるようでは、てめえも老いたのう」


「悲しいが歳には勝てんのだよ、アーシャ。お前もいずれ分かる」


 口は悪いアーシャだが、内心ではアルインの雄牛とまで呼ばれた勇猛な騎士であるネストルの強さを聞けば聞くほど惚れたものだ。それが、目の前の老人はまるで死期さえも悟ったかのような雰囲気さえあるのが腹立たしかった。


 今や自分の方が強いとは分かっていても、かつて憧れさえした男の姿には、残念だと思わざるを得ない。


「あの。それなら私と一戦交えて下さいませんか、首長様」


 いきなりクイヴァが名乗りでる。アーシャが嫌そうな顔をした。


「なんで吾が騎士くずれの面倒を見ねばならぬ。……おっ、それなら」


 ちょいちょい、と自分の側近二人を呼びつけた。


「ラシド、ハシム、てめえらのレベルならネストル以外の稽古はつけられるじゃろう。滞在する三日間、相手をしてやれ。できるじゃろう?」


 命令に背く事はあり得ない。実力主義のナミルで彼女の言葉は絶対だ。彼女の言葉に側近の男、ラシドとハシムは静かに頷く。


「仰せのままに、アーシャ・ハサン様」


「我らにお任せください」


 また椅子に座ったアーシャは自慢げにふふんと鼻を鳴らす。


「では、これが吾らからの贈り物と思え。てめえらを帝国の剣さえも折る戦士、あるいは騎士として鍛え上げてやろうではないか」

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