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第29話「新時代のために」

 突然の襲撃はモリガン陣営にとって大打撃だったが、小さいといえども城塞都市はうまく機能して被害は抑えられた方だ。都市外周も含めて兵の殆どは傷を負ったが死傷者はほぼなく、非戦闘員であった民も誰も命を落とさなかった。


 エトネン河まで来れば、大勢の人々が怪我の手当てをしたり励まし合っている。誰も俯いて悲しんではいないが、背中に大きく乗った疲労に襲われていた。


「我らがネストル公王陛下、お帰りなさいませ。現状、我が兵に負傷者なし。フィッツシモンズ兵の消耗は激しく、重傷者多数。処置は済ませました」


 報告を聞いて、満足そうにネストルは頷いた。


「ご苦労。河川沿いの残りは全員撤退か?」


「は……。現在は残党が隠れていないか周辺を捜索しています」


「わかった。儂が次の指示を出すまで待機、警戒は怠るな」


「承知いたしました。失礼致します」


 圧倒的。まさにそれ以外の言葉が出てこないほどの快勝。


 かつてアイシスは聞いた事がある。『アルイン公国は絶対に自分たちから宣戦布告はしない』。それは彼らが戦いを好まないからではない。強き者が弱き者を服従させる必要はないという絶対的な君臨者の思想を持つからだ。


「(帝国がなぜ彼らと同盟を結んだか分かった気がする。彼らの土地は海沿いに面しているから欲しがる国も多いはずなのに、これまで侵攻を受けても勝利してきた理由が分かる。『鉄拳』の力なぞなくとも十分なほどに強いんだ)」


 列強でも帝国は随一と言われていたが、実際にはアルイン公国ほど闘争に秀でた国はない。彼らはただ黙って席を譲っているにすぎず、だからこそ同盟国という形で均衡を保っている。


 だから誰もがアルイン公国がいずれ弱るのを待っている。その首が晒され、いつでも牙を食い込ませられるような、その時を。


「おう、こっちだな。皇女よ、怪我の具合は?」


 医療班の乗った船の甲板で仲間の騎士たちに囲まれて心配されるモリガンが、ネストルに呼ばれて青白い顔をあげた。


「大公殿……。余ならば問題ない、踊ってみせようか」


「クッ……ハッハッハ! 腹を押さえながら言う事か!」


 戦闘中に腹を剣で刺されたが、奇跡的に致命傷とはならなかった。多少の訓練が効果を示してくれたのだとモリガンは力強く笑ったが、気分は良くない。今にも意識を失いそうな気配さえあった。


「どうせ、こんな事になるだろうとは思っていた……。生きている事が不思議なくらい、今は運命を感じてる。余はまだ死なぬ、とな」


「随分と大きく出たもんだ、小娘。相変わらず父親とは真逆だな」


 フィッツシモンズ領において騎士の国を創るという理想まではよく知らずとも、兼ねてより皇帝との不仲を知られるモリガンは、何度かネストルと会食をした事もあり、目を掛けられていた。純粋に理想の自分であり続けようとする姿には感心さえした。話が纏まれば全面協力という話も、実のところあれこれと彼女を試してみたくなっただけで、建国と聞いて、それはもう期待に胸が高鳴った。


 彼女は磨けば光る原石だ。嫌な予感がしたときから『これは自分も出陣せねばなるまい』と予想して、アイネスたちの出発からすぐに後を追った甲斐があった、とネストルは自分の勘の鋭さに衰えがないのを自慢げにする。


「今さらだが、よくぞ来てくださった、大公殿。歓迎の席を用意したいところではあるが、見ての通りだ。もてなす余裕さえなくなってしまった。耐えはしたが、ここから立て直すのは大変になる」


 モリガンは唇を噛んで俯く。まだ来ない、という慢心はしていなかった。だが籠城戦であれば時間は稼げると考えていた。想定外だったのは皇帝直属の暗殺部隊コラーキが動いた事。彼らは闇に紛れて行動するのを得意とするため、誰かが彼らを手引きしたのか、予想以上に侵入を易々と許してしまった。


「公爵は、余との利害関係の一致で、事が済むまで裏切らぬと思っていた。だが奴は我々を生贄にして皇帝との距離を詰めるための土台と考えておったようだ。……見る目がない、と言わざるを得ない」


 項垂れる姿にネストルが呆れて息を吐く。


「困ったのお。お前に見る目がないのだとしたら、協力してやった儂までそうなってしまうだろう。これからはお前たちの騎士の国という夢を支える剣となるために帝国兵まで追い払ってやったのだぞ? そう落ち込むでない」


 ドン、と大きな手で胸を叩きながら、彼は豪快に言った。


「アルイン公国は儂を始めとして、全ての者がお前のために尽くすであろう。誰が為に剣を捧ぐかは、その者の裁量次第。我らアルイン公国の騎士は、その心に秘めた剣を今しばらく、お前たちのために捧げようぞ!」


 既に帝国へ牙を剥いた以上、公国側が歴史上初めての宣戦布告とも取れる行動に出たとも言える。いまさら引き返す道などなく、ただ前に進むのみであるならば、公国は命を賭して新たな時代を築くのを良しとした。


 彼の宣言には、船に乗っていた公国の騎士たちも頷く。


「モリガン卿、僭越ながら申し上げますが、彼らは実に信頼に足る人々です。厳しい状況の中でも私たちと共に歩もうと手を差し伸べて下さるのであれば、これを取る以外の選択肢などないのではないでしょうか」


 アイシスが付け加えて背中を押すと、それまで暗い表情だったモリガンが、息苦しそうにしながらも顔をあげて、にまっと笑う。


「……ああ、本当に。頼りにさせてもらっても構わぬのか?」


 弱々しく差し出された手をネストルが握って返す。


「もちろんだ、皇女よ。お前たちの創る未来、共に歩ませてもらおう」

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