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第28話「素晴らしい日」

 友を救うために、命を捨てても構わない覚悟で突っ込む。包囲網の一点突破を狙ったアイシスの素早い身のこなしには誰も追いつけない。手負いの騎士たちを狙っている暇などあるものか、と誰もがアイシスを止めようと必死になった。


 だが止まらない。止められない。


「ハッ……なんだあれは。本当に同じ人間か?」


 アリアンロッド騎士団を率いていた頃をよく知っている。彼女はやはり『剣聖』と呼ばれるに能う強さだ。シャナハン皇国での戦争において英雄視されるだけの腕を持ち、かつて共に在った騎士団の面々を相手に、たったひとりで押している。とても情人とは思えない。


「ちっ、俺がジッとしているわけにもいかんか……!」


 放っておけば戦力を削られるに留まらず、敵を取り囲んでおきながら逃がしたとあっては、皇帝への評価は大きく低下する。なんとしても避けたいオーエンは、しびれを切らしてアイシスを止めようと走った。


「何をやっている、グズ共! 剣聖はこちらで抑える、さっさと他の連中を仕留めろ! ここで逃がして帝国へ戻れば、ただの恥では済まんぞ!」


 アイシスが初めて剣を受け止めた。オーエン・マクリールも公爵家という肩書きでブリギッド騎士団に在籍しているわけではない。その手腕は確かなもので、アイシスも油断できない。


「くっ……! ここまで来て邪魔をするな、オーエン!」


「ついに呼び捨てか! えらくなったものだ、アイシス!」


 時間を取られている場合かと早々に決着をつけたくとも、戦場での呼吸の仕方を心得た男の流れるような巧みな剣の扱いには、完全に目を離す事ができない。時折妨害してくる騎士たちを仕留めるくらいは出来ても、懸命に退路を得ようとするクイヴァたちの手助けはできずにいる。


「このままだとお友達が死ぬぞ、剣聖様よ!」


 わずかな隙でクイヴァたちを振り返ると、確かに彼女たちは限界だ。もうジリジリと追い詰められ始め、あと一歩といったところで足踏み状態。取り囲まれて、今にも殺されそうな状況まで来ていた。


────だが、これまで耐え凌いできた時間が、彼女たちにとうとう救いを与えた。遠くから帝国兵の「公爵閣下、撤退の指示が!」と叫ぶ声。何があったのかと全員が戦闘を中断して視線を流す。


「何があった、報告しろ!」


「た、大変です! エトネン河の部隊が────」


 兵士の言葉を最後まで聞く必要もない。大通りへ向かってくる軍靴の音。その先陣を切る豪奢な羽織を纏う大きな体躯の老人の姿に、誰もが察した。


「ガッハッハッハ! 儂らも混ぜろ、若いの! 帝国の剣とやらの切れ味を見せてもらおうではないか! 死にたい者は前に出よ!」


 駆けつけてきたのはネストル率いるラロス騎士団の最精鋭。たった三百名ほどだが、個々の強さはまさしく一騎当千の鍛え上げられた者たち。既にエトネン河沿いを侵略しようとしていた帝国兵たちを蹴散らした後で、なおまだ彼らは有り余った勢いを帝国の騎士団にぶつけようとした。


「て、撤退だ……! 撤退しろ、十分に成果は挙げた!」


 オーエンは戦闘の続行は不可能だと判断した。帝国の剣である全ての騎士団から兵を集めて動員し、傭兵まで担いだが、それもモリガンが集めた雑兵を相手と想定しての事だ。市街地や草原での戦闘においてラロス騎士団は、どの国と比べても最強級。百戦錬磨の兵士たちは、かつて数千人という敵を十分の一の兵力のみで制圧した恐れ知らずの怪物揃いである。


 帝国が兵を必要以上に失えば、国力の低下は著しい変化を悪夢とする事になる。既にエトネン河沿いの兵も撤退しているだろうと踏んでの後退は正しい判断だ。それが事実上の敗走になるとしても。


「ぬははは! 下らん連中だ、ああも簡単に逃げ出すとはな!」


「公王陛下……どうしてここにいらっしゃるのです?」


 アイシスたちが驚く中、彼は大きな指を振りながら。


「なあに、言ったであろう。嫌な予感がすると。此度は協力してやると言った以上、儂も久方ぶりに血が騒いでな。皇女と話がしてみたくなった!」


 嫌な予感はよく当たる。想像通りの光景だったので驚きもせず、コノールの市民や手負いの騎士たちの救助にあたり、帝国兵まで軽々と蹴散らしてみせた。結果、帝国に牙を剥く事にはなったが、遅いか早いかの違いでしかない。


 ネストルはその場でフィッツシモンズへの全面的な支援を誓った。


「あ、あの、モリガンはどうなったんですか、陛下」


「おう、クイヴァ・マッカラムよ。無事だ、現在は手当を受けている」


 ホッと胸をなでおろす。モリガンも自衛のために剣術を学んでいたのもあって、致命傷は避けられていた。


「それより、お前たちもはやく手当てを受けた方が良い。儂の船に医療班を乗せて待機させてある。行こう、話は今でなくとも構わんだろう」


 日頃から鍛えているだけあってクイヴァたちも平気そうな顔をして耐えているが、肉体的な疲労に加えて、それなりに大きな傷を負っている。ゆっくり話すのは手当を受けてからでも遅くない。


「行きましょう、クイヴァ。肩を貸します」


「ありがとう、マ・シェリ。君には迷惑かけるね……」


「友人なのですから当然でしょう。もっと頼ってください」


 クイヴァは弱々しく笑って、頭を寄せた。


「本当に頼りになる友達を持って幸せだよ。今日はすごくいい日だ」


「こんなに怪我をしたのにですか?」


 心配そうな表情をみせたアイシスに、クイヴァはうん、とうなずく。


「生き残ったんだ。今日ほど素晴らしい日は他にないさ」

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