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第26話「燃えあがる小都市」




 現実は非情だ。常から人々を貶める事もないが、かといって救いもしない。ただあるべき時間を経て、彼らの営みを眺めた。たとえ殺戮が起きたとしても。


「到着です! フィッツシモンズが見えてきました!」


 明け方、起こしに来た衛兵と共に寝起きの余韻に浸る事もなく眠気など吹き飛んで、アイシスとクイヴァは船首に向かった。見えてきたコノールに、やっと帰ってきたと言う喜びを抱いたが、瞬間、それは崩れ去った。


「おかしいな。水門が開きっぱなしだ」


 これまで紳士な立ち振る舞いを見せてきたアルテュールの声が重くなる。必ず閉じられているはずの門が開いたままなのは不自然だ。彼はすぐさま「梯子を持て! 様子がおかしい!」と指示を飛ばす。ずっと胸のうちにあったモヤモヤした感覚は、今はっきりとコノールが窮地にある事を理解させた。


「ブリオングロード卿、先に降りて下さい! 私よりもあなたの方がモリガンのところへ早く辿り着けるはずです!」


「分かりました。しかし、いったい何が起きているのです?」


 まだはっきりと分かる距離ではないが、喧騒が聞こえてくる。アルテュールは険しい表情を浮かべた。


「おそらく帝国軍の襲撃があったのかもしれません。これまで情報が漏れた痕跡はありませんでしたが、絶対とは言い切れないですから」


「……しかし、ライアン卿はまだ動きはないと報告していたのでは」


 彼は首を横に振って小さく肩を落とす。


「鷹のように獲物を睨むのは、なにも皇帝派だけとは限りません。最初から協力する気などなかった者が、そのように振舞った可能性はあります」


 暗に公爵一派を指しているのがアイシスにも分かる。大貴族ともなれば独自の調査が行えるだけの人材を持っていておかしくない。皇帝に告げ口をして兵を動員した可能性は大いにあった。


「船を停めろ、急げ急げ急げ! 縄梯子を下ろせ、橋を架けるのは全部片が付いてからだ! 状況の把握とコノールの人命を最優先だ!」


「ラロス騎士団、これより戦闘開始すると後続へ通達だ!」


 既に都市内はあちこちで火の手があがり、悲鳴と怒号が響く。剣戟が聞こえ、河川周辺はまだ静かな方ではあるが、他の船を守ろうと騎士たち数名が兵と共に市民が船に乗るのを守ろうと戦闘の真っただ中だ。


「降ります、ランカスター卿! クイヴァはどうしますか!?」


「私はモリガンを探す! どうやら河川区域にはいないみたいだ!」


「わかりました、では後ほど中央広場で合流しましょう!」


 先んじて梯子も使わず、アイシスは船から飛び降りた。一見細く見えるが、その身のこなしには誰もが目を見張った。身軽に受け身を取って転がり、彼女は戦闘中の騎士たちの間に割って入って、十数名いた敵を瞬く間に切り伏せたのだ。


「おお、これはブリオングロード卿!」


「あなたは会議にいた……」


「セオドロスだ。助かったよ、都市は酷い有様だ」


「何が起きているのです?」


 セオドロスは疲弊しきった様子で頭を掻く。


「実は、もう昨夜から戦闘が起きてる。都市外周にいた奴らが闇討ちされて気付くのが遅れたが、篝火の合図を送ってくれたおかげで防衛準備を整えられた。なぜ連中が入り込んだのかまでは分からないが……」


 コノールの入り組んだ構造は森のように複雑で、暮らしている人間でなければ同じ場所に出る事もしばしばある。いくら敵が夜襲を掛けたとしても簡単に制圧できるほど兵士も弱くない。どちらも状況を把握するに手間取る中、モリガン陣営は地形を把握できている分、遊撃戦に長けた。


 おかげでアイシスたちが戻るまでの時間を稼ぐ事が出来たのだ。


「お前たちが帰って来てくれて心強い。どうか他の連中も助けてやってくれ。河川周辺の船には、もう大勢の非戦闘員が乗り込んでいるが、まだ脱出しきれていない者たちもいるはずだ。不甲斐ない事を言うようだが、任せても構わないか」


「もちんです、セオドロス卿。私たちはそのために帰ってきました」


 嫌な予感の的中はあったものの、事前に増援として公国の精鋭であるラロス騎士団まで貸してくれたネストルのおかげで戦況は一気に変化していく。


 複雑化されたコノールの地形を記憶しているアイシスは、セオドロスと別れて、他の市民の脱出を円滑にするために戦火の中を駆け抜ける。通路は狭く、二、三人が並んで進むのがせいぜいの場所では、単独行動でも真正面から敵を受け、その人数も絞る事ができたおかげで戦闘にも無駄がない。


 狭い場所では家屋に籠って迎え撃つ戦い方を選んだ者たちが、今かと助けを待っている状況だが、火炎瓶を投げられて追い込まれている者もいた。


「くっ、ここまでとは……! 退け、無抵抗の市民まで手に掛けるなど断じて許される行為ではない! 騎士としての恥を知れ!」


 突然現れたアイシスに素早く切り伏せられて、帝国兵にもどよめきが広がった。どこから来たのかも分からない。だが、ひとりが彼女に気づくと「見ろ、叛逆者アイシスだ! 奴の首を討ちとれ!」と叫ぶ。


 彼らの制服には剣の紋章が刻まれている。────アリアンロッドだ。


「そうか、よく見れば知った顔もある。……残念だ、騎士としての精神など、貴公らにはなかったのだな」


 分かってはいた事だ。いくら騎士の在り方を説いたところで、彼らは平民あがりで金を稼ぐ事が目的で配属された荒くれたちに過ぎない。アイシスやフェルトンがいたからこそ統制が取れていたが、今や彼らは傭兵団とそう変わらない。戦争において功績を挙げれば褒賞が出るゆえに、それを目的として戦っていた。


「(これではブリギッドに見下されても仕方ない。弱者にまで平気で手を掛けるようになってしまえば、それこそ品性がないと罵られても当然だ)」


 アイシスの戦いぶりはまさに戦神が如き無双ぶりだった。鍛え上げられたアリアンロッドの者たちでも、彼女の前には手も足も出ない。実戦経験を積んでいても、クイヴァのように戦略に長けた者がいないので、実直に正面から挑むばかりだ。腕で劣っている以上、勝算はどこにもない。


「くっ、て、撤退しろ! いったん下がって態勢を立て直せ! 公爵閣下にも状況報告をしなくては……!」


 アイシスはあえて追いかけない。モリガンの計画通りに人命を最優先に考えて家屋の中にいる仲間に「もう大丈夫だ」と呼びかけた。


 不安に彩られた様子の母娘。それを守って重傷を負った騎士一名を何人かの兵士が庇っているのを見て、ぎりぎり間に合ったか、と胸をなでおろす。


「ありがとう、ブリオングロード卿! 俺たちはエトネン河に向かうよ、武運を祈る。他の奴らもなんとか逃げ出せてるといいんだが……」


「お任せを。急いでください、怪我人が手遅れになる前に」


 彼らの逃げ道は確保された。次の場所へアイシスは走り出す。


 いくつもの曲道を通り、見知ったパン屋の前を通った。破壊の跡が痛ましく残っており、胸が苦しくなった。あの優しい店主は無事だろうか。そんな事を思いながら声が聞こえる方へ向かおうとして────。


「っ────!?」


 突然、物陰から飛び出してきた黒ずくめの兵士に襲撃を受け、間一髪でナイフを躱すも脇腹がわずかに切られて血が滲む。


「(問題ない。表面だけだ。……だが、これは困った事になったな)」


 目の前に現れたのは騎士団の制服を着ているわけでもなければ、兵士が身に着けるような兜も胸当てもしていない。武器はナイフのみ。


「知っているぞ、皇帝直属の暗殺専門部隊……コラーキ隊だろう。なるほど、敵の侵入を許したのは貴公らの仕業だな?」


「フ、物知りな小娘だ。だが我々を相手にどこまで戦えるかな」


 背後にも二人現れたのを気配で気付く。彼らは普通の騎士よりも、ずっと強い。過酷な訓練を受けてきた集団だ。アイシスは冷静に剣を構えて────。


「貴公らに手間取っている時間はない。来い、すぐに片をつける!」

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