ネストルの返事が来るまでは、衛兵たちから話を聞いて待った。アルイン公国の特産物の魚は何なのか。町の暮らしは快適かなどの情報収集を兼ねた雑談をしているとき、クイヴァはふと尋ねた。
「君たちは傭兵討伐をした事はあるのかい?」
「あるとも。フォドラの戦いほどの激戦は経験しちゃいないが」
公国の人間にとって、フォドラの森を拠点に選んだ傭兵団の強さたるや、とても近寄れたものではない。特に遊撃戦を得意とする者たちを相手に、彼らは不慣れな森の戦いで大きな被害が出るのを避けた。
土地勘や戦力では傭兵団には劣らない。だが先に森に陣取られたのでは、蜘蛛の巣にわざわざ引っ掛かりに行くようなものだ。それを帝国のクイヴァ・マッカラム率いる第三の剣・デルバイス騎士団によって一人残らず討伐された。
目の上の瘤だった傭兵団の壊滅は公国にとっても利益をもらたす偉業だ。帝国側で起きた動乱で逃がさないための包囲網を置いたが、来ている騎士団の名を聞いて当初は『勝てるはずもない』と思っていた。ところが飛び込んできた報せは帝国側の勝利に終わったという事実。騎士団にも甚大な被害があったとは聞いても、勝利にまで結びつける状況への適応力の高さは、公国でもいっとき話題になった。
「デルバイス騎士団ってのは俺たちの間でも『情報収集に最も長けた騎士の集まり』って話だったから、あの傭兵団を潰すなんて思いもしなかったよ」
「……そうか。君たちにはそう映ってるんだね」
自分の腕をぎゅっと掴んで抑え込む。感情としては間違っていなくとも、ネストルにはこれが良くない感情であると分かっていたから。
「あんたがクイヴァなんだろ、すごいよな。俺たちは白兵戦は得意だが、ああいう場所で戦うのは慣れてないんだ。あんたのおかげで公国の人間は誰も悲しまずに済んだ。本当にありがとう。大きな声じゃ言えないが、尊敬してるぜ」
衛兵たちの笑みを見て、伝えられた言葉に改めて思い知った。
自分の背負ったもの。選択した後悔は救った命への冒涜だったのではないか。仲間たちが命を懸けて救った人々の未来を、自分は『仲間の方が大事だった』と言っているようなものだ、と。
「ありがとう、新米だった頃の事を少し思い出したよ」
騎士たるもの弱き者の刃となり、盾となるべし。最初に騎士として剣を掲げたときに誓わされた。そして、それは騎士たちの本懐となった。忘れていた。戦いにおいてアリアンロッドほど絶対的な勝利を収めた事はないが、死傷者が出たのはクイヴァの経験では初めてだったから。
仲間よりも大事なものが、先に逝った者たちが抱えていたものが、なんだったのかをずっと忘れてしまっていた。やっと思い出せたのだ。
「大変遅れました。ネストル様から許可が降りました。また謁見の間を使うのは面倒なので執務室に呼べとのお達しですが……」
「構わないよ、私たちは。正式に謝罪ができるならどこでも」
公王の機嫌を損ねる原因がなんだったのか分かり、クイヴァの表情も凜とした普段の彼女に戻っていた。歩きながら小さく肘でコツンと突いたアイシスが、横目に「良い顔になりましたね」と声をかけると、満面の笑みを浮かべた。
「ああ、ただ自分のために騎士になったわけじゃない事を思い出せて良かった。私らしくいって、それで駄目ならランカスター卿には後で謝罪しよう」
執務室の前まで来て、表情は緊張で固くなる。次こそ挽回の機会は得られない。ここできっちり決めて公王の協力をモノにするぞ、と気合を入れた。
扉を三度叩く。『入れ』と声が聞こえてから扉をゆっくり開いた。
「失礼します、公王陛下。先ほどの事をお詫びしたく……」
「わかっておる」
ネストルの視線がアイシスに向かう。余計な事を喋るなよとでも言いたげで、クイヴァの失態は彼女が自ら挽回すべきものだと示す。
「私が間違っていました、陛下。……私は騎士の本懐とは何かを忘れ、失った仲間の数ばかり数える事でせいいっぱいでした。亡き友たちのみならず、彼らが救った命さえも軽視していたのではないか。そう考え直し、先ほどの件で陛下に不快な思いをさせてしまった事を深く反省し謝罪させて頂きたく────」
ずっと資料に視線を落とすだけだったネストルが手で言葉を制す。
「もうよい。少し静かにしてくれ、この資料には目を通したい。……やれやれ、休む暇もないわい。誰も儂が王である事に疑問のひとつ抱かぬ。いつまでも生きておらんと言うても、奴らめ、まるで理解しておらんと見えるな」
判を押したら次の書類を手に取った。クイヴァもアイシスも、彼が話し出すまでジッと言葉を待つ。紙の擦れる音と判を叩く音が響き────。
「二十年前、儂の息子が死んだ」
ぽつりと彼は仕事をしながら語り始める。
「アルイン公国の首都周辺に度々現れていた傭兵団の居場所を突き止めて討伐に向かったところ、それが罠だったと分かった。既に出陣していた我が子は出来が良く、周囲からの人望も厚かったのもあって指揮を執るほどだった。それが命取りになろうとは、流石に儂も見抜けなんだ」
傭兵団が拠点としている場所と思しき、小さな村跡で、ネストルの息子・ニカノルが率いる騎士隊は戦闘不能となって撤退を余儀なくされた。しかし彼らをそう易々と逃がすわけもなく、傭兵団は追撃を行った。
馬も疲弊しきった状況での逃走が上手くいくはずもなく、当時指揮官だったニカノルは反対を振り切って、自らが
「……最後に言い残した言葉が何かと聞いたとき、奴は言ったそうだ。『俺にとっては、そなたたちも我が民のひとりである』と。儂は悔しくてたまらなかったが、奴がそう言ったのであれば誇りに思う」
書類をそっと置き、椅子から立ち上がって窓の外を見た。
「我らが守るべきは弱き民だ、クイヴァよ。騎士とはそのために命を捧げる覚悟を持って戦っている。彼らの擲った命は誰のためであったか、今一度胸に刻むがよい。そしてなにより、笑って誇ってやれ」
振り返ってネストルは爽快な笑顔を向けた。素晴らしき王だとアイシスも傍で聞いていて、胸が温かくなる。私利私欲で動く皇帝リーアムとは真逆の、民を愛して、民に愛される真の王であった。
「さて、それでは此度の話をやり直すべきだな。今は儂も忙しい。すぐには相手になってやれぬが、晩餐を用意する。続きはゆっくりしようではないか」