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第21話「交渉決裂」

 手合わせは、その場で行われた。突発的で、場所を移すなど期待が高まっているときには邪魔な行動でしかない、というネストルの感情論だ。誰も非難もしなければ拒否もしない。むしろ、誰もが興味をそそられた。


 公王ネストルもかつては『アルインの雄牛』と呼ばれた豪傑。年老いた今にあっても武勇がまぐれや誇張の類でない事はすぐに分かる。鍛え上げられた肉体は若さすら感じられた。ひとつひとつの行動が重たく、だが機敏。多くの騎士と剣を交えてきたアイシスの中でも、圧倒的のひと言に尽きた。


「見事な腕前だ、ブリオングロード! 聞くに勝る強さだ!」


「光栄です、陛下。ですが────本番はここからです」


 それまで剣を受け流していた時間は終わる。繊細で、鞭のようにしなやかで瞬発力のある動きをネストルはおろか、他の誰も目で追うのが精いっぱい。いや、追う事さえギリギリだった。


 手にしていた剣が宙を舞って背後の床に突き刺さったのを振り返ったネストルは、しばらく動けなかった。固まっていた。驚いたわけでも、動揺したわけでもない。ただ打ち負かされた事に心が震えた。


「見事だ、アイシス。お前ならば敵が数百を超えていようとも、ひとりで立ち向かう強さを持つだろう。あの者・・・に比べれば未熟とは思うが」


「ありがとうございます。ところで、あの者というのは……?」


 刺さった剣を抜いて衛兵に返すと、楽しかったとばかりの無邪気な笑みを浮かべながら玉座に腰かけて、ひと息つく。


「あの小娘が、お前をここへ向かわせた理由には容易な想像がつく。経済力のみならず、兵力としても帝国に劣らぬ証明だろう。そのためには我が国における最もたる戦力────『鉄拳のエイレネ』に並ぶ者が必要だ」


 先に聞いていたので驚きこそしなかったものの、アイシスはずっと気になっていたので「その鉄拳のエイレネとは何者なのですか」と尋ねる。


 彼は話してもいいか考えてから、うん、とひとつ頷いて────。


「今は、お前より強き者。今や国は多く分散しているが、なお列強のみが与える四つの称号のうち『鉄拳』の名を冠する誇り高き騎士。名前以外は一切素性は分からぬが、儂の心を許した友である。お前にも会わせてみたかったものだ」


 クイヴァが小さく手を挙げて、緊張の笑みで、少しでも情報を握っておきたいという気持ちで「その鉄拳ですが、普段は国にいらっしゃらないのですか」と問う。それにはネストルも残念そうにため息を吐きながら返す。


「あれは不思議と戦のあるところに現れる。ゆえに、そうそう公国には戻って来んのだ。理由は分からぬが『血と煙の臭いがする』とか言っておったが」


 エイレネが国へ戻るのは必ずと言っていいほど賞金首を連れて戻ったときだけだ。アルイン公国は長らく平和で、『いつか戦争のときは必ず戻る』と言い残して、ここしばらくは会っていないと彼はひどく肩を落とす。


「儂もそう長くは生きて待てんと言っておるのだがな。……ま、それゆえに、今日は僥倖であった。よもや剣聖と手合わせ出来る日が来るとは」


 アイシスが再び深くお辞儀をして応えた。


「私も公王陛下のかつての名は聞き及んでおりました。お会いできた事に加え、手合わせまで願って頂けるのは光栄の極みでございます」


「ガッハッハ! そうかしこまるな、もっと楽にせい!」


 ばしっ、と肘置きを叩いて彼は真剣な眼差しを使節団に向けた。


「お前たちも成果を挙げるためとはいえ恥を忍んで遥々二度もよく訪れた。本来であれば無礼だと追い返すところであるが、その心意気に免じて許す。急いで帰る用がないのであれば、今日ほどは滞在していくが良い」


 公王の粋な計らいに衛兵たちも笑顔を浮かべる。アイシスとクイヴァ以外は連日の働きの疲れもあって、やっと少しだけ休める、と嬉しそうだ。


「ブリオングロード。それから傍にいる二人は残れ。それ以外は空いている客室に案内して丁重にもてなしてやれ。剣聖との手合わせの礼をしろ」


 傍仕えの衛兵ひとりを残して、他は全て使節団の案内に出払った。残されたのはアイシス、クイヴァ、そしてアルテュールの三人だ。


「うむ。ではここからが、お前たちの本番となろう。────現状では、やはり帝国の敵に回るリスクが高い。連中如きに敗戦するとは思わんが、弱ったところを他の列強に目をつけられては困る。それに見合う提案をしてみせよ」


 いくらアルイン公国が海沿いに広い領土を持つとはいえ、大国の中で最も小さい。戦力も首都含め、辺境領にのみ留まり、最重要拠点以外に対しての防衛能力は低い。虎視眈々と領土拡大の機会を窺っている他国への牽制力がなければ、たとえ剣聖がいても手を貸すメリットはないと判断された。


 それに異を唱えたのがアルテュールだった。


「他国との戦争に関しても我々は武器防具などの提供、および介入を視野に入れております。また、こちらには剣聖であるアイシス・ブリオングロードだけでなく、こちらのクイヴァ・マッカラムも非常に優秀な人材である事を推します」


「……ム? クイヴァとは、あの梟のクイヴァか!」


 ネストルは名を知っている。これにはクイヴァ本人も驚いて目を丸くした。だが、知られているのも当然と言えば当然の事だった。


「覚えておるぞ。二年前、フォドラの森の戦いで先陣を切った若き女騎士がいたと聞いている。名を梟のクイヴァ。遊撃戦においても鋭い洞察力で騎士団を統率し、かのマルヴ傭兵団を打ち破ったと聞いておる」


「……ハハ、ありがとうございます。知っていただけて光栄です」


 本当は嬉しくない。光栄だとも思わない。彼女にとってフォドラの戦いは敗北に等しかった。悪名高い傭兵団とはいえ、それまで誰一人と仲間を脱落させた事はない。甘く見積もった結果が招いた事態だ。優秀だと褒められ、見事だったと言われ、多くの人々から賞賛されても、一度だって受け入れられた事はなかった。


 そんな彼女の愛想笑いをネストルはさらりと見抜く。


「儂は誇った方が良いと思うがね、クイヴァ。そこな剣聖のように気高い騎士であらんとするならば光を見よ。野に枯れた花のように俯くな」


 彼はとても残念そうに玉座から立ち上がって、衛兵にひらひらと手を振った。


「話はここまでだ。楽しませてもらった礼はするが、やはり同盟を結んで独立を手伝うなど、今のままでは笑止千万。モリガンにそう伝えよ」 


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