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第17話「解れていく心」

 ぞろぞろと急ぐように会議室を後にする騎士たちを見送って、アイシスはぽかんとする。会議はあっさり終わって、コノールでの五日の滞在から、今度はアルイン公国での交渉役に選ばれた。誰も彼女が選ばれた事に疑いを持たないどころか、むしろ期待さえしているふうに笑って話しながら部屋を出ていったので、流石に驚いて言葉も出てこない状態になっていた。


「いやあ、あっさり決まったね。しかもアルイン公国とは……」


「ええ、帝国と同盟を結ぶ国相手に交渉するなんて」


 驚く二人にモリガンがクッと笑った。


「同盟とは名ばかりの関係だよ。隣国のくせに条件の如何に関わらず武装時の越境を許さないなど、ほぼ冷戦と言ってもいい。アルイン公国にも、世界に四人しかいない最高戦力のひとり────『鉄拳』と呼ばれる者がいるそうだ」


「それってどういう騎士なんだい、モリガン。私もウワサに聞いた事はあるが、その素性はまったく知れない『秘匿された騎士』なんて名もあるだろ?」


 ウム、とモリガンも深く頷く。


「そなたの言う通り、実のところ全く情報がない。曰く、その騎士は元からどこの誰なのか、公国側でさえ知らぬという。ある日突然ふらりと現れ、指名手配されていた各地の傭兵団を身ひとつで壊滅してまわったとか」


「なるほど、賞金稼ぎってわけだ。それがどうして称号の授与なんか」


 多くの場合、賞金稼ぎは自分の身が明らかになる事を望まない。身分が割れると、逆恨みや障害の排除を目的として命を狙われる事があるからだ。


 しかし、その騎士はやはり素性が殆ど明らかになっておらず、分かったのは名前だけ。出身地も、年齢も、どんな外見をしているのかさえ誰も知らないので手出しをされる心配もないのが大きいのだろうとモリガンは見立てた。


「真実など知るまいが、名声は時として富を生む。下級騎士やただの傭兵ならば使い捨てられようとも、流石に最高戦力ともなれば莫大な報酬を積んででも味方につけたい。もし余が雇う立場であったとしてもそうするだろう。となれば、素性の晒されない賞金稼ぎにとってはこれ以上ない収入源だ」


 どこの国へ行っても最大戦力と数えられる上に、どこにも属さない騎士なら誰もが欲しがる逸材だ。アルイン公国は最大の名誉と莫大な富を与える事で他国への牽制と武力に対する抑止力として繋ぎ留めている。


「ゆえに我々は彼らが味方してくれる理由が必要だ。でなければ帝国と争う理由が彼らにはないから、手どころか指一本さえ動かしてはくれぬ。だから国境沿いにあるフィッツシモンズ領を新たなる国とするため、奴らには我々を脅威であると認めてもらわねばならん。ゆえにアイシス、そなたという戦力は何よりも彼らに耳を傾けさせる材料に他ならない、最高の交渉役と成り得るだろう」


 交渉の席に着かざるを得ないよう牽制しても、アルイン公国の大公を納得させ、首を縦に振らせるのは容易ではない。モリガンが自ら赴いたとしても変わらない。可能性があるとしたら、それはアイシスの存在だけだ。


「ではそなたらも準備ができたらエトネン河まで来てくれ。詳しい説明は、そなたらを見送る前にさせてもらうゆえ、余も他の者の手伝いに向かう」


 席を立って会議室を後にするモリガンに続くように、アイシスたちも着替えなど必要なものを適当に見繕ってカバンに詰め込むために家へ戻った。


 たった数日ですっかり馴染んだのか、すれ違う人々に笑顔で挨拶をされるとアイシスも気分が良かった。近所のパン屋は「出かけるんなら持っていきな」と主人の男が紙袋いっぱいに詰めてくれた。


「よろしいのでしょうか、こんなにも頂いて」


「そりゃそうさ! ここは助け合いが大事な場所なんだから!」


「……ふふっ、そうですか。ではありがたく」


 どれもこれもアイシスとクイヴァが好んで買うパンばかりだ。嬉しさに足取りも軽くなる。かつては関りも持たなかった。守るべき民を守りながら、その素顔に迫ったりはせず、いつもどこかで一線引いていた。


 こんなにも温かい言葉を掛けてくれる人々がいたのだ。もっと町に馴染んでいれば、帝都でも毎日が楽しく過ごせたのだろうか、とさえ思う。


「助け合い……良いですね。戦場以外でも、こうして互いを思いやれる気持ちがあるというのは。とても温かい気持ちになります」


「あぁ、君は本当に騎士が過ぎた人間だったというか。凝り固まった考えが解れていく気分は、きっとすごく爽やかなものなんだろう?」


 アイシスは満面の笑みで頷いた。


「ええ、とても。ここなら、違う私の生き方を見つけられそうな気がします」


「それは良かった。私も君を連れてきて正解だったと安心したよ」


 いつも凛々しく、誰よりも忙しくかったアイシス。アリアンロッド騎士団を率いるだけで、彼女の心はいつだって置き去りだ。帝国への忠誠だけで生きていた彼女が、やっと人間らしく笑うようになったのは、クイヴァもうれしかった。


「じゃあ鞄に荷物を詰めて、もらったパンでも食べながらエトネン河に行こうか。あまりモリガンを長く待たせると後が怖いからね」

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