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第16話「使節として」



 コノールで過ごす数日は、久しぶりの息抜きになった。特にこれといった仕事はなく、モリガンに頼まれたのは都市内の巡回。地図を頭に叩き込むためには直接歩くのが一番手っ取り早い事に加えて、彼女ならば小さな異常も見逃さないだろうというクイヴァの進言があったからだ。


 事実、彼女は数日の間に起きた騎士同士の言い争いに割って入ったが、いずれもアイシスを女だと甘く見て痛い目に遭った。そのおかげか、追放は免れたものの数日はまともに働けそうにもなくなっていた。


「余の見込み通りだな。実に良い働きぶりだ」


「ありがとうございます。ところで、今日はどのような仕事を?」


 滞在五日目になり、城の会議室に呼び出されたアイシスは、その場に集められた騎士たちの注視を浴びて緊張気味だ。彼女は実力派の騎士として迎えられており、アリアンロッドの騎士団長だった事は既に知れ渡っている。


「ウム、今日は余の友人たちが各地から戻ってくる日だったのでな。せっかくだから会議に参加してもらおうと思ったのだ」


「そうですか……。では挨拶をした方がよろしいですね」


 席に座る前に、彼女は胸に手を当てて背筋をビシッと伸ばす。


「元アリアンロッド騎士団所属、アイシス・ブリオングロードです。現在は……その、言い難いのですが、帝都ではお尋ね者となっています」


 くすくすと笑い声が広がったが、決して嘲弄するような雰囲気ではなかった。彼らの思いはひとつ、『あの皇帝のやる事はやはり汚い』というものだ。皇帝の悪癖は既に知れ渡ったもので、ひとりの騎士は言った。


「そのあたりは帝都でも賛否が分かれていますよ。あの皇帝は過去にも女中に手を出して、随分な騒ぎだったと噂を聞いたものです。しばらくして話自体を聞かなくなったので、揉み消したんでしょう」


「やれ、あの老人は業の深い男よ。使い物にならなければ剣聖すら捨てるとは、冗談にしてはタチの悪い話だ。放ってはおけませんな」


 彼らの口から出てくるのは皇帝に対する嫌悪ばかりだ。モリガンが集めたのは帝国の未来を憂い、現皇室の在り方を問う者たち。ゆえに、その場所に立ち続ける事を拒んで、新たな国家の建立を目指す皇女の考えに賛同した。


 だからか、お尋ね者となっているアイシスに対しても『モリガンが気に入ったのなら、真摯な人間であるはず』となんの疑いも持っていない。むしろ剣聖が味方に加わったのは、大きな収穫と思っている。


「この通り、そなたは今や我らの同志だ。席に着いて今後についての会議を始めよう。とりあえず、使節に向かった者たちの成果から聞かせてもらおう」


 騎士たちは秘密裏に、それぞれの理由を作って帝都を離れて、新たな国家の建立後の同盟締結のために使節として各国を訪れていた。今日が、その成果を報告する会合であり、彼らはあまり明るい顔をしていない。


「アルイン公国の大公からは良い返事を得られませんでした。介入に足るだけの理由がない、と断られました」


「砂漠のナミルも同様の返事でした。いずれもリスクを考えての決断かと」


 思わしくない報告が相次ぎ、流石のモリガンも笑みが消える。


「ううむ……。余も多少の想定はしておったが、ここまでとは……」


 他国が介入を拒むのは見当のついた話だ。モリガン率いる勢力は小都市にのみ集中しており、フィッツシモンズ領に集めた兵力程度ではリーアム率いる帝国軍を前に成す術もないと判断された。


 私兵を雇って戦力を強化するにも、帝国のアリアンロッド騎士団とデルバイス騎士団は特に実戦に優れた騎士たちが集まっている。ゆえに使節を送ったほぼ全ての国々は、支持を表明して介入する際に自国への不必要な被害も考えられる以上、表立って協力するとも言えない。モリガンたちが敗れるだけで、自分たちが背負う事になる大きなリスクを避けたかった。


「仕方あるまい。これも余が不甲斐ないだけの事。ただの一度の交渉失敗如きで下を向いてはおれん。こちらには十分な戦力があると伝える必要がある」


 彼らの視線は、またアイシスに集まった。


「……? 私がどうかされましたか?」


「アイシス、君が使節として他国に赴くんだよ」


 隣に座っていたクイヴァが苦笑いを浮かべるが、他の面々としては彼女以外に考えられなかった。ひとつでも勢力のある国を味方につけられれば、他も黙ってはいられない。そこに有益なものがなければ国は動かず、逆に介入するに足るだけの条件があれば、簡単に天秤を傾けるものだ。


「ウム。余と皆の意見は合うらしい。あとはアイシス、そなたの判断だ」


「私は構いませんが……、本当に大丈夫なんでしょうか?」


「むしろそなたでなければ駄目だ。剣聖の支持表明は影響が大きいからな」


 たとえ逆賊のレッテルを貼られていようと、彼女が戦場に立ってシャナハン皇国の城をたった少数の精鋭のみを率いて制圧したのは、まさに伝説のようとして多くの国家を担う者たちの記憶に新しい。


 その剣聖が皇帝リーアムではなくモリガンの下で剣を掲げるとなれば、賛同する可能性は大いに考えられた。ただの言葉ではなく当人が現れるなら、なおさらにどちらが優勢に傾くかを明確にできる手段となれる。


「では、さっそくアルイン公国への使節として準備を進める。アイシスとクイヴァ、それから……」


 居並ぶ騎士たちは誰も優秀だ。その中で最も彼女が信頼を置けると判断した、若き騎士を選んだ。


「アルテュール。そなたに指名する」


「────アルテュール・ランカスター、拝命承りました」


 黒髪に茶色い瞳の青年が席を立ちあがり、胸に拳を当てながら目を瞑り宣言する。帝国での儀礼は胸に手を添えるが、拳を当てるのは知る者ぞ知る古い作法。彼の魂は、古き良き庶民に寄り添う帝国にあるという意志の表れだ。


「なれば此度の会議はひとまず終わりだ。早急にアイシスたちをアルイン公国への使節として送るための準備を進めよう」

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