御者台に座って、顎で荷台に乗るよう促す。既に荷が積んであり、後は出発するだけになっていた。他に行く当てもないアイシスは彼女の提案を断り切れずに乗り込んで、毛布を一枚取ってクッションの代わりにする。
「いやあ、すまないね。無理やり連れて行くみたいで」
「私は別に。ですがあなたは? デルバイスの団長が離れるのは……」
「君は知らないと思うが、これくらいはいつもの事だよ」
デルバイス騎士団は主に帝都内での事件の調査を取り扱うが、時には数名が帝都を空けて各地での盗賊団、傭兵団の動向を調べ上げ、これを討伐するといった事がある。なのでデルバイス騎士団はアリアンロッドの次に実力を求められた。特に少数精鋭で挑む場合は、騎士団長直々の出征はよくあった。
「ここ最近まではアリアンロッドも戦争の事後処理とかで忙しかっただろ。だから私たちも程々に出番が多くて、これくらいなら目立たない。大丈夫、面倒な仕事は全部副団長に押し付けてきたから!」
愉しげに笑う姿に、よく知りもしない副団長が今頃は咽び泣いて仕事をしているのだろうと思うと、なんと哀れな人だと同情する。
「にしても、その堅苦しい喋り方は本当にどうにかならないのかい? 私としては、同期の君とは、もっと仲良くなりたいんだけどな」
なぜそうも距離を近づけようとするのか分からず、アイシスは困惑する。昔からそうだ。騎士団に加入が決まったときも『同期だね、所属は違うがよろしく頼むよ』と言われて、それから事あるごとに話しかけられた。
彼女の美しさは全騎士団内でも群を抜いていた。顔の良さといい、背の高さといい、スタイルが良くて実力もある。全ての女性騎士の憧れ。なのに彼女はどれだけ大勢に囲まれていても、アイシスを見つけたらすぐに駆け寄った。
「どうして私なのですか、クイヴァ。確かに同期というのは多少特別に感じるかもしれません。同性も私たちだけでしたね。ですが所属も違い、顔を合わせる機会も減っていったのに、なぜ?」
素朴な疑問。関わる理由などない。それぞれの騎士団で役割が違うので、情報交換もときどきにしか行われない。会議で顔を合わせる事もだ。なのに、いつもクイヴァはアイシスを気に掛けるようにつき纏った。
「独りぼっちだったんだ」
「……え?」
「確かに周りに人は集まってくるけど」
手綱をぎゅっと握り締めて、アイシスは笑顔を浮かべる。
「あれは皆が私という人間に抱いた『こうなりたい』という憧れとか、『こうあってほしい』という希望を見ているだけだ。どこに出しても恥ずかしくない優秀なマッカラム伯爵。そんなイメージを私に押し付けて、自分達の見たいものだけを見て信じ込む。おとぎ話の主人公でもあるまいに」
マッカラム伯爵家の令嬢であった頃は気楽だった。誘われた茶会に顔を出して情報交換をしながら、両親の役に立てれば良かった。何の不自由ない暮らしは穏やかで、両親も無理に結婚を勧めてくる事もなかった。そんな時間が、まだまだ続いていくのだと思っていた。なのに、ある日突然、激流に浚われた。
たまさか商談があるといって帝都を出ていた両親は、豪雨の中を帰ってくる途中で事故に遭い、遺体となって帰って来た。中にはクイヴァへの贈り物がいくつもあって、さぞや楽しみにしていたに違いなかった事だろうと、誰もが彼女への強い同情を示した。だが、もうそれどころではなかった。
マッカラム伯爵家が、大切にしていたものが、音を立てて崩れていくのを感じた。彼女は慌てて、皇帝に宛てた嘆願書を送った。それが異例の『女性が爵位を継承する』という出来事を生んだ。
しかし彼女は孤独だった。屋敷にはたくさんの使用人がいたが、両親のいない隙間は彼らにも埋められない。空虚な日々が続き、食卓では食器の音が響くだけの残酷な時間。眠って、翌朝にはいつも挨拶を交わした笑顔がない。
鏡を見てやつれた自分を見たときに、これではいけないと騎士団へ入る事に決めた。何かひとつでも変わるかもしれない。大勢の中に飛び込んで、空虚な時間から少しでも遠ざかろうとした。
『あなたが同期なんですね。よろしく頼みます、クイヴァ』
ただ、そんな何気ないひと言がクイヴァを救った。近寄ってくる貴族たちは同情するふりをして取り入ろうとするか、あるいは財産を掠め取ろうとしているだけ。先輩女性騎士たちは『とても美しい彫刻のよう』と褒めそやしたが、背負った孤独には興味もない。自分なら埋めてやれるという言葉は腐るほど聞いた。自分の両親を否定された気分だった。そんな簡単にできる事か? と腹が立ち過ぎて、もはや何の感情も抱かなくなった。
みんなそうだ。私には興味がない。だから私も、誰にも興味はない。囁かれる愛も語られる友情も、意味はない。私の居場所は私だけしか知らないから、知ってるふうな言葉を並べる人たちには『そうだね』と相槌を打っておけばいい。どうせそのうち興味を無くすんだから。
そう思っていたときに現れたアイシスは今までの誰とも違った。身分に微塵も興味がなく、同期だから互いに頑張ろうというだけのエールを送って、彼女は実力主義のアリアンロッドに配属された。
いつもなら『ああ、マッカラム伯爵。またお会いしましたね』とでも言って擦り寄って来そうなものだが、彼女はちらと見掛けたら微笑んで小さく会釈をするだけ。自分に憧れも希望も持たない。ただの同期。本当にそれだけで────。
「覚えてるかな、私のデルバイス騎士団長就任祝いのパーティに来てくれた夜。一緒に少しだけテラスで話をしただろう?」
「ええ、覚えています。確かあの夜、あなたは────」
グラスの酒を空っぽにして、ほんのり赤い顔をしたクイヴァ。
『君は私の事をなんとも思わないのかい?』
────そう質問された事を思い出す。何気ない会話のひとつだと思った。おめでとう、とか。ありがとう、とか。本当にそれくらいの些細なもの。
だからとても単純に答えた。アイシスにとっては普通の事だったから。
『あなたに何かを期待してるように見えるほど私は小さく見えますか?』
そう。アイシスは純粋で、ちょっと
「あの日から、私は君にどう映ってるかな。ほんの少しの期待もできそうに思えないほど小さく見えているかい?」