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第3話「闇討ち」

 その後の議論は円滑に進み、これといってアイシスの退任について振り返る事もないまま会議は終わった。誰も必要以上に問いはせず、どちらかと言えば関わり合いを持たないようにしているふうであった。


 時間は過ぎていき、アリアンロッドの騎士たちにもアイシスの退任を伝えた。何故去ってしまうのかと問われる度に同じ答えを繰り返し、彼らが引き留めるのも固い決意で断って、気付けば夜がやってきた。


 名誉ある剣聖の騎士退任は、式典を以て終わりとする。それまでは皇宮で過ごすよう言われて彼女は従った。必要なものは皇宮で揃える事を勧められ、今は借りた客室で、ゆったりと窓の外を眺めて過ごしていた。


「……上手くいって良かった」


 皇后に謀殺されたときの事を思い出すと背筋がゾッとする。衛兵に囲まれ、何を言っても皇帝には聞き入れてもらえなかった。冷めた鋭い視線が脳裏に焼き付いていて離れない。忠誠を誓ったはずの相手に見捨てられた心細さは、他の何にも代えがたい苦痛だったような気がして目を瞑った。


「(思い出してはいけない。私はもう騎士ではなくなるのだから)」


 帝国の剣でもない。誰かの憧れた剣聖でもない。これからはアイシス・ブリオングロードという個人として生きていく。


 十分な貯蓄はある。しばらくは遊べるだろう。なくなったら、そのとき考えればいい。剣の才能を活かせば何とかなると自分を信じた。


「少し散歩でもしよう」


 部屋にずっといては退屈だ。たまにはゆっくり皇宮の造りでも眺めようと部屋を出る。騎士団の制服ともお別れが近いのが少しだけ名残惜しい。


 マクリール公爵の手助けもあって、皇帝に引き留められないよう言い訳する必要もなかった。会議を行う日に退任を願ったのは正解だったと足取りは軽い。誰も通らない広い廊下が、なんとなく自分だけの世界のようだった。


「ブリオングロード卿、こんな夜更けに何をしているんだね」


「マクリール公爵閣下ではございませんか」


 一人だけかと思っていたところへ現れたのはオーエンと部下数名。武装している姿に、相変わらずブリギッド騎士団は着飾っていて綺麗だなと思った。


「昼間は助けて下さってありがとうございました。閣下のおかげで、皇帝陛下に退任を認めて頂く事が出来て嬉しく思います。これからどちらへ?」


「何、簡単な仕事が入ったのだ。皇帝陛下からの勅命ゆえ断れなくてね」


 足音が背後から迫って、アイシスは振り返った。誰も見覚えのあるブリギッド騎士団の面々。訓練にさえ消極的な貴族たちの中にあって数少ない好戦的な者たち。彼女は途端に嫌な予感が頭を過った。


「閣下……。これはいったいどういう……?」


「見たら分かるはずだが。察しの悪い奴だな」


 剣を抜いて構えられ、その切っ先の全てが自分に向けられたアイシスの顔は、月明かりの下でいっそう蒼ざめて見えた。


「冗談が、冗談が過ぎます、閣下! 何故!?」


「分からないのか? 本当に察しが悪くて吐き気さえしてくるよ」


 肩を竦めて小馬鹿にするようにフッと鼻を鳴らす。見下す冷たい瞳にアイシスは顔を引きつらせて、呼吸が浅くなった。


「陛下はな、ブリオングロード卿。お前が自分のモノにならなければ価値もないと思うような男だ。六十を過ぎて歳も考えず女好きと来た。だからお前に目を掛けてやっていたのに、靡くどころか出て行こうと言うんだから逆鱗に触れたんだ」


「だから殺すと、ただそれだけの理由で……?」


 信じられなかった。信じたくなかった。だが、オーエンは言った。


「お前はあまりに強すぎた。いずれ裏切る可能性もあると思うと、あの男は怖ろしいんだろうよ。まあ、私から見ればお前ほど忠誠心に生きた人間もいない。そんな可能性はまったくなかったと断言してもいいが」


 丸腰では戦えない。囲まれたアイシスに手立てはない。ゆっくり詰められて、あざ笑うオーエンの表情に涙が零れそうになる。せっかく助かったと思ったのに、やっとこれから新しい人生が、新しい自分が見つけられると信じていたのに。


「違う、私はこんな……こんなところで終わるなんて……!」


「終わるんだよ。使い道のなくなった猟犬はそういうものだ」


 逃げ場のない状況で剣が振り上げられた、直後────。


「退けい、小僧共! 儂の目の黒いうちに蛮行など許すものか!」


 突然の大声が廊下に響き、同時に月明かりがきらりと剣を輝かせた。突っ込んできたのはフェルトン・レイノルズ。歴史ある侯爵家の当主にして、剣術ではアイシスにも劣らない実力を発揮する男。


 戦場を同じく経験していても、最前線にいた男相手にブリギッド騎士団の荒くれを集めたとはいえ烏合の衆と変わらない。瞬く間に道を切り拓き、驚くアイシスの腕を掴んで引っ張った。


「行きましょう、団長殿。いえ、ブリオングロード卿!」


「はっ、はい! 恩に着ます、レイノルズ卿!」


 とにかく走った。視界も悪く、そして万が一に備えてか、他にも配置されていたブリギッド騎士団を相手にフェルトンは戦闘を繰り返しながら、アイシスを連れ、隙を突いて中庭に逃げ延びた。


「ふう……! 四十も過ぎれば、昔のようには行きませんな……!」


「レイノルズ卿……。無理をしないで下さい、もう十分です」


 また彼に救われた。もういい。せっかく得た機会だったが、彼だけならば逃げられる。騒ぎになったところで逆賊として皇帝の一存で隠蔽されるだけだ。どう扱われようが、それが自分なら耐えられると思った。


「何を仰います、ここまでしておいて今更引き下がれるものか」


 怒りに満ちた声。熱の籠った瞳。彼は本気でアイシスを救いたかった。不穏な気配を感じて周囲を警戒していたところ、ブリギッド騎士団が闇討ちの計画を立てていたので、急いで武装を済ませてきたのだ。覚悟の上だった。


「ふむう、しかし逃げるのにも限度があるな。丸腰では心もとない。アイシス卿、これを持って先に行って下さい」


「あ……もしかして、逃げる途中に敵から武器を?」


 フェルトンが深く頷いて優しく笑みを浮かべた。


「これでも帝国の剣、アリアンロッドの副団長でございますから。私はここで連中を引きつけてから脱出しますので、どうか。あなたに倒れられては、こちらの負けに等しい。ここは、このフェルトンめに任せて頂ければ」


 戦場でも互いに背中を預け合って来た。どんなときでも相手の命を守る事を優先しながら戦って生き延びた。彼の言葉を信じて、アイシスは強く答えた。


「────ご武運を、レイノルズ卿。後で会いましょう!」

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