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第2話「意向」

 会議室の円卓には既に皇帝リーアムを始めとする、大貴族たちが席に着いて会議の始まりを待っている。空いた二席にアイシスとフェルトンが座った。


 彼らの厳かな視線は全て騎士団長であるアイシスに注がれていて、興味というよりは侮蔑するような冷ややかなものだ。彼女に対する尊敬など微塵もなく、どちらかと言えば畏れているとさえ言えた。ただの平民あがりの分際で、とは大きく言えるわけもない。皇帝が重用しているのだから失言には注意を払った。


 しかし、見下した視線は隠せない。


「(またこの視線……。やはり私では彼らの信用は得られないか)」


 もし騎士団長がフェルトンだったのなら、彼らも喜んで迎えただろう。元より歴史ある侯爵家の人間だ。他の大貴族たちに並んでも遜色ない。


 ではアイシスだとどうか。剣術の才能ひとつで成り上がった稀代の天才とは認めても、その身分から来る差はどうあっても埋められるものではなかった。『なぜこんな小娘が騎士団長を務め、皇帝にまで愛されるか』と疑念さえ浮かべた。


「お気になされるな、団長殿。普段であれば些か腹も立とう視線ではございますが、今日に限っては全てがあなたの味方となる事でしょう」


「うむ、卿の言う通りですね。彼らにとっては喜ばしい日になります」


 騎士団長という役職には若すぎるゆえに誰もが批判的だ。アイシス・ブリオングロードという超人的な強さを持った人間であるからこそ務まったものであり、それでもなお『やはり不適格だ』と考える者は多い。


 若いからこそ思慮に欠けるのではと言い、もしアリアンロッド騎士団が実力主義の傾向が強くなければ、彼女は瞬く間に蹴落とされた。あえて黙認されたのは皇帝による重用に加え、副団長にはフェルトン・レイノルズがいた事が大きい。実質的な統率は彼によって行われているはずだ、と。


 実際には彼はほとんど何もしておらず、采配は全てアイシスの判断によるものだ。戦場を駆け抜ける彼女に必要な助言などなかった。


「全員揃ったな。静粛に、私語は慎むように」


 小さな木槌で打撃板を二度ほど叩いて鳴らす。全員が揃うまでは時間を持て余して笑い合っていた貴族たちも、姿勢を正して議題を待った。


「さっそくだが、シャナハン皇国から得た領土の────」


「遮ってしまい申し訳ありません、陛下。議会を始める前にひとつ、伝えておかねばならない事があるのですが、構いませんでしょうか」


 普段は声も上げず、黙ったまま必要な時以外に話もしないアイシスが小さく手を挙げたのを見て、珍しい事もあるものだとざわつく。


「静粛に。……アイシス、そなたの話を聞こう」


「はい。先日、皇帝陛下から賜った称号を返却させて頂きたいのです」


 ざわつきが増す。今度はリーアムも目を見開いて驚き、言葉に詰まった。授けた称号──つまり『剣聖』の名を返却するというのは、騎士を退役して、ひとりの民として過ごす、皇室からの脱却に等しい。


 居並ぶ大貴族たちも、流石に喜ぶより先に困惑がきた。


「お、思ったより反応が微妙ではありませんか、レイノルズ卿……?」


 小声で隣の席に座る男を呼ぶも、彼も同じ気持ちで苦笑いをするだけだ。


「静粛に! 気持ちは分かるが、今は騒ぐときではない。なにゆえの判断なのかを問わねばならぬ。もちろん用意はあるのだろう、アイシス」


 彼女ほどの実力者を手放すのはあまりに惜しい。納得の行く説明がなければ皇帝の権限を以て騎士団に縛り付けようという魂胆だ。ここで適当な言葉を並べ立てようものなら、彼は簡単に見抜いてしまうと察する。


「……ひとえに自らの生き方を変えてみたいと思ったのです。なにより私はアリアンロッド騎士団を纏めるには値しない。血気盛んな彼らを統率するに、皆様がお思いになられているように私は若すぎるのだと思います」


 流れてきた視線に聞いていた貴族たちの何人かがゴホッと咳き込んだ。心当たりがあるが公に声を大にしては言えない者の気まずさをフェルトンは睨む。


「(滑稽だな。他者を見下すなど大貴族とは聞いて呆れる名ばかりの連中だ。団長殿が騎士団をやめたくなるのも当然と言ったところか)」


 過去の栄光を自分のモノだとばかりに振るって、領民たちの血税で贅沢をしているような者は、今に平民あがりの騎士に立場を脅かされると不安だった。彼女がやめてくれると分かってホッとしているのだ。


 何も反応を示さなかった者たちは『所詮は平民』と見下して相手にもしていないか、そもそも興味がないかのいずれかだった。


「その程度の事で、余の栄えある帝国騎士団をやめると言うのか」


 皇帝は彼女の行いに批判的な眼差しを向ける。アイシス・ブリオングロードは剣聖として、大騎士として、これからの帝国騎士団を支える柱になるはずだった。彼女自身の事も気に入っており、ここで手放すつもりはない。


 最初から何を聞いても難癖をつけて縛り付けようとした。


「お言葉を宜しいでしょうか、リーアム皇帝陛下」


 小さく手を挙げて物怖じせずに口を挟んだのは、若き公爵として知られるオーエン・マクリール。帝国第二の剣であり、貴族たちが多く所属するブリギッド騎士団の団長を務めている男でもあった。


「申してみよ、そなたの言葉なら耳も傾けよう」


「では僭越ながら、やはり彼女が若いという点には同意見です」


 彼は一瞬だけアイシスを見てから皇帝に向き直って────。


「既に帝国は大勝を収め、今後は他国も慎重になる事でしょう。それゆえにブリギッド騎士団所属の貴族たちは安心しきって、他の騎士団に対しても無礼なのは事実ですが、それらに対して彼女の威光はまったく役に立っておりません」


 平民出身というだけで、剣聖の称号を得たとしても評価が変わる事はない。その上、彼女が貧民街の育ちである事は誰もが知っている。だから『剣術の才能に偶然恵まれなければ』、『戦場以外では役に立たない女』と陰口を叩かれる事も多い。統率する身としてそれらを真に受けないのは良いのだが、関わるだけ時間の無駄だと相手にしなかったせいで、余計な諍いが生まれる事もあった。


 皇帝も事情については認知している。それ以上に彼女が惜しいからと縛り付けたい。ひたすら独占欲に従った結果だ。正せるとしたら最も発言力のあるオーエンしかいない。彼はそれを理解した上で助け船を出した。


「ですので私は彼女が騎士を退任される事に賛成です。そこで彼女の代わりにレイノルズ卿に騎士団長を担って頂くのはいかがでしょうか。彼女の直々の指名ともなればアリアンロッド、ブリギッドの双方が文句はないはず」


 他の貴族たちも顔を明るくする。彼の提案に乗る形ならば皇帝から咎められる事もなく、またレイノルズ侯爵家が騎士団団長になる事で各騎士団の安定化を図り、彼らを脅かしていたアイシスも剣聖の立場から退いてくれる、と。


「何より辞めたいという人間を無理に鎖で繋ぐような真似は皇帝陛下の評判を落とす形にもなりましょう。箝口令を敷いたところで、噂とは風に乗って流れていくものです。なにより帝国の民は現在、戦勝ムードの真っただ中で、特にアイシス卿を支持する者たちが増えているのが現状ですから」


 皇帝リーアムは、それに返す言葉を持たなかった。どうあっても繋ぎ止めておきたかったアイシス・ブリオングロードの鎖を解くしかなく、オーエンに腹立たしさは覚えても嫉妬のように責め立てたところで周囲への不信に繋がるだけだ。


 彼はひどくうんざりしつつ、表情にはおくびにも出さず騒がしくなった会議場を黙らせるために木槌を振り下ろして打撃板を強く鳴らす。


「……良かろう、アイシス・ブリオングロード。そなたの騎士退任を許す。では本日の会議が終わり次第、三日後までに支度を整える事。本会議においては通常通り意見交換に加わってもらう。────以上、この議論は終わりとする」

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