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第1話「別の生き方」





「騎士団をやめる? あのアイシス・ブリオングロードが?」


 訓練所の隅で、皆が立てられた丸太に木剣を打ち込んでいる頃、一汗流した後でアイシスはフェルトンに騎士団を辞めたいと相談していた。彼にはとても信じられないような話だった。


 なにしろアイシス・ブリオングロードは騎士団に入ったのが十八歳で、大騎士の称号を授かったのが二十二歳の時。それから最高峰の名誉である称号『剣聖』に至った二十六歳の春。


 領土拡大のために帝国へ宣戦布告したシャナハン皇国との戦争において、敵国の首都陥落を狙った遠征、『大征伐』で騎士団は見事に勝利を収めた。その中でも彼女はいくつかに分かれるドゥーンフォルト帝国第一の剣、アリアンロッド騎士団の団長を務め、最前線にて多大なる戦果を挙げてみせた。


 類稀な剣術の才能を持ち、次々と首都の防衛線を突破した最精鋭のブリオングロード率いるアリアンロッド騎士団は僅かな時間で城まで陥落させた。ゆえに彼女は剣聖の称号を得た。大陸全土において最も崇高とされる四つの称号のひとつだ。


「ありえませんな……。団長殿はこれからでしょう? 皇帝陛下にも目を掛けて頂いているようですし、あなた程の模範的な騎士もおりますまい」


「ありがとう。ですが既に決めた事です」


 一番に伝えたかったと言われてフェルトンも悪い気はしなかったが、いざ彼女が騎士団をやめるとなると寂しいものだと胸に穴が開いた気分になった。


「誰よりも剣術に打ち込まれ、先日まで『騎士とは皇帝に捧ぐ剣である』と新入りにも語られていた方が、騎士団をやめるなど驚きです。随分と大きな心境の変化があったようですが、もしや何か悩みでも抱えておられるのですか」


 心配されるとアイシスはやんわり首を横に振った。


「騎士でない自分というのが気になったのです」


「……ふむ。ま、構いません。この事は正式に発表するまで待った方が?」


「これから会議があるでしょう。そこで陛下に伝えるのが先です」


「さぞや肩を落とされる事でしょうな」


 剣聖の名を与えられたばかりで、これからの活躍に期待もあった。特に皇帝はアイシスをいたく気に入っており、簡単に手放すとは思えない。


 だが決意は固く、とても反対できるような雰囲気ではなかった。


「やはり卿は止めたりはしないのですね」


「止めた方がよろしかったのですかな」


「いえ、むしろ背中を押して貰えて嬉しいです」


 本音を言えば止めたかった。実力主義の第一騎士団、アリアンロッド。貴族中心の第二騎士団、ブリギッド。調査能力に長けた第三騎士団、デルバイスがあるが、ブリギッド騎士団は貴族の出身が多いために他の騎士団を見下す傾向が強い。そのくせ戦場では『自分たちでなくとも良い』と平民出身者が集うアリアンロッド騎士団ばかりが戦っていて、彼らは消極的な行動を取りがちだった。作戦から帰って来てもそうだ。戦果を挙げても『下民に譲ってやった』と上から目線で、荒くれのアリアンロッド騎士団は一触即発の状況も多い。いつ殴り合いになってもおかしくない。それを抑えているのが今のアイシスの存在だ。


「致し方ありますまい。団長殿がそう決めたのであれば、わざわざ引き留めたところで覆りもしないとは存じております」


「そうですか。やはり卿らしい答えですね」


 妙な事を言うと思いながら、おそらくそれは褒め言葉のつもりなのだろう、と頭を掻く。彼女は基本的に興味のない事が多いために表情が殆ど変わらず何を考えているか分からない。これまでは模範的な騎士として生きる事が目的のようにも見えた。にも関わらず突然、騎士団を辞めると言い出したのだから、なおさら分からなくなった。


「さあ、行きましょうか。私の今後を決める大事な会議ですから」


「フ、そうですな。手早く済ませてしまいましょう」


 本当の事をアイシスは話せなかった。話して信じてもらえるとも思えなかった。自分が既に未来で皇后の策謀によって自害する事になった、とは。


「(……しかし、何度思い出しても驚くな。まさか過去に戻ってくるとは)」


 間違いなく毒薬を飲んだ。あの日までが全て夢だったとは考えられなかった。大征伐より前に目を覚まして、最初こそ悪夢に違いないと思っていたのに、時間が過ぎれば過ぎるほど全てが経験した事だらけだった。だからか、自分の行動が変化した事で多少の差はあれども、概ね変わらない日々が過ぎていった。


 このままではまた皇后の罠に掛かって皇帝にも見放される。結局、どうして自分が皇后の不興を買ったのかも分からずじまい。それならいっそ騎士団を辞めてしまった方が気が楽なのではないか、ずっと今日の会議まで悩んでいた。


「(……決心が出来たのもレイノルズ卿のおかげだ、話して良かった)」


 皇后の謀略に対して解決に挑むかとも考えた。だがリスクが高すぎる。運よく今、自分は過去に戻って来たのだとしたら次はないかもしれない。


 そのとき、ふと死の間際にフェルトンの言葉を思い出した。


『騎士でさえなければ、違う人生があったでしょうに』


 違う人生とはどんなものだろう。アイシス・ブリオングロードは、自分の取り柄は剣術の才能くらいなものだと他に何を考えた事もなかった。だからなのか、いざ騎士でない自分を想像してみようとしたときに何も描けなかったのだ。


 ゆえに彼女は興味が湧いた。自分がしなかった事をたくさんしてみよう。きっと、それが新しい人生に繋がっていく布石になるに違いない、と。


「……ありがとうございます、レイノルズ卿」


「ん? 今、何か仰いましたかな?」


「いいえ、何も。そろそろ会議室です、私語は慎みましょう」


「そうですな。では皆様の驚く顔でも拝ませて頂きますか」

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