「なぜです、陛下! どうして信じて下さらないのです!?」
叫びがむなしく響く。両手を後ろ手に縛られ、皇帝の前で跪く女性の騎士。美しく長い金色の髪を銀のバレッタでひとつ結びに、吸い込まれるような青藍の瞳が哀しさを宿す。それを皇帝は冷たく見下ろした。
「アイシス・ブリオングロード。そなたが我が妻に毒を盛ったと本人が主張しておるのだ。証拠もある。心底がっかりさせられたと言わざるを得ない」
「そんな……。陛下、なぜ私を信じて下さらないのですか」
訴えかけても皇帝の冷たい眼差しは消えない。彼女を捕える衛兵たちも、皇帝の護衛も、宰相でさえ信じていない。なにしろ皇后は実際に毒を飲み、ひどく苦しんでいたからだ。なぜそうなったのか、アイシスは分からなかった。
帝国の剣として身を捧げてきた。立ちはだかる者は全て斬り伏せてきた。命令とあらば、たとえ小さな村であろうとも焼き払った。にも関わらず、彼女は裏切られた。守り続けてきたはずの帝国に殺されるのだ。
「ひ、酷すぎます、陛下……。これでは私は何のために身を捧げてきたのか……! どうかお願いします、もう一度調査を────」
「もうよい。戯言など聞きたくもない。目を掛けてやったというのに、やはり卑しい身分の出身でしかなかったか。栄えあるウィスカ帝国の騎士をよくも穢してくれたものだ」
なんと慈悲のない言葉か。二十七歳の誕生日。招かれた茶会で起きた悲劇。誰も彼女を救わない。救おうとも考えない。所詮は平民の、それもスラム街の生まれであったのだ、と蔑視するだけだ。
「……そうですか。もはや何も、何も言葉は届かないのですね」
愚かにも、愚かにも。信じた私が悪いのだ。帝国の繁栄だけを願い、誰よりも帝国に忠を尽くす者としての在り方を示し続けた模範的な騎士。だが、結局は使い捨ての駒のひとつに過ぎなかった。彼女は唇を噛み、もう言葉を発しなかった。
地下牢に押し込まれたとき、世界を心から呪った。なぜこんなにも苦しいのか。こんなにも悲しいのか。恨みばかりが湧いてきた。
処刑はすぐに執り行われるだろう。三日後か、あるいは五日後か。
「これはこれは、随分とみすぼらしい姿になってしまいましたな、団長殿。お労しい事、この上ない。誰があなたを慰められましょうや」
牢の前に立った髭面の男が、絶望する彼女を見下ろす。
「レイノルズ卿……。私は断じて毒など盛ってはいないのです!」
「だとしても、儂が助ける事はできません」
レイノルズと呼ばれた男は、悲しそうな笑みを浮かべて屈む。
「きっと処刑の際には多くの人々が聴衆としてやってくる。心優しいあなたの事だ、守ってきた帝国の者から謗りを受けるのはさぞや辛い事でしょう。……儂にはどうする事もできないので、せめてこれをどうぞ」
渡されたのは青い液体の入った小瓶だった。どろりとしていて、どこか陰気のある奇妙なもの。アイシスは受け取ったそれをジッと見つめた。
「毒薬です、団長殿。飲めばたちまち、あの世行きだ。ギロチン台で今かと振り下ろされる刃を待ちながら罵詈雑言を浴びる貴女を見るのは忍びない。だが誰に救えないのも事実。せめて自決なされてはいかがでしょうか」
ああ、そういう男であったな、と肩を落とす。感情的ではなく、性格に表裏がないハッキリした男だ。戦地では共に背中を預け合い、信頼を寄せた。彼は決して裏切ったりはしない。だからこそ無理なときはハッキリ無理だと言われるので、残念な気分だった。
「卿はこんな時でも冗談で励ましてはくれないのですね」
「……儂があなたに取るべき態度は、これで正しいと思っています」
珍しく声が震えているのに気付いて顔をあげると、彼は鉄格子を掴んで酷く腹立たしそうな顔をしていた。
「あの皇后がやったに違いない。嫉妬に狂ったのでしょうが、あまりにも用意周到がすぎる。すぐに調べさせたのですが、丁寧に痕跡まで消されてはどうしようもない。なんたる屈辱でありましょう」
フェルトン・レイノルズという男は感情的ではない。いつも理性的で、どこか一歩引いた立ち位置を選んでいた。そんな男が、初めて彼女の前に素顔を晒す。
────それだけでアイシスは心の底から救われた気がした。たった一人でも自分を信じてくれる誰かがいたのだと思えただけで、死ぬのが怖くなくなった。
「卿とは良い関係であったと誇れる事が何より嬉しいです。確かに、あなたの言う通りギロチン台に跪いて死を待つなど、私では耐えられないでしょう。これまで忠を尽くしてきたから……。だから────」
小瓶のコルク栓を抜いて、にこやかに言った。
「先に逝く事を許してほしい。卿には迷惑を掛けます」
青い液体は甘かった。綺麗さっぱり飲み干すと、言われた通りに意識が混濁し始めて、不思議にも苦しみを感じなかった。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。何が原因だったのか、まったく分からない。ただ自分は惨めにも罠に嵌められた。それだけが真実だ。
「……団長殿。騎士でさえなければ、違う人生があったでしょうに」
最後に聞こえてきた言葉に、それもそうだな、と笑みが零れた。
お前は才能がある。お前は騎士になれる。誰よりも立派な騎士に。そう言われ続けて、自分もきっとそうなのだと信じて突き進んできた。なのに結果ときたら、最後には守ろうと身を捧げてきた皇帝によって人生を閉ざされる事になった。
もしやり直せるなら、次はもっと平凡に過ごしてみたい。そう願いながら彼女は静かに眠りについた。