アルシュバーン国記念式典当日――
普段一般国民が入ることの出来ないアルシュバーン城も、式典の際に開放される王宮内の広場が一般開放される。国王や王子達の姿を一目見ようと貴族だけでなく身分関係なく老若男女沢山の人が集まって来ていた。
コキュードスという超級の魔物を退け、復興へ向け一歩踏み出す布石となる重要な日。広場全体を見渡せるバルコニー型の一般謁見所より国王が姿を見せると、一斉に国王の名を呼ぶ
国王の言葉を終え、いよいよ第一王子アルバートの出番となる。民の前では内面の腹黒さを面に一切見せない第一王子は第二王子であるブライツと同じく民からの厚い信頼を勝ち取っている。
アルバートが緋色の髪を掻き上げると、歓声は黄色い声へと変化する。これだけの民の信頼を一度にひっくり返す事はわたしやブライツ王子の力を持ってしても難しいかもしれない。
――だからこその取引だ。
「今回我々は超級の魔物復活という危機を乗り越え、今此処に立っている。騎士団を始めとする共に闘った者達の力があってこその結果だ。彼等に称賛の拍手を送りたいと思う」
尚、今
『このままアルバートの背中を刺していいか?』
『それこそ反逆者として処刑されるわよ?』
ブライツは
そうこうしている内に出番が来たようで、横に居た執事さんから声を掛けられた。
「コキュードスの侵攻より村を救った我が弟、ブライツ王子と、
民からの歓声を受け、ブライツ王子とわたしはバルコニーの舞台へとあがる。
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思えばアデリーンからの嫉妬から始まった追放からのテレワーク生活。あの時は、再び
そして、全ての元凶は魔族……ではなく、それを背後で利用していた第一王子アルバートであったという事実。国の未来を考えた時、今、敵対するべきでない相手。お互いの立場を分かった上での一時的休戦。今はこれでいい。民の笑顔と平穏な未来。それがわたしの望みだ。それはわたしの隣に立っているブライツも一緒。
ブライツがこれまでの戦いのこと、そして、その背後でわたしが国を守るために動いていたという話を演説してくれた。国の未来のために我々は動く。その中で、二度とコキュードスのような超級の魔物が再びアルシュバーン国へ襲って来る事がないよう、先代魔王とかつて休戦協定を結んでいた魔国シルヴァ・サターナの現魔王グレイスと、わたしアップルが国交樹立の交渉を進めたのだと説明する。
コキュードスだけでなく、二度もアルシュバーン国は攻められている事実。民からすれば戦争であり侵略行為だ。到底許されるものではない。ただし、今回は邪神教のモスコミュエル帝国のような独裁政治によるものではない。わたし達は国内に潜む悪意と国外にまだまだ隠れている脅威に対抗すべく、手を打たなければならない段階まで来ているのだ。
「アルシュバーン国の安寧と未来のため、我々は今日この日、新たな一歩を踏み出す。我らが聖女、アップル・クレアーナ・パイシートも一緒だ」
ブライツがわたしを紹介したところで拍手が沸き起こる。『アップル、アップル』と鳴りやまない歓声。高い位置からゆっくりと一人一人の顔を見渡し、息を吐く。そして、ようやく歓声が止んだところでわたしは言葉を紡いだ。
「皆様、知っての通り、わたしアップル・クレアーナ・パイシートは一度、国家反逆の罪でアルシュバーン国を追放されました。でも、それは冤罪である事が認められ、こうして再び皆さんの前へ姿を見せる事が出来ました。わたしが留守にしている間、たくさんの魔物が攻めて来ました。魔物の侵攻により被害に遭われた皆様へお見舞い申し上げるとともに、アルシュバーン国のいち早い復興を心から願います。民の皆様はこう思っていた事でしょう。一度目の魔物の侵攻も、二度目の超級の魔物・コキュードスによる襲撃も、魔国シルヴァ・サターナのせいであると。でも、それは真実ではありません。真実はもっともっと複雑で、我々はその末端を知っているに過ぎない。争いからは何も生まれません。
魔国の王グレイス・シルバ・ベルゼビュートはこの場におりませんが、魔王グレイスと直接交渉し、魔族と人間が共存共栄出来る未来を模索すべく、新たな一歩に踏み出す事となりました。この国交樹立は、きっと世界を変える一歩になる、そう信じています」
誰もが静かにわたしの演説を聞いてくれていた。アルバートとブライツが先に布石を打ってくれていたお陰だ。国へ侵攻して来た魔物が居た魔国との国交樹立なんて、普通なら民からも反発が出て当然だ。みんなわたしを信じてくれている。その事実が温かい。わたしはわたしの信じる道を行く。それだけだ。
「たくさんの人に支えられてここまで来る事が出来ました。本当にありがとう。アルシュバーン国、そして世界が平穏でありますように。皆さんに女神クレアーナのご加護があらんことを」
再び沸き起こる歓声。
温かい。
皆の信頼があっての聖女。
わたしはたまたま膨大な魔力量と聖女の力を持っていただけで、ただの一人の人間だ。どれだけ力があっても、頼れる周囲の仲間の存在と民の信頼がない限り、わたしは聖女として成り立たない。社会とは国家とはそういうものだから。
わたしとブライツは深く一礼し、その場をアルバート第一王子へ譲る。アルバート第一王子は正式に国交樹立を宣言し、後日、魔国の者を正式に招き、調印式を執り行う事を宣言した。嗚呼、当日は周囲へグレイスの
★
こうして無事にアルシュバーン国記念式典を終えたわたしとブライツは、控室にてアップルティーを飲んでいた。
「
「あなたもね、ブライツ。演説の時まで脳筋じゃなくて安心したわ」
「嗚呼、事前に何度も練習したから……って言ったな!」
「ふふふ」
「あはははは」
ようやく心から笑える日が来た。まだまだ未来へ向けての課題は山ほどあるんだけど、この人とこうやって笑いあえる日が続いていく事、それが小さな幸せなんだろう。
「ねぇ、ブライツ」
「なんだ、アップル」
「このあいだの返事。正式に受けてもいいわよ?」
「このあいだのって……ああ!? え? なんだってー!?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない! もう、一度しか言わないわよ?」
わたしは改めて、ブライツ王子の前でカーテシーをする。
「わたし、アップル・クレアーナ・パイシートは、ブライツ・ロード・アルシュバーンと結婚を前提にお付き合いすることを誓います」
「アップル。ありがとう」
「ちょっ……っとブライツ!」
わたしの手を取ったブライツはそのままわたしの身体を引き寄せ、両腕を背中へ回して来たのだ。彼の鍛えた身体はとても分厚くて、力強い。この身体で、これまでたくさんの戦いを経て国のみんなを守って来たんだね。ブライツ、あなたはわたしにとってはただの幼馴染だったのに、気づけばこんなに大きい存在になっていた。そのまま彼の顔とわたしの顔が近づいて、彼の柔らかい部分が重なる。
「アルバートが見ていたら大変よ?」
「奴はいま、父上のところだ。もう少し、君の温もりを確かめていたい」
再び重なり合う――
温もり、愛情。平穏な未来を信じて――
こうして、わたしは新たな一歩を踏み出す事となった。でも、もしかしたらこれは選んだ未来のひとつに過ぎなくて、違う未来もあったのかもしれない。今後もお付き合いが続くグレイスと、ずっと傍に居てくれるシスタークランベリー。彼、彼女との未来と共に歩む未来もきっと素敵な未来だったに違いないのだから。