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七十六.もう一人の告白と聖女の選択

 朝の陽光――


 窓から差し込む光はこれまでの壮絶な日々を忘れさせてくれるような優しい温もりを感じさせてくれる。シーツに包まったままわたしは上半身だけゆっくりと起き上がる。そして、ベッドについた指先に触れる温もりに気づく。自然とその温もりに導かれるがまま掌で包み込んであげると、わたしの手を握り返した彼女は目を覚ます。


「アップル様……おはようございます」

「おはよう、クランベリー」


「アップル様……ゆうべは……ゆうべ……はっ!?」

「えっ!?」


 刹那、クランベリーはベッドから飛び跳ね、目にも止まらぬ早業でシスター服へと着替える。


「アップル様ぁあああああ、ゆうべはクランベリーぃ、あの……気持ちが抑えられなくて……その……申し訳ございませんっ!?」

「ええええっ!? 待って! 謝らないで! わたしは大丈夫だからっ!」


「いえ、ああああ、あさの支度がありますのでワタクシはこれにで……失礼しますっ!」

「えっ、ちょっ……クランベリー⁉」


 こうして全身を真っ赤にさせた状態でシスタークランベリーはそのままわたしの寝室を後にする。髪が少し乱れていたけれど大丈夫かしら? まぁ、表では常に平常心な姿を見せる彼女だし、心配要らないわよね。


 クランベリーがそれまで眠っていた場所へそっと触れると、まだ彼女の温もりが残っていた。


「慌てるクランベリー……ちょっと可愛いわね♡」


 そう思ってしまったわたしなのである。




 神殿も復興させることが最優先のため、暫くわたしのテレワーク……じゃなかった。公務はお休みという事になっている。追放先から帰って来たわたしはもうテレワークする必要がないのだけれど、ついついテレワークという言葉が浮かんでしまうのだ。


 いつもの聖女服へ着替えたあと、朝の紅茶を淹れて魔法端末タブレットを見ると何か音声回線不在通知の履歴が大量に出ていた。誰だろう? 昨日はクランベリーとずっと一緒で魔法端末は放置していたのだ。通知の相手はブライツ王子でもレヴェッカでもなく……。


「魔王からの連絡を完全無視するとは、流石余が唯一認めた聖女だなアップル」

「ごめんなさいグレイス! 昨日は夜まで人と一緒で魔法端末を見ていなかったの。国交樹立の件よね? 無事に第一王子に話は進めてあるわよ?」


「まぁよい。昨晩の連絡はその件ではない。アップルへ余から直々に話があったのだ」

「え? そうだったの? まさかコキュードスの件がまだ解決していなかった!?」


「いや、そうではない。今からでもすぐ済む故、こちらへ来るがよい」

「え? こちらへって?」


 通話の相手は誰であろう、魔族の国シルヴァ・サターナを統べる魔王――グレイス・シルバ・ベルゼビュートその人。わたしと共に超級の魔物コキュードスを倒し、まさに彼の国とわたしは国交を結ぼうと画策している真っ最中な訳で。でもどうやら話は国交樹立の件ではないらしい。


 わたしの眼前に漆黒の渦が顕現し、中から動物の頭蓋を被る執事姿の男性が登場。魔王専属執事のフォメットさんだ。どうやらついて来て欲しいらしい。


 漆黒の渦を抜けると、深い臙脂色の絨毯が敷かれた部屋、奥の玉座にグレイスが座っていた。これはもしかして……魔王城の王の間?


 わたしが降り立った事を見届け、フォメットさんはグレイスへ一礼し、その場から姿を消す。


「アップルよ、よくぞまいった。警戒を解いてよいぞ。ここには余とアップルの二人しかおらぬ」

「あ、ごめんなさい! 警戒していた訳ではなく魔力感知は癖みたいなものなの!」


「いや、それでよい。いつ何時誰が攻めて来るやもしれぬ。魔国に陰謀や裏切りなど日常茶飯事。今後の事・・・・を考えても、常に罠がないか根を張っておく事は重要だ」

「そうね、そうするわ……って今後の事? ……今日の話は国交樹立の件じゃあないのよね?」


「余がお主を呼び出す理由など、一つしかなかろう」

「うーん……次のお菓子作りするの日程調整?」

「アップルが余の妃になる件だ」

「えっと、グレイスの剣のきっさき……じゃなくて……」

「魔王を前にして動じず、むしろ余すら弄ぼうとするその度量。先刻の闇をも制し、余と共に闘いを翻弄したあの力よ。気高く美しいそなたはやはり余の妃になる器よ、アップル」


 玉座からグレイスが立ち上がり、わたしへゆっくりと近づく。魔回避維持結界ソーシャルディスタンスのある距離で彼の手が結界へと触れる。結界へ向け、闇の魔力を流したことで魔回避維持結界ソーシャルディスタンスがさざ波のように揺れた。


 コキュードス戦でわたしが受け取った彼の魔力は温かかった。透明な結界を通してわたしの身体があの時もらった昂揚感を少しだけ思い出す。


 あのとき、闇を制すると共にわたしは聖女であると同時に魔女と化していたのかもしれない。もし、ずっとあのままの姿だったなら、グレイスの全てを受け入れて……。脳裏に彼と唇を重ねたあの出来事が浮かんだため、慌てて首を振るわたし。


「わたしを信頼してくれている事もわかるし、えっと、グレイスとは今後もいいお付き合いをしたいとは考えているわ」

「そうか! ならば……」

「ちょっと……ちょっと待って!」


 グレイスが魔回避維持結界へ触れた手に力を籠めた事で、電流が弾けるような激しい音が部屋に響き渡る。これ以上彼が興奮してしまうと魔力暴走で部屋が吹き飛び兼ねない。慌てて彼を抑え込もうとするわたし。


 彼の事をわたしはどう思っているのだろう?


 あの闘いでの出来事は確かに不可抗力だ。ただ彼を受け入れたわたしは……決して嫌な気持ちにはなっておらず、むしろ心地良かった。


 彼は決して部下の命をなんとも思わない暴虐非道な魔王ではない。圧倒的な力を持ちながらも父である先代魔王と勇者の協定を守り、人間の国を侵略する事もなく、ひいてはわたしや部下を守ろうと自ら動いてくれたのだ。


 たまに言動が俺様なところはあるけれど、根の彼は優しい。アップルパイ作りのときに林檎を潰したり、火魔法で消し炭にしようとしたりするような不器用なところもあったりする。


 魔国の現状を考えたとき、聖女の立場として放っておけないのは事実。それはわたしが聖女だから? むしろ相手がグレイスだからなの? 


「グレイス、ごめんなさい。一日だけ待ってもらえる? 気持ちを整理する時間が欲しいの」

「まぁよい。アップルがそう言うのならば、明日返事を聞こう」

「ありがとう、グレイス」


 わかっていた。場の空気に流されてはいけない。わたしにはちゃんと、向き合って決めなきゃならないことがある。



 いつも民にも周囲にも明るく振る舞い、まっすぐで表裏の全くない快活王子。ブライツ・ロード・アルシュバーン第二王子。幼馴染で腐れ縁。あいつのことなんてどうでもいいくらいに最初思っていたのに……どうしてこんなにわたしの中の彼は大きい存在になってしまったのだろう? 彼がピンチのとき、心から救いたいと思ったその気持ち。彼を救えたとき、嬉しかった気持ちは本物だ。


 わたしの傍でずっとわたしのために動いてくれていたシスタークランベリー。神殿での仕事を淡々とこなし、わたしが不在のときにも神殿の公務や他のシスター達の世話までやってくれていた。彼女の気持ちに気づいたのはつい先日。彼女が敵の罠によって自身の欲望に呑まれてしまった時だった。彼女は聖女としてだけでなく、ひとりの女性としてわたしを愛してくれていた。もっと早く彼女の気持ちに気づいていたのならば……ずっとつらい思いをさせてしまってたのではないか……。


 昨晩の彼女はそんな事一切口にはせず、『いま一緒に居るということがしあわせなことですから』と笑顔で応えてくれた。


 そして、魔国シルヴァサターナの現魔王、グレイス・シルバ・ベルゼビュート。


 思い掛けず、ほぼ同じタイミングでの三人からの告白。フォメットさんの空間転移魔法で魔国から自室へと戻ったわたしはすっかり覚めてしまった紅茶のマグカップを両手で握り、ひと口口に含んだ。


 わたしの出した答えは――

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