わたし、アップルが魔物と化した
ルージュは覆っている闇の魔力を隠していたものの、マロン司祭はルージュが魔族であると一瞬で見抜いた。聖女が魔族と繋がっているという事実。まぁ、神殿や王宮からすると大変な事態でしょうね。このままマロン司祭を放置してしまうと、コキュードスを召喚した罪をわたしに擦り付けられても可笑しくはない。
王子や神殿のシスター達も皆氷漬けになっている。ルージュを連れて来ていてよかった。彼女はマロン司祭が逃亡しないよう、既に神殿を赤いドーム状の結界で覆っていた。なるほどこれは、ルージュの血を媒介にした結界だ。
「ほぅ、結界を張ったのか。儂が逃げるとでも思ったか? 心配せずともお主程度の魔族に気後れするほど老いてはおらんよ? ――
上級魔族の身体を焼く事の出来る浄化の光がルージュの身体を襲う。流石長年神殿の司祭を任されていたマロン司祭。聖属性の上級魔法程度は扱えるらしい。並の魔物や上級魔族なら一瞬で浄化されていたかもしれない。だけど、相手が悪すぎた。現にルージュはパラソルを構える事すらしていない。
マロン司祭の相手は魔王グレイスの直轄四天王。超級以上の魔法でないと恐らく相手にすらならないだろう。
「いま、何かしたか?」
「ふん。流石アップルが連れて来た魔族じゃの。ならばこれならどうじゃ! ――
「嗚呼、つまらないですね。コキュードスの封印を解いた強者かと思い少しは期待したのですが。そんなものか
「なんじゃと!?」
迫る聖なる光の十字架を腕で払うルージュ。マロン司祭が続けて掌から放つ無数の光の矢は、彼女の身体を貫く事なく彼女の前で爆発する。そう、無駄なのだ。彼女を覆っている魔力と
「そんなものですか、我の力を使うまでもないですね」
「魔族の侍女よ。お主の望みはなんじゃ? 何故聖女に味方する?」
「ふふ。言うまでもない。望みなどはない。我は我が認めた
「そうか。もっと自分に素直になってもよいのじゃぞ?」
「この期に及んで何をする気……」
この時、わたしはクランベリーに後ろから抱き締められているタイミングでマロン司祭が突如放つ闇の魔力へ反応する事が出来なかった。
マロン司祭が懐より取り出したのは紫色に禍々しく光を放つ水晶玉。ルージュの紅い瞳は水晶玉の光へ吸い込まれるように光を失っていく。手にパラソルを持ったままだらんと両腕をさげたルージュへ水晶玉を持ったままゆっくりと近づくマロン司祭。ルージュの頬を軽く叩いた後、反応がないのを確認し、司祭は彼女へ問い掛ける。
「お主、何者じゃ? 名乗れ」
「失礼致しました。我は
「な、なんじゃと!? コキュードスが封印されておったシルヴァ・サターナじゃと!? では……アップルは本当に魔王と繋がっておるというのか!?」
「アップル様はいずれ、魔王グレイス様の妃となられる御方。我がアップル様に仕えるのは至極当然」
「ふぉっふぉっふぉ。これはとんだ濡れ手で粟じゃの。コキュードスへアップルを倒して貰い、奴を英雄にする算段じゃったが……これはアップルを黒幕にしてしまっても面白い事になりそうじゃの。よし、ルージュよ。これからは儂がご主人様じゃ。儂なら、その内に抑えられている欲望を解放してやろうぞ?」
マロン司祭が持つ水晶玉が妖しい光を放つ。恐らくクランベリーはこの水晶玉が放つ瘴気にやられたのだろう。ルージュが光を浴び、一瞬上を向いたかと思うと、ゆっくりと下を向き、屈々と嗤い出す。マロン司祭はそれを、彼女の支配が成功したと考えたのだろう。同じく高らかに笑った後、勝手に勝利宣言を始める。
「ふぉっふぉっふぉ! 成功じゃ! 如何に魔族であろとこの
「ふふふ。アップル様をどうするのですか?」
このときマロン司祭はルージュの血で創られたロープのようなものに全身を縛られていた。水晶は既にルージュの手へ渡っており、彼女は元の瞳の色を取り戻していた。生身の人間であれば一瞬で正気を保てなくなってしまう程の禍々しい光を放つ水晶。ルージュは自身の爪で軽く叩いた後、彼女はロープで縛ったマロン司祭の頬へ自身の長い爪を当てる。
「どうしてじゃ……支配は成功した筈じゃ!?」
「ふふふ。この水晶は昔ルーインが魔王様の魔力と深淵魔法を媒介に創った支配の水晶じゃろう? これをばら撒いていたのも人間の国での興の一つじゃろうが……。教えてやろう。我は魔王グレイス様のEXスキル――
「ぐぁあああああ」
マロン司祭を縛るロープの拘束が強くなったのか、司祭が叫声をあげる。どうやら闇の魔力が電撃のように司祭の身体を蝕んでいるらしい。
「ひとつ聞こう。この水晶。割ればあの人間の
「無理じゃな。欲望に侵食されたダークチェリーは闇を浄化せん限り、元には戻らん」
「そうか。じゃあ、あちらはアップル様へ任せるとしよう。どうせ、これを割ればコキュードスも支配から解けるのじゃろう?」
彼女は水晶を持つ手に力を籠める。水晶は一瞬にして粉々に砕け散り、紫色の瘴気は上空へと霧散していく。
「待て、待つのじゃ……! 嗚呼、なんてことを……」
「で、コキュードスはどこに居る? 大人しくコキュードスの身柄を提供すれば、お前の命だけは助けてやってもよいぞ?」
刹那、中庭の台地が揺れる! それまで消えていたコキュードスの瘴気が周囲を包み込む。そして、マロン司祭の立って居た地面が裂けると共に、全身氷で出来たような白い頭、続けて氷竜の両翼、巨躯が姿を現す。マロン司祭を縛っていた血の拘束は一瞬にして氷漬けとなり砕け散り、氷の竜のような姿をした氷魔神コキュードスの頭に乗った司祭は勝ち誇った顔でルージュを見下ろす。
「コキュードスよ。喜べ。生贄を持って来たぞ。お主を縛っておった魔王の眷属じゃよ」
「ほぅ。憎き魔王の侍女か。いいだろう。魂までも喰らってやろう」
「コキュードスよ。そち程の魔物が何故、そんな矮小な人間如きの味方をする?」
「簡単な事よ。あの忌々しい魔王の封印を解き、
「そうか。そちはその人間に利用され、最後は討伐されるのみぞ」
「討伐? 魔王の侍女如きが吼えるか。立場を弁えよ!」
氷魔神の口より放たれる
「久しく休んでいて鈍ったのではないかえ?」
「笑止! 貴様は足許を見た方がいいぞ」
「ふっ」
ルージュの足許を包む瘴気は彼女の脚を縛ろうとしていたのだが、彼女は既にコキュードスの背後へ廻り込んでおり、自慢の怪力で氷魔神の尻尾を掴んで氷魔神の巨躯を投げ飛ばそうとする。
が、違和感に気づいた彼女は掴んだ尻尾をすぐに離し、コキュードスから距離を取る。同時に手袋を脱ぎ捨てる。地面に落ちた手袋は冷たく凍り付いていた。
「そうかえ。全身を覆う瘴気によって触れる前に凍ってしまうと」
「それだけではないぞ?」
「くっ」
氷竜の振るわれた巨腕は彼女を捉え、ルージュの身体は中庭の壁へと激突してしまった。