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四十八.乙女の涙は星の世界に煌めく

 三百六十度満天の星空。静かな湖に漕ぎ出された一艘いっそうの小舟。現実と隔絶させた静謐な空間。日々の生活で生まれるしがらみも一切の負の感情も、全てを浄化させてくれるかのよう。二人の乙女は、星の瞬きに包まれた世界の中央に浮かんでいる。


 サンクチュアリアプリのMRマジカルリアリティー体験は、現実で味わう事の出来ない非日常を体感させてくれる。


 いつもは深紅色の髪と瞳、シスター服のクランベリーも、短髪黒髪の狩人ハンタークランとして、白のチューブトップとズボンの上から、星空をモチーフにしたビロードで出来た藍と黄の外套で身を包んでいる。


 アデリーン令嬢のモチーフとされるは、ドリル型の金髪ツインテールに檸檬色のプリンセスドレス。アプリ内のチェリーちゃんは、桃色ツインテールに鍔付き帽子、魔女っ娘のフレアスカートを身につけている。このチェリーちゃんの正体が、悪役令嬢と揶揄されていたアデリーン侯爵令嬢だとは、誰も思わないだろう。この時点でわたし――アップルもその事実は知らない訳で、今、チェリーちゃんの正体を知っている者は、このサンクチュアリアプリへ呼び出したクランこと、シスタークランベリー只一人なのである。


「気分が落ち着きますね……なんか、辛かったことも、全てを洗い流してくれているようですわ」

「そうでしょう。此処はワタクシの取って置きの場所なんですよ、チェリー様」


 まるで時が止まったかのように、ただただ流れに身を任せる。


 侯爵令嬢として強く生きるため、幼い頃から教育を受けて来たアデリーン。他と自分は違うのだと言い聞かされ、気づけば他人と比べ、見下す事で威厳を保つようになってしまっていた。本当は同年代の子達と仲良くお庭で遊んだり、社交界でお菓子を食べたりしたかったのに。


 侯爵である父バルトスは己の欲望と傲慢さに溺れ、結果、一家諸共国家反逆罪で追放されてしまった。国家反逆をしていた者は聖女アップルであり、自分こそが正義だと信じていた彼女は、最も信じていた者に裏切られたのだ。王子との婚約も解消され、切り刻まれた精神のまま、修道院へと流れ着いた。


「あ……あれ? どうして……」


 気づけば、彼女の双眸そうぼうから雫が溢れていた。


「いいのですよ、チェリー様。此処には……ワタクシしか居ません」

「クランさ……クラン! うわぁああああああん!」


 自身の胸へと飛び込むチェリーの髪を優しく撫でてあげるクラン。彼女の嗚咽だけが星空へと木霊し、そして消えていく。彼女は、ずっと一人だったのだ。


 どれくらいの間、そうして居ただろう。チェリーちゃんの髪を撫で、背中を軽くさすってあげていたクラン。やがて、ゆっくりと顔を起こしたチェリーちゃんは、ようやく自分の事を話し始めた。自身が侯爵令嬢の出自だと言う話。高飛車な性格で、同年代の人間と打ち解ける事が苦手だったという話。父が罪を犯し、国家を追放されたことが、修道院へ流れ着いた原因だということ。それが原因で、好きだった相手との婚約も破棄となったこと。


「たぶん……今までの自分が全否定されたかのようで、わたくしはこの先どう生きたらいいのか、分からなくなっていたんだと思います。でもクラン……あなたのお陰で少し気持ちが楽になった気がします。もうわたくしは何も背負わなくていいんですね」

「そう、あなたはもう、あなたの思うまま、生きたらいいのです、チェリー様」


「もう、チェリーでいいですよ。わたくしもクランって呼んでいい?」

「ええ勿論構いません。では……チェリー」


「クラン」

「チェリー」


「クラン♡」

「チェリー♡」


「……ふふふ。あはははは」

「ど、どうしたのですか?」


 いつの間にか、互いに見つめ合い、互いの名前を呼び合う二人。気づけば小舟の上で泳いでいた掌も、安心出来る場所を求め、指先を絡めて繋がっている。互いの名前を呼び合うその様子が可笑しかったのか、チェリーが突然笑い出した。


「なんだか名前を呼び合うのが可笑しくって! 現実でわたくしを呼び捨てにする者なんて一人も居ませ……あ」

「え?」


「一人……居ましたわ」

「もしかして、その人がさっきチェリーの言ってた人?」


「ええそう。でもあいつはただの幼馴染で、たまたま親同士の付き合いで仲が良かっただけで、好きとか……そんなんじゃなくて……」

「ねぇ、じゃあ、実際会ってみて自身の気持ちを確かめたらいいんじゃない?」

「え?」


 クランの言葉に驚きの表情となるチェリーちゃん。瞬く星の光が彼女の桃色に染まる頬を投影する。


「でも、わたくしは追放されていて、彼と話す機会なんてもう……」

「いえ、このサンクチュアリアプリならば、可能な筈ですよ?」


 彼女の魔法端末タブレットは王家との直接の通話は禁止。通信はほぼ制限され、アデリーンは今、王家とそこに繋がる者とは会話出来ない筈なのだ。だが、不思議な事に、サンクチュアリアプリは何故か規制されていないのだ。それは女神の思し召しか、遊戯の一環かは分からない。


「駄目です。彼がサンクチュアリアプリをやっているかどうかも知りませんし、連絡が取れないのであれば、招待も出来ません」

「ねぇ、チェリー。この先、どんな真実が待ち受けても、ワタクシのコトを信じてくれる?」

「え? それってどういう……?」


 クランは、チェリーの両手を再び握る。その真っ直ぐな瞳に、再びチェリーの頬が赤く染まる。クランは、チェリーとその彼が逢う手筈を整える事が出来るのだと彼女へ告げる。幾ら恋愛の師匠でも、それは無理だとチェリーは告げるも、クランは、そんなこと、さも簡単だと言わんばかりに肩を竦める。


「ワタクシはあなたの恋愛の師匠。あなたのことは何でもお見通しなの。あなたには真実を教えるわ。少し目を閉じていてくれる?」

「えっと……はい。わかったわ」


 チェリーはクランの言う通り、そっと瞳を閉じる。クランはMRマジカルリアリティーのメニュー画面を開き、そのまま現実の姿を投影するメニューをタップする。そして……。


「目を開けていいわよ」

「ええ。クラン……え? クラン……あ、あなたは!?」


 そこには、アデリーン侯爵令嬢がよく知るアルシュバーン国の神殿に仕えるシスターの姿があったのだ。


「う、うそ……す、ストロベリーよね?」

「クランベリーよ、チェリー……いや、アデリーン」


「……という事は、わたくしは今までまんまと騙され……」

「違うわチェリー! そこは信じて! ワタクシがあなたがアデリーンだと知ったのは偶然なの。それに、今までのワタクシは、あなたに嘘をついていたように見える?」

「それは……見えな……かったわ」


 クランベリーの真っ直ぐな瞳は、嘘偽りのない瞳。チェリーちゃんとしてクランと接して、彼女は気づいてしまっていた。彼女自身が涙を流した時、優しく彼女に触れてくれたクランの優しさは、本物であると。


 クランベリーは、チェリーちゃんから恋愛相談を受けていた時、たまたま・・・・王子の話をわたし――アップルから聞いていた内容と重なったことで、チェリーちゃんがアデリーンであるという真実を知ったのだと伝える。そして、チェリーがアデリーンであろうと、誰であろうと、これからも友達で居たいのだと。


「ねぇ、チェリー。いや、アデリーン。ワタクシがあなたの全てを知っている・・・・・・・・という前提で提案するわ。ワタクシの上には、聖女アップル様が居る。という事は、アップル様を利用して・・・・、王子や騎士団長をサンクチュアリアプリへ招待するくらい、容易い事だと思わなくて?」

「なっ、まさかあなた!?」


 この時点でまだアデリーンは知らない。アップルがオレンジであり、王子もサンクチュアリアプリをやっており、ジークは既に招待されているという事実を。そう、あくまでクランベリーはアデリーンへこう言いたいのだ。アップル・・・・利用して・・・・王子とジークとアプリ内へ呼び出し、そして、チェリーちゃんと繋げる作戦を決行するのだと。


 それまでチェリーちゃんの姿、表情をしていた彼女は、クランベリーのその度胸に感服したのか、桃色ツインテールの魔女っ娘姿のまま、アデリーンお得意の高嗤いを披露する。


「オーーホッホッホ! クラン、いや、クランベリー。実の上司をあざむこうとするあなたのその度胸、気に入りましたわ! あなたとわたくしはサンクチュアリでも、現実でもお友達ですわよ」

「ふふふ、では、早速作戦を決行すべく、アップル様へ伝えますね」

「ええ、お願いしますわ」


 こうして、まるで二重スパイ・・・・・のように役を演じるクランベリーの功績により、わたし――アップルの知らない間にアデリーン令嬢の心は少しずつ紐解かれていくのでした――


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