三百六十度満天の星空。静かな湖に漕ぎ出された
サンクチュアリアプリの
いつもは深紅色の髪と瞳、シスター服のクランベリーも、短髪黒髪の
アデリーン令嬢のモチーフとされるは、ドリル型の金髪ツインテールに檸檬色のプリンセスドレス。アプリ内のチェリーちゃんは、桃色ツインテールに鍔付き帽子、魔女っ娘のフレアスカートを身につけている。このチェリーちゃんの正体が、悪役令嬢と揶揄されていたアデリーン侯爵令嬢だとは、誰も思わないだろう。この時点でわたし――アップルもその事実は知らない訳で、今、チェリーちゃんの正体を知っている者は、このサンクチュアリアプリへ呼び出したクランこと、シスタークランベリー只一人なのである。
「気分が落ち着きますね……なんか、辛かったことも、全てを洗い流してくれているようですわ」
「そうでしょう。此処はワタクシの取って置きの場所なんですよ、チェリー様」
まるで時が止まったかのように、ただただ流れに身を任せる。
侯爵令嬢として強く生きるため、幼い頃から教育を受けて来たアデリーン。他と自分は違うのだと言い聞かされ、気づけば他人と比べ、見下す事で威厳を保つようになってしまっていた。本当は同年代の子達と仲良くお庭で遊んだり、社交界でお菓子を食べたりしたかったのに。
侯爵である父バルトスは己の欲望と傲慢さに溺れ、結果、一家諸共国家反逆罪で追放されてしまった。国家反逆をしていた者は聖女アップルであり、自分こそが正義だと信じていた彼女は、最も信じていた者に裏切られたのだ。王子との婚約も解消され、切り刻まれた精神のまま、修道院へと流れ着いた。
「あ……あれ? どうして……」
気づけば、彼女の
「いいのですよ、チェリー様。此処には……ワタクシしか居ません」
「クランさ……クラン! うわぁああああああん!」
自身の胸へと飛び込むチェリーの髪を優しく撫でてあげるクラン。彼女の嗚咽だけが星空へと木霊し、そして消えていく。彼女は、ずっと一人だったのだ。
どれくらいの間、そうして居ただろう。チェリーちゃんの髪を撫で、背中を軽くさすってあげていたクラン。やがて、ゆっくりと顔を起こしたチェリーちゃんは、ようやく自分の事を話し始めた。自身が侯爵令嬢の出自だと言う話。高飛車な性格で、同年代の人間と打ち解ける事が苦手だったという話。父が罪を犯し、国家を追放されたことが、修道院へ流れ着いた原因だということ。それが原因で、好きだった相手との婚約も破棄となったこと。
「たぶん……今までの自分が全否定されたかのようで、わたくしはこの先どう生きたらいいのか、分からなくなっていたんだと思います。でもクラン……あなたのお陰で少し気持ちが楽になった気がします。もうわたくしは何も背負わなくていいんですね」
「そう、あなたはもう、あなたの思うまま、生きたらいいのです、チェリー様」
「もう、チェリーでいいですよ。わたくしもクランって呼んでいい?」
「ええ勿論構いません。では……チェリー」
「クラン」
「チェリー」
「クラン♡」
「チェリー♡」
「……ふふふ。あはははは」
「ど、どうしたのですか?」
いつの間にか、互いに見つめ合い、互いの名前を呼び合う二人。気づけば小舟の上で泳いでいた掌も、安心出来る場所を求め、指先を絡めて繋がっている。互いの名前を呼び合うその様子が可笑しかったのか、チェリーが突然笑い出した。
「なんだか名前を呼び合うのが可笑しくって! 現実でわたくしを呼び捨てにする者なんて一人も居ませ……あ」
「え?」
「一人……居ましたわ」
「もしかして、その人がさっきチェリーの言ってた人?」
「ええそう。でもあいつはただの幼馴染で、たまたま親同士の付き合いで仲が良かっただけで、好きとか……そんなんじゃなくて……」
「ねぇ、じゃあ、実際会ってみて自身の気持ちを確かめたらいいんじゃない?」
「え?」
クランの言葉に驚きの表情となるチェリーちゃん。瞬く星の光が彼女の桃色に染まる頬を投影する。
「でも、わたくしは追放されていて、彼と話す機会なんてもう……」
「いえ、このサンクチュアリアプリならば、可能な筈ですよ?」
彼女の
「駄目です。彼がサンクチュアリアプリをやっているかどうかも知りませんし、連絡が取れないのであれば、招待も出来ません」
「ねぇ、チェリー。この先、どんな真実が待ち受けても、ワタクシのコトを信じてくれる?」
「え? それってどういう……?」
クランは、チェリーの両手を再び握る。その真っ直ぐな瞳に、再びチェリーの頬が赤く染まる。クランは、チェリーとその彼が逢う手筈を整える事が出来るのだと彼女へ告げる。幾ら恋愛の師匠でも、それは無理だとチェリーは告げるも、クランは、そんなこと、さも簡単だと言わんばかりに肩を竦める。
「ワタクシはあなたの恋愛の師匠。あなたのことは何でもお見通しなの。あなたには真実を教えるわ。少し目を閉じていてくれる?」
「えっと……はい。わかったわ」
チェリーはクランの言う通り、そっと瞳を閉じる。クランは
「目を開けていいわよ」
「ええ。クラン……え? クラン……あ、あなたは!?」
そこには、アデリーン侯爵令嬢がよく知るアルシュバーン国の神殿に仕えるシスターの姿があったのだ。
「う、うそ……す、ストロベリーよね?」
「クランベリーよ、チェリー……いや、アデリーン」
「……という事は、わたくしは今までまんまと騙され……」
「違うわチェリー! そこは信じて! ワタクシがあなたがアデリーンだと知ったのは偶然なの。それに、今までのワタクシは、あなたに嘘をついていたように見える?」
「それは……見えな……かったわ」
クランベリーの真っ直ぐな瞳は、嘘偽りのない瞳。チェリーちゃんとしてクランと接して、彼女は気づいてしまっていた。彼女自身が涙を流した時、優しく彼女に触れてくれたクランの優しさは、本物であると。
クランベリーは、チェリーちゃんから恋愛相談を受けていた時、
「ねぇ、チェリー。いや、アデリーン。ワタクシがあなたの
「なっ、まさかあなた!?」
この時点でまだアデリーンは知らない。アップルがオレンジであり、王子もサンクチュアリアプリをやっており、ジークは既に招待されているという事実を。そう、あくまでクランベリーはアデリーンへこう言いたいのだ。
それまでチェリーちゃんの姿、表情をしていた彼女は、クランベリーのその度胸に感服したのか、桃色ツインテールの魔女っ娘姿のまま、アデリーンお得意の高嗤いを披露する。
「オーーホッホッホ! クラン、いや、クランベリー。実の上司を
「ふふふ、では、早速作戦を決行すべく、アップル様へ伝えますね」
「ええ、お願いしますわ」
こうして、まるで