「あの、グレイス?」
「なんだ、言ってみろ?」
この状況は一体どういう状況だろうか? 縦長のテーブルの手前と奥、向かい合わせに座っている魔王と聖女。そして、魔物を統べる魔王様が聖女をデートへ誘っているという、誰がみても滑稽な状況にわたしも思わず苦笑してしまう。
「あなたは魔王様で、わたしは聖女です。そんな対極にあるわたしたちが密会をしている今の状況ですら、稀有な状況なんです」
「そうであろうな」
「それに、先日まで国を追放されていたわたしは、無実を証明出来たために、いずれ、アルシュバーン国へ戻る事になるかと思います。わたしの事を思ってくれている、民の事が心配ですから」
「どんな立場になろうとアップルで聖女でありたいという事であるな」
「そうですね。ですから、グレイス。あなたと二人でデートする事は出来ません」
「そうか、先日のあの様子から、満更でもない様子だと受け取ったのであったのだがな」
一瞬脳裏に、サンクチュアリアプリ内で魔王様とデートした時の様子が思い出される。一面流星群が降り注ぐ中、グレイスが用意した深紅色のドレスを着せられ、真っ赤な
ただし、あのときは魔法端末の魔力による
「あれは、あなたの演出が……それに、あれはずるいです! あの紫宝石のネックレス。闇の魔力でわたしの思考能力を低下させていたでしょう?」
「少し違うな。確かにあの宝石は闇の魔力を纏っている。だが、あれは、普段理性という箍によって閉ざされている潜在的な欲望や願望といった内に秘めた感情を表に出したに過ぎん。つまり、あれはアップル。お前自身が持っている感情だと言う事だ」
わたしが本当はあんなことを望んでいる? あんな一時の感情に流されるまま、あんなことを……だめよ、今はそんなことをしている場合ではないのだ。
グレイスはイケメンで、ただただ欲に身を任せて人間の国を侵略するだけの魔族と違うって事はわかっている。でも、わたしには、まだまだやることがたくさんあるのだ。グレイスとは、これからも
「なっ、そんなことはありません」
「幼い頃より聖女として真っ直ぐに過ごして来たんだろう? だからこそ、本当はもっと冒険がしたい。聖女として閉じ籠っていた世界から抜け出したい。余であれば、そんな狭い世界から連れ出す事が出来る。そう思うのだがな」
「たとえそうであっても、聖女たる以上、わたしが魔王の妃である事は許されません」
「では、聖女でなければ良いのか? いち女としてであれば、余の事は嫌いであるか?」
「え?」
「お前は聖女であるべき、聖女だからと考え過ぎだ。お前はアップルであり、お前なんだ。最後に決めるのは、アップル自身。お前が聖女なのか、どこの国の者なのか、種族がなんであるかは関係ない。お前がどうしたいか? それが重要であると、余は考えるぞ」
わたしは、これからもずっと聖女として生きていくのだと、それしか考えていなかった。まさか、魔王にそんな事を言われるなんて、考えもしなかったわ。
グレイスは、言いたい事を言い終えて満足したのか、ゆっくりと立ち上がる。切れ長の瞳は相変わらずわたしを見つめているが、そこに威圧や強迫観念といった感情は一切なく、一人の女性として、わたしを信頼している……そんな感情が読み取れる、そんな眼差しだった。
「興が醒めた。今日は帰る事にする。デートの件は忘れてもらって構わぬ。御礼の件は、採れたての竜肉を後日お前宛に贈る事にしよう」
グレイスがわたしへ背を向け手を翳し、深淵の渦のような門を顕現させる。グレイスの国とを繋ぐ空間転移の門であろう。そのまま帰ろうとする彼へ、わたしは思わず声をかける。
「待って、グレイス」
門へ片足を踏み入れた状態で、上半身のみをこちらへ向ける魔王様。
「お互いの立場もあるし、この間のように
「ほう?」
詳細には触れず、今度サンクチュアリアプリの海に、皆で集まる話があるとグレイスへ持ち掛ける。アプリ内で知り合ったお友達同士という関係で皆へグレイスを紹介する。グレイスはあくまで魔王であるという事実を隠し、執事のフォメットと海での遊戯へと参加する。
「デート……ではないけれど、一緒の時間を過ごす事は出来るわ」
「お前から誘ってくれるとは珍しいな」
「先程、わたしは聖女である前にアップルだと言ってくれたお礼よ。その代わり、こないだのネックレスみたいにわたしや仲間を魅了するような行為は一切禁止ですよ?」
「嗚呼、勿論分かっている」
「では、詳細が決まりましたら、こちらからお知らせします」
「良かろう。楽しみにしておるぞ」
そう言うとグレイスは、再び背を向け、片手をあげた状態で、転移の門を潜っていく。そのまま渦は消えていき、魔王様の気配は完全に消失するのだった。
それにしても、毎回グレイスは突然やって来るものだから心臓に悪いわね。
って……。
「あああああ、聖女アップルよ、どうして魔王を
自身の頭をポンポン叩きつつ、思わず突っ込みを入れるわたし。まぁ、二人きりでデートを回避出来ただけでもよしとしないと。よし、頭を切り替えるため、ハーブティーを淹れよう、そうしよう。
……あ、グレイスに水着を用意して貰わないとだった。
脳裏に鍛え抜かれた褐色肌の肉体を想像したわたしは思い切り首を振る。
このあと脳内で王子、騎士団長、魔王様、三人のイケメン達が各々ポーズを決めてくれた。
「もう……なんて景色想像してるのよ、わたし」
こうして、『アデリーン令嬢歓迎会――水着姿で身も心も解放しよう大作戦 inサンクチュアリプライベートビーチ』へ、魔王と執事の参戦が決定したのでした。
……もう、波乱の予感しかしないんだけど。いや、きっと気のせいね。