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三十九.どうやら久しぶりの平穏が訪れたようです

「アップル様ーー! アップル様ぁあああああ! クランベリーは、クランベリーはぁああ、アップル様がご無事で本当に、本当に嬉しく思い、安堵しております」

「もう、クランベリーってば大袈裟ね。それに、そう簡単にくたばる聖女じゃなくてよ」


 艶やかな髪と同じ、深紅色の瞳に潤いを溜めた状態で、シスタークランベリーは魔法端末タブレット越しに映ったわたしの笑顔を見て、ぐちゃぐちゃな表情を浮かべてわたしを拝んでいた。いや、拝まなくていいからね、クランベリー。


「アップル様が人類最強の聖女である事はワタクシが自他認めておりますが、それでも魔法端末タブレットの回線が途切れ、魔物が町へ向かっている気配を察知したときはもう……心臓が止まるかと思いました」

「心配かけたわね、クランベリー。国のため、民のために働いてくれて、本当にありがとうね」


「はぅう! そんな感謝の言葉を述べられるとワタクシ……濡……もう、感情が溢れて止まらなくなってしまいますっ!」

「感謝しているのは心からよ。今度また落ち着いたらオンラインお茶会でもしましょうね」


「勿論です。その時はクランベリー、心を籠めてセッティングします」

「ふふふ、でもクランベリーとは付き合いも長いし、たまには二人きり・・・・でお茶会もいいかもね」


(あれ? 突然映像が乱れた?)


 クランベリーへ微笑みかけた瞬間、何故か急に映像が乱れたのだ。あ、どうやらクランベリーが魔法端末タブレットを落としたらしい。


「ちょっと、クランベリー。映像乱れていたけれど大丈夫?」

「失礼しました。問題ありません。それでは魔物侵攻の後処理がありますので、一旦失礼しますね」

「ちょっと、何か白い物が鼻に詰まって……あら、切れちゃった」


 通信回線が途切れた先で、鼻から出た赤い液体をハンカチで押さえ、惨劇となった床をクランベリーが必死に拭いていたという事実をわたしは知らない。



 ◆


 魔物による危機は去り、アルシュバーン国へ平穏が訪れた。竜騎兵と対峙した騎士団員達も、傷ついた者は居たが、命に別状はなく、壊された建物や外壁はあったが、数ヶ月で復旧出来る規模だったそう。


 何やら街の中にクーデターの噂もあったが、魔物が退いたと同時にそんな噂も自然と消滅し、何事もなかったかのように平穏を迎えている。


 緊急事態は解除され、ようやく街の者達も自由に外へ出る事が許可された。ずっと緊急事態が続いていた事により、民の不安も募り、心も疲弊しきっていたのだ。此処からは明日への希望に向けて、わたしも日々邁進するのみだ。


 不要不急の外出がずっと出来ないというものも考えものだ。経済への保証もないまま引き篭もってばかりでは、民も蓄えが無くなり、餓死してしまうだけだ。国防と民の平穏、この両立は簡単なようで難しい。今回の危機は乗り切ったが、またいつ危機が訪れるか分からない。わたしたちは、そんな緊急事態に予め備え、心の準備をしておく必要があるのかもしれない。


 気になっている事があった。


 わたしがクーデターの首謀者という噂を出していた者は一体誰なのか? 騎士団の者が住民へ聞き込みを入れていくも、噂の出処まで追う事は出来なかった。まぁ、この辺りはある程度予想はついているものの、確証が無ければ問い質す事も出来ないという訳だ。


 レヴェッカ邸の自室で今回の出来事を残しておこうと日記を書いていたところで、魔法端末タブレットが通信を知らせる光を放っていた。


「アップルよ。見せたいものがある。少し時間はあるか?」

「グレイス、大丈夫よ。ちょうどわたしも、あなたとお話がしたいと思っていたところよ」


 魔王との通信は、秘匿回線を繋いでいるため、普段は音声通話を好むグレイスであったが、何故か今日は映像つきだ。魔物侵攻の後だ。きっとわたしに何か伝えたい事があるのだろう。


「此度の非礼。改めて詫びさせてもらう。先刻伝えた通り、余の失態だ。すまなかった」

「いえいえ、魔王様が謝る事ではないですから。あのアナって子に至っては、わたしがアプリで軽い気持ちでお友達登録していたのも悪かった訳ですし」


「お友達登録? 何の話だ?」

「え? グレイスはご存知かと思っていました。あの子、サンクチュアリアプリでわたしとあなたが密会していたの、覗いていたようですよ。マリアンヌって、サンクネームが彼女だったみたいです」

「そうか……」


 あ、グレイスが黙ってしまった。何か地雷を踏んでいないか心配だ。


「順を追って話そう」

「あ、はい」


 グレイスは何処かの長い回廊を歩きつつ、わたしへ説明をしてくれた。ヴァイオレットのアナと、アーテルのルーイン。本人達が名乗っていた通り、彼等は四魔将という各軍団を率いる魔王直轄四天王の一人らしい。この時点で、恐ろしい相手を敵に回してしまったものだと驚いたのだが、アナに関しては、わたしに対する嫉妬の念で感情的に動いた点はあるものの、ルーインは元々魔国復活の機を窺っている策士であり、裏から種を撒いては人間の国を荒らし、陰から牛耳ろうと目論んでいる節はあったのだという。


「人間の欲望に闇から迫り、味方のようにうそぶく。そして、駒のように操る。それが昔から奴のやり口だ」

「成程……もしかして……見せたいものって、そのことですか?」

「着いたぞ」


 長い回廊の先に金属製の扉があり、グレイスが手を翳した瞬間、扉が横へ開いていく。どうやら魔力が鍵になっている認証式の扉らしい。


 扉の先には、手枷足枷のついた石壁、何かの実験装置のようなものや、手術用の器具や薬品などが置かれた棚がある部屋だった。部屋の奥には動物の骨をそのまま被ったかのような燕尾服の男性――魔王グレイスの側近、執事のフォメットと、その横には、金属製の椅子に手足を縛られ、頭に何かを装着された男。漆黒の衣は剥がされているが、間違いない。今回魔物を手引きしていたアーテルのルーインで間違いないだろう。


「魔王様、ほぼ完了しました。後は質問するのみです」

「そうか、ご苦労」


 口から涎を垂らし、見るも無残な姿のルーイン。最早王子と対峙していた時の威厳は面影もない。

 なんとなく、男に何か処置が・・・施された後のような、そんな空気を感じる。


「あ……あ……我は……我は……あ! グレイス様ぁあああ、グレイス様万歳! 万歳! ばんざ……グギャア!」

「ちょっとグレイス!」


 グレイスが彼の右腕を消し飛ばしたため、思わず声をあげるわたし。そして、気づく。これは拷問部屋のような場所なのではないかと。


「なに、彼奴の右腕程度、余なら幾らでも再生させられる。ちょっと黙らせるために消しただけだ。ルーインよ。お前は何をした。ほら、お前が仕える余とアップル様・・・・・の前にひざまずき、全て吐け・・・・!」

「アップル? アップル様ぁあ! 将来魔王様の妃となられる人類最強の魔女、アップル様へ我は何てことを! 申し訳ございません。申し訳ございません!」


 いやはや、何か可笑しな展開になっているんだけど……。あまりに急展開過ぎて突っ込みが追いつかない。王子やジークから聞いた話だと、ルーインは悪魔の象徴と言わんばかりの、深淵と欲と威厳に塗れたような妖しく危険な男のイメージだったのだ。固定された頭を無理矢理下げようと、いつまでも椅子の上で暴れるルーインへ『話が進まないから話を進めよ』とフォメットが耳元で囁き、急に下を向き、静かになった男は妖しい笑みを浮かべたまま話し始めた。


「我は、欲望のままに動く人間と、絶望する人間を観るのが趣味なんです。あなたを追放させるよう奴に囁いたのも我です。手薄になった警備に乗じて、魔物を侵攻させる。そして、魔物の侵攻は住民のクーデターが原因であるとし、第ニ王子であるブライツ王子とアップル様が首謀者とすれば、失意に落ちた民を操り、あなたが裏で世界を掌握するのも容易いでしょうと」

「まさか……! クーデターの首謀者がわたしって噂の元はあなただって言うの?」


「申し訳ございません。申し訳ございません! あのときは、アップル様が魔王様の妃になられる程の御方で、上級魔人ニゲルと黒竜カストロをも圧倒する御力を持つ方とは思いもしていなかったのです。どんな罰でも受けます故、どうか命だけは、命だけは……」


 必死で命乞いをする彼に、最早、人間を操り国を乗っ取るといった野望は欠片も感じなかった。此処で彼の命を裁いたところで、何も産まれないし、わたしに悪は必ず裁くといった、そんな権限も信念も持ち合わせていない。


「いいでしょう。わたしも聖女です。あなたを許しましょう」

「あ、アップル様ぁああああ! 一生あなたと魔王様に仕えます!」


 いや、仕えて貰っても困るんですけど。それより、大事な事がある。今回の首謀者が誰なのか、それを知る必要があるのだ。


「ひとついいかしら」

「はい、何なりと」

「あなたがその悪意を囁いた、その人物の名は?」


 そして、首を垂れるルーインは、今回の黒幕であるその人物の名を告げるのであった――


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