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二十八.どうやら魔王様はお礼が言いたいようです

 その日、無事にテレワークを終えたわたし。レヴェッカが戻って来るまで時間があったため、サンクチュアリアプリを立ち上げようとしていたタイミングだった。


「そのサンクチュアリとやらは中々滑稽なものだな」

「ひっ、魔……グレイス!?」


 部屋の入口に魔王が立っていた。いやはや、こう突然空間転移で来られると心臓に悪い。お城の真ん中に突然魔王なんか現れたらそれこそパニックになる話だ。


「来るなら来るって魔法端末タブレットで連絡下さいよ。突然来られると驚きますから!」

「そうだったな。いやな、可及の用があったものでな。こうして余が直接赴いたという訳だ」


 魔王の急用とは何だろうか? もしかしたら部下の誰かがわたしの国へ攻めて来る話とかだろうか? でも、もしそうだとしても魔族の長である魔王がわざわざ情報提供しに来るなんて有り得ない話だ。


「案ずるな。あれからフォメットに調査はさせている。今すぐ・・・余の部下が侵攻するという事はなさそうだ」

「あ、もしかしてわたしの心の中読みました?」

「ソーシャルディスタンスとやらで全ては読み取れぬがな」


 危険を感じた際は、ソーシャルディスタンスに加えて精神攻撃や状態異常などといった攻撃に備えて結界を張っているのだが、わたしが魔王相手に害はないと気を許してしまっている証拠だ。防御結界を張ろうとも考えたが、今更なのでやめておく。


「では、グレイス。今日はどんなご用件で」

「今日は礼を言いたくてな」

「お礼? わたしグレイスに何か礼を言われるような事なんて……」


 わたしがそう言い終わる前に、部屋にある二人がけのテーブルの上に渦が現れ、渦の中からお皿に盛られた茶色い何かが出現する。丁寧にナイフとフォークを添えて。


 そう、これは……紛れもなく、アップルパイ・・・・・・だ。


「え、アップルパイ? これってもしかして?」

「つい今しがた完成したのだよ。余の手作りだ」


 わたしは雷に撃たれたような衝撃を受ける。あの林檎は握りつぶすものとしか認識しておらず、アップルパイを焼こうとしたら火の魔法で消し炭にしていたあの魔王グレイスが、こんな絶妙な焼き加減のアップルパイを作るまで成長しただなんて。


「余の完成品をそなたに是非食べて貰おうと思ってな」

「え? そんな、いいのですか?」


 よくよく考えると、魔法端末タブレットで時々連絡は来ていたものの、最近グレイスが教会へ直接来る事はなかったのだ。


 魔王なんで忙しいんだろう程度にしか考えていなかったが……もしかして、アップルパイを作っていた? 眉目秀麗びもくしゅうれいな魔族を束ねる魔王様が? 


 第一印象は威厳の塊のように見えたグレイスだったが、魔王がエプロンをしてアップルパイをせっせと作っている姿を勝手に想像し、わたしは思わず笑みが零れてしまう。


「ん? どうかしたか?」

「いえ、何でもないです。じゃあせっかくなのでいただきますね」

「嗚呼。食すがよい」


 ナイフでパイ生地に切れ目を入れ、フォークに差す。甘い林檎の香りが鼻腔をくすぐる。ゆっくりと口に含むと、甘美な香りと味わいが口腔内を満たしていく。林檎の表面のシャキっとした食感と、後から来る柔らかな弾力。


 パイ生地の焼き加減も丁度いい。バターとシナモンが林檎との三重奏アンサンブルを見事に奏でており、わたしは素敵な甘味のメロディーをひと口、またひと口と噛み締める。


「どうだ?」

「グレイス……」

「どうした? 気に入らなかったか?」


 ゆっくりとナイフとフォークを置いたわたしは、グレイスへ向かって満面の笑みで応えた。


「美味しいわ。最高よ、グレイス! 生地の焼き加減も林檎も、バターやシナモンの具合も完璧。ここまで作るの大変だったでしょう! とっても美味しいわ」

「ふふふ、そうか。お主の喜ぶ顔が見れて、余も嬉しいぞ」


 褒められて満更でもない様子のグレイス。魔王の魅力スキルはしっかりガードしているんだけど、素直に喜ぶ眼前の魔王が可愛く思えてしまう。


 出されたアップルパイを完食し、わたしはグレイスの分と自分用に紅茶を淹れる。ソーシャルディスタンスで互いに近づく事が出来ないため、わたしは机に、グレイスは先ほどまでわたしがアップルパイを食べていた二人がけの椅子へと座る。


「アップルよ。アップルパイのお礼に余の国へと招待したいのだが? 余が直接美しい場所を案内しようぞ?」

「お気持ちは有り難いのだけど、それこそ魔族の部下さん達が黙ってないんじゃないかしら?」


 それに、わたしがもし、ソーシャルディスタンスを発動した状態で魔族の国へ出向いたなら、下級中級レベルの魔物にとっては歩く兵器・・・・になりかねないのだ。


 グレイスの気持ちは有り難いのだけれど、現実的にわたしが魔族の国へ行く事自体難しいのだ。


「アップルの力で溶けるものは、その程度の存在だったとして諦めるしかあるまい」

「いやいや、そういう問題じゃないでしょう」


 弱肉強食的な考えなんだろうけど、時々魔王様はとんでもない発言をする。何かいい方法はないかと考えていると、魔王様が何か思いついたらしく、わたしの魔法端末タブレットを指差す。


「そうだ。では、そのサンクチュアリのMRマジカルリアリティー機能とやらでデートをする、と言うのはどうだ?」

「なるほど、それはいい考えですね。それならソーシャルディスタンスもグレイスの魅了スキルも関係ないですから……って、あれ、そう言えばどうしてグレイスって、サンクチュアリの事を知っているの?」


 そう言えば魔王様、サンクチュアリは滑稽だなんて発言をして登場していたのだ。そもそもサンクチュアリアプリは人間の国で発達したもので、魔族がやっているなんて話……聞いたことがない……のだけれど。


「フォメットに色々調べさせたからな。アップルのお友達に居るベル、それは余の仮初めの名だ。ちなみにナナシの執事さんはフォメットだ」

「なんですってーー!」


 ――わたしは知らぬ間に、魔王様とその執事様とアプリ内でお友達になっていたようです。


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