アルシュバーン国の緊急事態は続いている。とはいえ、まだ国民全体が自宅待機や避難するような状況には至っていないため、国民は変わらず日常生活を送っている。王立騎士団の警備体制を強化し、冒険者へクエスト依頼によって周辺にある魔の森やダンジョンなどといった強力な魔物が出現する可能性が高い場所を監視していく。
ただし、先日騎士団長を始め、多くの団員が怪我をした状況を鑑みて、魔物と衝突した際、深追いはしないよう、指示を出しているらしい。無用な戦闘を避ける事で、緊急時における戦力を温存しておく。それが国のトップの考えらしい。
え? どうして追放された聖女であるわたしがそんな事知っているのかって?
それはそうですよ。だって、今魔法端末の回線を通じ、作戦の指示を出している
「まぁ、そういう訳だ。アップル。一部手練れの冒険者が潜入調査のクエストを受けてはいるが、なるべく神殿に迷惑をかけぬよう、深追いはしないという意見で一致した」
「そう報告ありがとう。わたしへ直接報告をくれるのはいいんだけど、あなたも忙しいんだから、わざわざ此処へ出向かなくてもいいのよ?」
「何を言っているんだ。報告、連絡、相談は組織の基本だろう。それに、報告があるお陰でアップルの顔が見れる訳だしな」
「どう考えても後者が目的ですね。本当にありがとうございました」
「待て、アップル。今日はそれだけが目的ではないぞ? 今日は特別ゲストを連れて来ている」
「ん? 誰? まさかわたしを追放したアデリーン侯爵令嬢とかじゃないわよね?」
「いやいや、どうしてアデリーンになるのだ。最近アデリーンから俺の魔法端末宛に毎日デートの誘いが来て困っておるのだよ」
「うーん、それは許嫁なんだから、普通でしょ」
どうやら有事で忙しいという理由で王子は令嬢からのデートの誘いを断っているらしい。まぁ、忙しい事は間違いないのだろうけど、神殿へ出向いている事が令嬢にバレたら、それこそ神殿ごと燃やされやしないか心配だ。
「元々彼女との許嫁の協定は、アデリーンの父である宰相のバルトスが、娘を王族と結びつけるために仕組まれたものだ。むしろ幼い頃から一緒に遊んでいたのはアデリーンでなく、お前だったろう、アップル」
「まぁ、それはそうだけど、ロレーヌ家はアルシュバーン国でも有力貴族でしょう。王家としても悪い話じゃないんじゃないの?」
「それがそうでもないんだよ」
「え?」
一瞬、ブライツの表情が曇りがかったような気がした。でもそれはほんの一瞬で、いつも笑顔へ戻ったブライツが、話題を元に戻す。
「アデリーンの事は置いておくぞアップル。そろそろ特別ゲストが此処へ来る頃だ」
「ブライツ王子、アップル様。王立騎士団、騎士団長ジーク様を連れて参りました」
魔法端末が置かれた部屋の扉をシスタークランベリーが開ける。シスターと共に中へと入って来たのは、先日魔物との交戦により傷を負い、神殿にて治療を行った黒髪の騎士団長――ジーク・ヤマト・グランフォードその人だった。
部屋の台座へ置かれた魔法端末の前へやって来た騎士団長は、ゆっくり片膝をついて大剣を床へと置き、右手の拳を左胸へ当てた状態でわたしへ言葉を述べた。
「アルシュバーン国の〝慈愛の象徴〟。唯一無二の存在である聖女アップル・クレアーナ・パイシート様。お目に掛かれて光栄です。一度戦地で捨てたこの命を救っていただきありがとうございます。直接御言葉を述べる事も烏滸がましいですが、ひと言御礼を申し上げたく、こうして馳せ参じました」
「とんでもございません。お顔をあげてください。わたしは当然のことをしただけですので」
あまりにも畏まった形でお礼を言われたため、わたしが驚いてしまう。魔物と交戦したその日、仲間を庇い、深手を負った時点で、騎士団長は死を覚悟したらしい。ブライツが駆けつけ、魔物を退けなければ、そして、神殿でのあの遠隔治療が無ければ、騎士団長ジークは間違いなく命を落としていたのだ。
神殿で目を覚ましたジークは、あれほどの傷を負いながら助かっている自身の置かれている状況に驚き、シスタークランベリーへどうやって治療したのか? と質問したらしい。そして、直接御礼が言いたいのだと。
そして、ジークを見舞いにやって来たブライツ王子より、彼は秘密を守る信頼における存在であるという言葉を持って、わたしがテレワークしているという真実を話す事に決めたんだそうだ。
「事前にアップルへ相談してもよかったんだが、心配しなくていいぞ。ジークと俺の付き合いは長いんだ。こいつは硬い男だが、信頼における存在である事は間違いない。アップル、俺が保証する」
「おいおいブライツ、やめてくれ、まだ本調子じゃない……いや、そこ傷痕あるから……痛たたたた」
ブライツが片膝をついていたジークへ肩を回し、鎧を着ていないジークのお腹をグリグリするものだから、引き剥がそうと抵抗する騎士団長。ブライツとジークは少年時代からブライツと剣の稽古をし、切磋琢磨していった仲らしい。
仲間を庇って命を賭けた騎士団長だ。ブライツに言われずとも、信頼における存在である事は間違いない。
そんなブライツとジーク、二人の様子を生暖かい目で離れたところから見つめているシスタークランベリー。慈愛の表情で頷いている様子の彼女が何を考えているか……だいたい想像はつく。
ちなみにシスタークランベリーの私室には、聖書や魔導書に紛れて、騎士団や男の人の鍛え抜かれた肌色が描かれた薄い本が挟まっていたりする。
「ジークさん。傷もだいぶ癒えたようで何よりです。では、ブライツ王子と末永くお幸せに」
合掌――
慈愛の表情で手を合わせるわたし。クランベリーの『流石、アップル様。よく分かっていらっしゃる』という心の声が聞こえた気がした。
「いや、どうしてそうなるアップルよ。俺と末永くお幸せになるのはアップルだろう」
「ん? ブライツ。アップル様とは
「ちょっと誤解を招く発言は止めて下さいブライツ王子。ジークさん、王子とわたしは幼馴染なんですよ」
「アップル様、そうだったんですか。ブライツも大変だな。許嫁のアデリーンからのアプローチも最近熱烈なものな」
「へぇ~。ジークさん、そのあたり今度詳しくお聞かせ下さい。勿論ブライツ抜きで」
「アップル様的にも幼馴染の恋路は気になりますか?」
「いえ、そうではなくて、単純に興味があるだけです」
「ちょっと待て! 勝手に話を進めないでくれ!」
ジークさんとの話が進む前にブライツが突っ込みを入れるのだった。