魔王様がわたしの家でアップルパイを作っていたまさにその頃――
昼でも陽の光が届かない紫色の雲に覆われた世界。難攻不落の岩山に囲まれた先に魔王城がある。
いま、主である魔王は、敵情視察という名目で、人間の国へと出向いている事になっている。しかし、魔王城の一室で、真実を知る女魔族が一人、桃色の天蓋に覆われたベッドに寝転がった状態でセクシーな下着のような格好で悶えていた。
「ムッキーーーー、ムキムキぃいいいい! 何が聖女よ! 魔王様の身体はわたくしが一番知っているのよぉおおお! グレイスさまぁ~~。どうしてわたくしを差し置いて人間の女のところへ行ってしまったのですか!? ムッキーーーー」
そう、何を隠そうこの女魔族、魔王様より、聖女こと、わたしアップル主催の料理教室へ誘われた一人なのだ。魔王様からの誘いはあったものの、今回わたしの料理教室へ参加はしていない。魔王様へ身も心も捧げている女魔族にとって、これほどの屈辱はないのだ。
「アップルですって~。所詮林檎は林檎よ。フフフ、わたくしは胸元に二つのメロン、美しい桃尻を持つ至高の肢体を持った気高き女魔族なの。林檎ごときがわたくしに挑もうなんて、百万年早いのよ」
一人挑発的なポーズを決め、桃色の艶やかな肌を
「おや、おやおやおや。これはこれはアナ殿。ショータイムの最中でしたかな?」
「ひっ。ルーイン、あなた相変わらず悪趣味ね! わたくしは今機嫌が悪いの。死にたくなければこの場から早く立ち去りなさい」
「おやおや、これは怖い。不機嫌の原因は、魔王様の敵情視察……といったところですかな?」
「五月蠅いわね、あなたには関係ないでしょう」
漆黒のローブに隠れて顔は見えないが、ルーインと呼ばれた男は女魔族――アナの反応を見て楽しんでいるように見えた。
「関係ない事はないですなぁ。魔王様は人間世界との共存共栄といった戯言を考えておられる。先代様と勇者との協定があるとは言え、今の魔王様はあまりにも甘い。魔王直轄四天王、黒のルーインとしては、魔国シルヴァ・サターナの更なる繁栄のため、策を練る必要があると考えておったところよ」
「へぇ~、その話。聞かせて貰おうかしら?」
魔王グレイス不在の中、二人の悪魔は密談を交わすのだった。
◆
当のわたしは、女魔族から嫉妬を買っている事など露知らず、料理教室が無事に終了したあとレヴェッカ邸へと戻り、ハーブティーを飲みつつ晩御飯のきのことメロン豚のミートソースパスタを食べていた。ちなみに本日のハーブティーはパスタに合うオレガノのハーブティー。少し刺激的で爽快感な味わいがパスタとよく合うのだ。
「ねぇねぇ~。グレイス様って遠くの国の貴族なんでしょう? いいなぁ~。アップルってブライツ王子様にグレイス様に、あんなにたくさんのイケメンから迫られて」
「グフッ……いやいや、そんなんじゃないからね、レヴェッカ」
タイミング悪くパスタを口に含んだタイミングだったため、むせてしまうわたし。そんなわたしの反応を楽しむかのように観察しているレヴェッカ。
「だって、私とグレイス様の距離が近づいていたところ、割って入っていたじゃない。アップルとグレイス様は
「そういう関係ってどういう関係よ?」
「将来を誓い合った許嫁みたいな?」
「どうしてそうなる訳?」
パスタを取ろうとしていたフォークを置いて、思い切り突っ込むわたし。
「だって、アップルが私とグレイス様の距離を置いたあと、グレイス様とアップル、いい感じだったよ。ほどよい距離を敢えて保っているのも何か素敵よね。グレイス様明らかにアップルに好意的だし」
えっと、程よい距離を保っていたのはレヴェッカには見えない
グレイスやフォメットさん達が魔族である事を隠している以上、そんなことは言える筈もなく、グレイスとわたしの関係だけは否定しておいた。
「そっかぁ~。じゃあ、アップル的にはグレイスとブライツ王子だったら、今のところどっちも脈ありって事なのね」
「まぁ、想像するのは勝手なのでもう何も言わないわ」
突っ込む気力を無くしたわたしは残りのパスタを口に含む。そもそも魔王の妃になるなんて事になったら悪堕ち聖女だし、一度追放された聖女が王子と結婚なんて事になったら、それこそ暗殺され兼ねない。
わたしはこのまま此処でテレワークをしつつ、お菓子作りをしながらのんびり暮らしている方が性に合っている気がするのだ。
「
レヴェッカが眼鏡の縁を持ち、眼を光らせる。何やら二人の姿を思い浮かべつつ、妄想の世界へ入っているらしい。
まぁ、ブライツも直情的で頭は悪いけど、人望は熱いし、悪い奴でない事は確かだ。
グレイスも少し傲慢なところはあるものの、魔王とは思えない程、こちらの事情を汲んだ上で話が出来る相手だったりする。
(結婚ねぇ~~)
「あ、勿論アップルがその気になって私にプロポーズしてくれたなら、私はいつでもお受けします♡イケメンの輝きよりも聖女の輝きです♡」
「えっ、あっ、ちょっ、もう。揶揄わないでよ、レヴェッカ」
「そういう反応するところが可愛いんだよな~」
恥じらいそっぽ向く私の様子を頬杖をついたまま見つめている妄想大好きレヴェッカさん。今度は一体何を想像しているのか。うん、そこはあまり深く考えないでおこう。
聖女として日々神殿で生活を送ってる時は、結婚なんて言葉を考える余裕すらなかったので、この日のレヴェッカの言葉はわたしの脳裏に引っ掛かっていたようで。
この日の夜、わたしはなかなか寝付けなかったのでした。