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十五.どうやら魔王様との音声通話が始まったようです

 少し低く冷たい、しかし、耳へと入って来る魔王グレイスの声は、ただ聞いているだけで世の女性を甘く蕩けさせてしまいそうな、そんな声だった。前回対峙した際はソーシャルディスタンス越しでの会話。こんな至近距離で男性の低音ボイスを聞くと、相手が魔王だとかそんな事は関係なく、耳元が熱くなるような、脳内の感覚が麻痺してしまいそうな、そんな錯覚を覚えてしまう。


「アップルよ、どうした? 声が聞こえぬか」

「い、いえ、聞こえてます、聞こえてますとも! ちょっと魔王様から突然の音声通話に驚いているだけです」


「グレイスで構わん。余が魔王だからと言ってお前は気を使わんでもよい」

「気を使うでしょう! ……グレイス様……いや、グレイス。魔王様と聖女が直接通話って普通考えられませんからね」 


「ふ。確かにな、人間の聖女と魔を統べる王の密談。滑稽なものだ」

「いや、それバレたらお互い消されるんじゃありません?」


「それはない。余は王であり、絶対的存在だからな」

「はぁ、そうですか……」


 まぁ、グレイスが上級魔族でも魔王でも、今更気にしない事にしておこう。だいたい、初対面だったあの時も、わたしが彼を退けていなければ、教会ひとつ消し飛んでいたでしょうし。身を守るため仕方なかったとは言え、まさか魔王に気に入られてしまうとは。


 考えても仕方がないので、そろそろ本題に移ろうと思う。グレイスが直接通話を望んだと言う事は、何か伝えたい事があると言う事だ。


「で、魔王さ……じゃなくてグレイス。わたしに伝えたい事があるんですよね」

「そうだな。アップルよ、簡単なことだ。ひとつ問おう。街の外へ出た人間――冒険者の眼前に魔物が現れたなら、彼等はどうすると思う?」


「それは、戦う事になるでしょうね。強い魔物なら逃走も考えられますが」

「そうだな。ならば、ゴブリンなど、各下ならどうだ?」


「それは……冒険者なら魔物を倒すと思います」

「そう。それは魔物にも言える事だ。眼前に人間が居たなら狩る。魔物の種族にもよるが、彼等にとって人間は獲物であり、食料となる事も有り得るのだ。中には苗床という例もあるしな」

「……っ!?」


 さらっとそんな残酷な言葉を放つあたり、やはりこの人は魔の存在であると実感する。


 しかし、言いたい事は分かる。分かってしまった。魔物は人間を狩る。しかし、人間も魔物を狩っているのだ。魔物の皮は素材となり、肉は食材となる。冒険者は高ランクの魔物を狩るクエストをこなし、魔物は常に討伐対象。魔王様からすると面白くない筈だ。


「案ずるなアップルよ。余は人間世界を滅ぼそうなどとは考えておらぬ。この世は弱肉強食。それは自然の摂理である。己の身を己で護れない魔物が討伐される事は仕方がない事だ。だが、魔物の集落は滅ぼされたが、人間の国には手を出すな。そんな甘い戯言を余が言ったならどうなると思う?」

「それは……」


 言い返せなかった。魔物からすると、人間も魔物の棲み処を荒らし、生活を脅かす侵略者なのだ。国家周辺には結界を張り、互いの領域テリトリーが干渉されないよう、常に監視しているのだ。


「この世界は戦いの歴史を歩んで来た。今は先代魔王と勇者が休戦協定をし、表向きは人間の国も、魔国も、亜人の国も、仮初の平和というぬるま湯に浸かっている状態だ。しかし、中にはを窺っているものも居るという事だ」

「それがあの魔人の侵攻だった……という訳ですね」


 そう考えると、全ての元凶は、わたしが追放された事に繋がってしまうのではないか? そう思うと、もっと追放される事に抵抗した方がよかったのではないかと考えてしまう。


「お前が気に病む事はない。物事の側面は一方から考えても解決しない事は多い。大事な事は、その事象の本質は何かという事だ」

「魔王であるグレイスに心配されてしまうとは、わたしも聖女失格ですね」


「余の配下がお前の国の騎士を傷つけたのなら、どうしてそうなったのか、原因を探るべきだ。アップルの言う通り、余も万物の全てを見通せる訳ではない。魔を統制出来ていないという意味では、余の失態。そこは配下の無礼を詫びよう」

「わたしは争いを好みません。出来る事ならグレイス、あなたとも争いたくはない」


「それは余とて同じ考えよ。アップル、お前が追放された身なら、余の国へ来るといい。人間の国との共存共栄の口実にもなるであろう? 余のモノになれ、アップル」

「そんな甘い声で囁かれてもわたしは揺るぎませんから!」


 そう言いつつも、こんな甘く蕩けるような低い声で囁いて来るのは反則だ。耳を魔力で保護した方がいいだろうか? シスター達が、イケメンの冒険者に耳元で囁かれた際にそんな会話をしていたが、このシチュエーションを言っていたのかもしれない。


「まぁよい。お前達騎士団を襲った魔物を率いた者が居るかどうかは余が調査してやろう。では、次の休み。アップルパイとやらの作り方を学ばせに侍女を連れて参る故、心して準備しておくがよい」

「え? ちょっと。それは!」


 グレイスはそう言い残し、耳の熱が冷めないうちに魔王様との音声通話は終了する。


 このあと魔王様の勢いに負けて、お家でのアップルパイ作りを約束してしまった事は言うまでもない。


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