この日もテレワークはお休み。
先程、王子からの通話を終えたところだ。いま、忙しいと通話を断ってもよかったのだが、外の魔物の動きが活発になっている事で、なんだかんだ王子も大変らしい。クランベリーは今、傷ついて連れて来られた騎士団員の治療にあたっている。シスターや司祭、
王子の強さならば、そう魔物に苦戦する事もないとは思うが、労いの言葉をかけておいた。『俺の事がそんなに心配かぁ~ハハハハ!』と調子に乗ったところでわたしが通話を切ろうとしたのは言うまでもない。
通話を終えたわたしは、少し思うところがあって思案する。
もし、聖女であるわたしが目的ならば、あの魔族の男であるグレイスが此処へ訪ねて来た時点で、わたしを捜索する目的は果たした筈だ。では魔物の動きが活発になっている理由は他にあると考えるべきだ。
「やはりわたしが国から居なくなったから? でもそれは考えすぎよね」
わたしが国全体へあの結界を張っていた訳ではない。結界を張っていたのは神殿の周辺のみ。国の警護は王宮騎士団がやっている。結界が無くなった事で神殿を襲う事はあっても、アルシュバーン国全体を襲うとは考えにくいのだ。
「何にせよ、情報が少ない。敵の情報を知りうる機会があればいいのだけど」
まずは怪我人が多くなった時に治療が円滑に出来るよう、何かしら準備が必要だ。わたしが遠隔で治療するには限界があるし、王宮騎士団の治療を直接施してしまえば、〝聖女が遠隔で仕事をしている〟事がわたしを
国の様子はテレワークで民の懺悔や相談を聞く事でなんとなく把握出来るが、どうやって敵の情報を調べよう? むしろ調べる以前に、魔族の男にわたし、マークされているんだった。どうやら問題は山積みらしいです。
「よし、考えても仕方ない。昨日のアップルパイの残りを食べよう!」
腹が減ってはなんとやら。こういう時は甘味成分を取り込むに限る。家主であるレヴェッカは教会の仕事で外に出ていてわたしはお留守番。アップルティー紅茶を淹れて、今日はアップル&アップルと洒落込もう。
ダブルアップルの甘い香りが部屋を満たし、食べる前から心が落ち着いて来る。やはり大変な事態に対処するには、心を落ち着かせる時間を作る事も大事だと思う。
「……ほぅ、人間の国には珍しい嗜好品があるのだな」
「え? あら、ご存知ないのですが? それアップルパイって言うんですよ……て、ぇえええ!?」
食卓の入口付近。柱に凭れ掛かった状態で、腕を組んで立つ男。ミルク色の肌。髪の色と同じ、キレ長の紅い瞳。外套に身を包んだ貴族のような格好をした男。紛れもなく、先日教会に訪れた魔族の男――グレイスだった。
「ど、どうしてあなたが此処に?」
「何を言っておる? お前が余の者になると言うまで来ると言ったであろう?」
いや、それは先日お聞きしましたが、どうして普通に家の中に居るんですか?
その疑問を投げかける前に、グレイスはわたしの方へゆっくり近づいて来る。しかし、リビング中央、食卓テーブルの端へ到達したところで、例のスキルが発動する。
見えない壁に手を弾かれた男は自身の指を見つめた後、わたしに向き直る。
「そうか。ディスタンスとか言っていたものか。自動発動とは大したものだな」
「
そこまで言いかけて、わたしは気づく。そう、この魔族の男は少なくとも、わたしを自分の者へしようと此処へ訪れているだけなのだ。現時点で敵対する意思は持っていないし、むしろ怒らせて家が吹き飛ぶなんて事になったらレヴェッカへどう謝ったらいいか分からないものだ。
しかも、恐らくこのグレイス。少なくとも魔物を操っている男なのだ。むしろ、仲良くする事で、何故魔物の動きが活発になっているのか? 敵情視察がこの場で出来るのではないか? 短時間で思考をフル回転させたわたしは、グレイスへ微笑みかける。
「グレイスさんでしたね。いきなりあなたの者になれと言われても、わたしはあなたの事を何も知りません。男女が互いに好意を持つにはまず、お互いの事を知る事が大切ですよ?」
「そういうものなのか? 余の周りの女は、出逢って十秒で余の者になると己の果実を押しつけてアピールをしておるぞ?」
うーん。幾ら彼の顔が整っているからって、魔物の価値観はよく分からない。
「魔族と人間は違うのです。わたしの国やこの教会の仲間を襲わないと誓ってくれるのなら、此処へ来ていただくのは構いません。まずはお話をしましょう? あなたの国の事とか?」
「そういうものなのか。良いだろう、余は直接お前の国や仲間には手を出さんと誓ってやろう」
「ありがとうございます。ソーシャルディスタンスがありますので、そこの椅子へ座って下さい。せっかくなのでアップルパイ、食べていきません? 美味しいですよ? そこのポットに入った紅茶と一緒に食べるんです」
わたしの座っている席と丁度対極となる位置にグレイスが座る。先程温めておいたアップルパイの残りをお皿に置き、紅茶を淹れてあげる。ソーシャルディスタンスがあるため、一度カウンターへ置いたものをグレイスに取ってもらう。
「いただきます。あ、こうやって手を合わせるんですよ? 女神様へ感謝……あ、魔族だと邪神様になるんでしたっけ?」
「よくわからんが、手を合わせればいいんだな?」
合掌をした後、アップルパイを口にする。焼いた林檎の食感が心地いい。甘く蕩けるカスタードと林檎のほどよい酸味がパイ生地とよく合って、口の中に幸せ成分が広がっていく。
一方グレイスはナイフとフォークで一口大に切ったアップルパイをゆっくりと口に含む。ナイフとフォークを丁寧に使っているところから、やはり上級貴族のような魔族でも身分の高い階級の人なんだろう。ゆっくりと彼の口が動き、呑み込む。暫く沈黙した後、もうひと口。更にひと口。
あっという間に皿の上に乗っていたアップルパイが無くなり、アップルティーを飲み干したところでようやくグレイスが口を開く。
「何なんだ。林檎とは生で
「えっと……甘いのことを仰っているんですか? ほら、果物も甘いって言いますでしょう?」
「甘い……そうか甘いか! 甘くて美味い! クックック! アップルパイ……気に入った! 今度余の侍女へ作らせようぞ」
グレイスは余程アップルパイを気に入ったらしい。どうやら普段の食事もお肉ばっかりで、魔族の国はどうやらスイーツ文化が発達していないようだ。
「気に入って貰えてよかったです。事前に来る日を教えていただけたなら、予め準備して作っておきますよ?」
「そうか。文でも送ればよいのか?」
「あ、そうでした。魔族の国には
「成程。魔導通信のことか。人間の国も少しは発展しているのだな」
そういうと、グレイスは左手の中指に嵌めていた指輪を翳す。指輪から壁に光が放たれ、光が当たった場所へお城の映像が映る。動物の骨を被ったような男が現れ、恭しく一礼する。
「フォメット。魔導通信へ聖女と魔力認証するぞ」
「なんですと!? よ、宜しいのですか? 魔族の専用回線へ人間の……ましてや聖女の……」
「フォメット……余の命令が聞けぬのか?」
「言え、滅相もございません。一時的に認証保護を解除致します」
わたしの魔法端末とグレイスの指輪を翳し、秘匿回線を繋ぐ。これならグレイスが他の回線を傍受する事も出来ないし、逆にわたしが端末を通じて魔族の回線へ侵入する事も出来ない。
「認証は完了した。アップル。これからはお前の家を訪ねる際は事前に知らせる事にするぞ」
「そうしてくれると助かるわ。あなたも予定があるように、わたしも普段色々と予定があるの」
「今日は帰る事にする。また来るぞ、アップル」
こうしてグレイスとの第一回お茶会が無事に終了した。
……あ、魔族の国の情報全く聞けてない……。
肝心な事を聞き忘れたわたしは、天を仰ぐ。まぁ、人間の国を襲わないって誓って貰ったし、来るときは事前に知らせてくれる事になっただけでも進展があったというものだ。
それに、あんなに満足そうにわたしが作ったアップルパイを食べてくれて、悪い気はしないのだ。
「次回はアップルパイじゃなくて、ラズベリーパイにしようかしら?」
次回のお茶会でどんなお菓子を提供しようか? ひとりわたしは想像し、笑みを浮かべるのでした。