新しい生活が始まって、一ヶ月が過ぎた。
カスタード国の郊外に位置するメロンタウン。天然の資源が豊富で、農業や畜産業、商業が盛んな街だ。何より、食べ物が美味しい。きび砂糖やミルク、乳製品も地産地消で手に入るため、わたしの大好きなお菓子だってたくさん作る事が出来る。
「これならクランベリーにパイを送って貰わなくても、こっちでなんとかなりそうね」
今、わたしは知り合いの
わたしは教会のお仕事を手伝う傍ら、合間の時間で趣味のお菓子づくりをやっているという訳だ。
「最近はこうやってお菓子を作る時間すらなかったもの……。これはわたしに女神様がくれた長期休暇なのかもしれないわ」
思えば、一年三百六十日、毎日休む事無く働いていた。聖女とは民にとっての希望の光であり、象徴。傷ついた者を癒し、優しく包み込む聖母。それが民にとっての聖女という存在。
皆の笑顔を見ていると、自然とわたしも笑顔になる。これからもずっと聖女としてわたしは生きていく……国を追放された今でもその気持ちは変わっていない。
でも、今は聖女の勤めは少し忘れて、お菓子つくりに専念しよう。
いつもの白が基調の〝聖女の衣〟とヴェールではなく、今日のわたしは動きやすいワンピースにエプロン姿だ。
「わー、甘~い香りがして来たと思ったら、今日はマロンパイ?」
「ええ。裏の山で採れた栗を茹でて布で絞ってペースト状にしたものをパイ生地で焼いてみたの。この間アップルパイにも使ったカスタードクリーム入りよ?」
この家の主、レヴェッカ。黒髪を三つ編みし、眼鏡をかけた女の子。普段神官服を着ている彼女も今日はサロペット姿だ。
レヴェッカが野薔薇の実を乾燥させたローズヒップティーを淹れてくれた。リラックス効果と美肌効果もあるローズヒップティーは、マロンパイともよく合うのだ。お肌艶々になりつつ、甘い物を嗜むプチ贅沢。今まで頑張って来た自分へのご褒美ということにしておこう。
「外はサクサクで中のカスタードも濃厚で、これ、ほっぺたが落ちる~」
「レヴェッカに喜んで貰えてわたしも嬉しいわ」
栗の風味もたっぷり味わえるマロンパイを堪能しつつ、至福のひと時を過ごしていると、魔法端末が黄色の光を放ち始める。クランベリーからの着信だ。
「あ、アップル様! お元気そうで何より……」
「そちらはなんだか疲れているみたいね。どうかしたの?」
心なしか、クランベリーの顔がやつれているように見える。
「こちらは心配には及びません。アップル様がお元気ならそれで……あっ!」
「言いたい事があるならちゃんと言うべきだ、クランベリーよ」
「――え?」
クランベリーよりも低いが、快活さの溢れる声。それはわたしにとって聞き慣れた声だった。いや、マロンパイでティータイムをしている今は聞きたくない声だった。
「ふはははは! 元気そうで何よりだ、聖女アップルよ。そろそろ俺の声が聞きたくなる頃だろうと思って、こうして神殿へ馳せ参じてやったぞ!」
「はぁ……わたしいま、とっても忙しいんで、回線切ってもいいかしら?」
焦げ茶色の外套とフードで隠しているつもりだろうが、その
貴族の女性達は瞳をハートマークにして、彼の姿を拝む訳だが、わたしは一度もハートマークにした事はない。大事なことなのでもう一度言います。ブライツ王子とわたしはただの幼馴染であり、それ以上もそれ以下もないのだ。
「つれないなアップル。まぁ、そんなところが可愛いんだがな! ははははは!」
「はいはい、で、クランベリーの魔法端末へ割り込んで来て何の用? 用事が無かったら本当に回線切るわよ?」
「アップル様、申し訳ございません。アップル様の所在はワタクシも知らないと言い続けていたのですが、先日ワタクシとアップル様が会話しているところを王子が覗いていたようで……申し訳ございません」
「クランベリーは悪くないわ。覗きは犯罪です! 王子、国外追放の刑ね」
「ははははは! では国外追放のついでにアップルの下へ出向くとしようか?」
だめだ、こいつ……早くなんとかしないと……。
「はわわわわわわわ。ブ、ブブブ……ブライツ王子? ほ、ほほほほ……ほんものーーー!?」
あ、そっか。王子と知り合いってレヴェッカへ伝えるの忘れていたわ。これは……壊れた
レヴェッカは王子に合わせる顔がないと言って、『通信終わったら呼んでください』と両手で顔を覆ったまま、部屋の外へと出ていってしまった。気を取り直して、王子へと向き直るわたし。
「はぁ……で、公務にお忙しいブライツ・ロード・アルシュバーン王子が、国外追放された罪人であるわたしに何の用事ですか?」
溜息を吐きつつ、観念してわたしが彼に用件を尋ねると、それまで笑顔だった王子が目を細め、真剣な表情でわたしへこう告げた。
「単刀直入に言う。アップル。今すぐアルシュバーン国へ還って来い!」
「お断りします」