「パワーくんよ、ワシにあってパワーくんにないものはなんじゃと思う」
「お言葉ですが博士、ボクは博士の完全上位互換なので、博士にあるものはすべて備えているかと」
「お言葉が過ぎすぎるんじゃよ……」
博士は振り返ると、壁際に置かれた数式がびっしりと書き込まれたホワイトボードを裏返して、まっさらな面をこちらに向けた。
「いいかね、パワーくんは確かに賢い。世界中から集められた書物や断片的な資料、その全てを記憶し活用し応用することができる」
「博覧強記ですね!」
博士は『はくらんきょうき!』とホワイトボードに書き込んだ。
「そして、大概の衝撃に耐え、高い自然治癒力に加え、疫病とも無縁の強靭な身体を有しておる」
「風邪ひいたことないです!」
博士は『パワー!』と書き込んだ。
「さらには、食事などといった低効率なエネルギー補給によらず、周囲に無尽蔵に存在するエネルギーを直接高効率に取り込むことで活動維持が可能じゃ」
「うん?」
博士は『低ねんぴ!』と書き込んだ。
「そしてこれはまだパワーくんも知らんじゃろう。パワーくんは50年おきに、生殖機能やツガイを必要とせず単体で増殖が可能なのじゃ」
「えっなにそれ気持ち悪」
博士は『キモい!』と書き込み、すぐに気まずそうにそそくさと全部消した。
「ワシはパワーくんに、なるべくたくさんのものを与えてきたつもりじゃ。しかしついぞ、この真っ白なホワイトボードのように、この真っ白なホワイトボードのようにぃ! 与えてやれなかったことがある」
焦ってうっかり消してしまったホワイトボードの書き込みを逆手にとって、上手いことを言ってやった顔をしている博士をさえぎってボクは問いかけた。
「ちょっと、ちょっと待ってください博士。さっきから一体なんなんですか。あと与えられなかったの例え、多分上手くないです」
「う、うむ、与えられなかったのは他者との交流なんじゃがの。うむ、上手くはないか」
博士は赤面しながら続けた。
「パワーくんがワシと生活をはじめて、もう10年が経つじゃろう。そろそろ頃合いかと思っての。そう、パワーくんには、『出自を知る権利』がある!」
博士はそう言うと、窓を模した11枚のディスプレイ(ウインドウズ11)のひとつに近づいた。
窓からはいつも、リンゴの木とビルとマックという物体が見え、空の色でだいたいの時間が分かるようになっていた。空の青さにリンゴの赤、ビルの銀色にマックの半透明。白と黒のこちら側とは違い、そこにはありとあらゆる色彩があった。
「出自もなにも、ボクは博士の孫で、必要なものは全て手に入るこの居住スペースでずっと暮らしてきましたよ」
出自を知る権利だなんて、急にどうしてしてしまったのだろう。今さら知るまでもなく、ここでの生活のことは生まれた時から全て記憶しているのだ。
「必要なものは全て手に入る……。そのようにワシがしたんじゃ。外では何も手に入らないからの。これを見るんじゃ」
博士は手首に装着している端末を操作すると、またたくまにウインドウズ11が荒廃した風景を映し出した。
地面に多少の起伏はあるものの、背の高いものが何もない寒々とした風景。そしてなにより。
「はい〜」
この間ボクが発明した、灰色の形容詞形が役に立った。右手の手のひらを前に向けて、顔の近くに持ってくるとなぜか落ち着く。
「これが本当の外の景色じゃ。この惑星は、三度の大きな戦争でヒトもモノもおおいに疲弊したところへ隕石の落下を受けての。ワシだけが残ったということじゃ」
「えっ博士だけが残るって、そんなことあります?」
「なんせワシはパワーくんの完全下位互換程度には賢く頑丈じゃからの」
博士は根に持つタイプだ。というか比較対象がなくて意識してこなかったが、ボクも博士も記憶を失わないのだ。
「それじゃあ、これまで窓に映し出されていた景色は」
「ワシがデザインしたんじゃ」
博士はなかなかのセンスじゃろう、と自慢げにうなずいたが、ボクはそりゃあもうなかなかのセンスでしたよと心の中でつぶやくにとどめた。
「そうだ、さっき博士は他者との交流のことをおっしゃいましたけど、小説を作者との対話だと言って渡してくれたのは博士じゃないですか」
「あれもワシじゃよ」
「えっ……。いやそんな、博士、それじゃあ、お芋ご飯炊けた信玄先生の『母さんに叱られたので闇堕ちしてみた』シリーズも……」
「ワシじゃよ」
ショックだ! これはあまりの仕打ちだ! ボクはこれまで作者に向かって推しキャラや考察を語り散らかしていたというのか!それどころか同人誌まで作って! それを博士に! ああ!
「……嬉しかったぞい」
ぞい、じゃないよ、頬を赤らめるな!
「くそぅ……でもだいたいの状況は掴めましたよ。ホワイトボードの数式、また隕石がくるんですね」
「さすがパワーくん、話が早いのう。であればもうわかっておるじゃろう。今度のは小惑星クラスで、ワシにはとても耐えきれんことも」
残された時間が少ないことも、小惑星の衝突によるその衝撃や環境の変動に、博士によって造られたボクは耐えられてしまうことも、わかってしまった。
「本当は、多種多様な生命にあふれた、この惑星(ほし)の本来の姿をワシがパワーくんに見せてやりたかった。じゃがそれは叶わぬ願いのようじゃ」
そこでじゃ、と言って博士の私室へと通じるカーテンを開けた。淡く白く、脈打つように光る物体に目を奪われた。
「これは方舟という。この惑星に生命を宿すのにきっと役立つじゃろう。これをパワーくんに託したい。しかしこれがとても重くてのう」
「それじゃあその方舟、ボクがこっちに運ぶね」
やられた。普通にシリアスな話の中でダジャレトラップを仕掛けてくるとは。いったいなんの意味があるのか。
博士はニヤニヤしながら言う。
「もしパワーくんがワシの意志を継いで、この惑星に生命を取り戻そうとしてくれるのなら、何千年か何万年後かはわからんが、ワシとほとんど同じ組成をしたもう一人のワシといっていい個体が生まれることもあるじゃろう。そのワシが、豊かなこの惑星を目にしてくれたら、こんなに嬉しいことはない」
博士の顔をニヤニヤと認識したのを内心恥じた。
改めて見てみれば、まるで御仏の御尊顔ではないか。人は、生命は、これほどまで美しく輝けるのだ。
「わかりました、博士。ボクがこの惑星に生命の輝きを満たしてみせます。そして、きっと博士と再会します」
機は熟した。ボクは満を持して提案する。
「つきましては博士、残り少ない時間を使って、これまで秘匿されてきた、大人のお姉さんと楽しくお喋りをしたりお酒を飲んだりする文化からご教示願います」
「ふむふむ、パワーくんも大きくなったのう」
博士はとびきり下品なニヤニヤを見せた。
終