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第36話 お兄様はシスコンにジョブチェンジする。


 入学してから麗子がおかしくなった。


 いや、違うか。最初から妹はかなりおかしかった。だから、一段とおかしくなったと言うべきかな。


 だけど、ここ最近やたらと僕に説教じみた話をしてくるんだよなぁ。やっぱり変だ。


「その昔、中国に偉大な英雄、呂布奉先りょふほうせんという者がおりました」

 なんで三国志?


 麗子は突拍子もなく変な話を振ってくることが多い。どこで覚えてくるのか、麗子の知識量は膨大だ。かなり偏っているけど。


 しかも、たいてい話の中に何かしら含みを持たせているんだよね。だから、裏を読まないといけないから気が抜けない。


 さて、今回はいったい何を企んでいるのやら。


 ……明智光秀の三日天下? 最後の晩餐のユダ・イスカリオテ?


 極めつけはジュリアス・シーザーの『ブルータス、お前もか』ときたよ。どうやら麗子は僕が裏切り者となるのを警戒しているみたいだ。


 でも、どうして?


 いや、確かに前まで僕は家を出ようと考えてはいたよ。だけど、そんな素振りは微塵も表にだしていなかったはずなんだけど。


 それに今では清涼院家を継ぐのに前向きになってるし。父さんや母さんにも前ほどの忌避感はない。むしろ、家族仲は良いと評判だ。


 どうして麗子は急に僕が家族を裏切るって思ったんだろう?


 どう考えても思い当たる節はないんだけどなぁ。


 なんとか芸術やシェークスピアに話をそらして回避してみたんだけど、すぐに話題を裏切りに戻すんだよね。ホントやめて欲しい。


 なんで僕はこんなに疑われているんだ?


 麗子に猜疑さいぎの目を向けられると胸が苦しくなってくるよ。こんなにも麗子に嫌われたくないと思うなんて。


 どうやら僕は自分で思っていた以上にシスコンだったらしい。


 家に帰れば麗子の猜疑の追求に晒される日々。勘弁して欲しい。まるで浮気を疑われ亭主だよ。冤罪で責められては堪らないよね。彼らの気持ちが理解できたよ。僕はまだ小学生なのになぁ。


「お兄様、人が生きる上で利益を求めるのは必要なことです。ですが、富とは全て目的を達成するための手段に過ぎませんわ」


 麗子の言う事は正しい。正しいんだけどさ。それって小学一年生の言う事かな?


「銀銀貨三十枚ですわ。けっして目先の利益に釣られてはなりませんわ」


 僕はいつユダになったんだい?


「キリストはそんなユダさえ許す広い心をお持ちでした。全ての人の罪を、十字架と共に背負われたのです」


 麗子が手で十字を切った。いつの間にか麗子はクリスチャンになっていたらしい。


「お兄様、汝の罪を許しましょう」


 そして、僕はどうやら知らぬ間に罪を犯していたようだ。


 麗子の奇行は家の中に留まらない。学園でも菊花会クリザンテームのサロンでコンシェルジュの一人とコソコソしているのを見かける。


 麗子とつるんでいる彼女の名前は各務かがみさゆりさん。


 実は恥ずかしい話、ほんの少し前まで僕は彼女の名前を知らなかった。どうやら、僕は知らぬ間にコンシェルジュを対等の相手として見ていなかったのかもしれない。あんなに選民思想に染まっている両親を嫌っていたのに。


 それを気づかせてくれたのも麗子だ。


 麗子はコンシェルジュともよく談笑している。麗子は身分の垣根など最初から無いかのように振る舞うのだ。


 僕もそれを見習うことにしよう。


 ただ、さゆりさんは要注意だ。彼女が麗子を見る目がちょっと怪しい。明らかに麗子だけ優遇しているし。いつか麗子をかどわかすんじゃないか?


 あっ、こら麗子、飴に釣られてトコトコさゆりさんに近づくんじゃありません。妹よ、清涼院家の者が餌付けされるんじゃない。お願いだからスイーツに釣られて誘拐されないでくれよ。


 兄はおまえの将来が心配だ。


 まあ、こんなふうに妹の行動に一喜一憂する僕は立派なシスコンになっていたらしい。もっとも、麗子の方もたいがいなブラコンだけど。


 学園のサロンにいる時、麗子は僕の側を一時も離れないくらいだ。


 ははーん、僕を他の女の子達に取られないように牽制しているんだな。僕の周りは女の子達が多いからね。嫉妬しているのかな?


 ふふ、やっぱり麗子はブラコンだなぁ……ん?


「避難所!」


 麗子が僕の袖をヒシっと掴んできた。


「えっ、なに?」

「……じゃなかった、お兄様!」


 ……麗子は僕を文字通り避難所にしていたんだ。勘違いして自惚れていた自分が恥ずかしい。


 よく観察していたら、麗子はどうにも和也君と瑞樹君を避けているようだ。女子が集まる僕の側が安全だと学習したんだね。


 あの二人は女子生徒を敬遠している。まあ、あのルックスに家柄だからね。女子がわずらわしいと思う気持ちは理解できる。僕にも経験があるからね。


 それにしても、あの二人に対する麗子の警戒ぶりは度を越している。まあ、和也君は特に麗子をきつく睨んでいることが多いから、その気持ちはわからなくもないけど。


 ほんと、和也君はずいぶん麗子を敵視しているよね。恐らく久条美咲さんが関係しているんだと思うけど。


 久条美咲――五摂家の一つ久条家本家のご息女で、容姿端麗、才気煥発、温厚篤実を絵に描いたような完璧お嬢様だ。


 外面だけ取り繕っている麗子とは大違い。本物の良いとこのご令嬢である。まあ、可愛さに関してはうちの麗子の方が上だけどね。うん、はっきり言って麗子は可愛いすぎる。


 ただ、世間一般では麗子より久条さんの方がモテるんだよなぁ。


 久条さんは男女問わず人気がある。彼女とお近づきになりたい者は少なくない。美咲さんに想いを寄せている和也君はそれが面白くないらしい。


 美咲さんに近寄る者に狂犬よろしく吠え立てる。きっと、彼が麗子を敵視するのは久条さんが麗子に興味津々なのが気に入らないのだろう。


 どうやら和也君や瑞樹君には麗子の魅力は通じないらしい。久条さんを初め、麗子を可愛がっている上級生は多いのに。


「お兄様、お兄様、これとっても美味しいですわ」


 さっきまでさゆりさんとコソコソしていた麗子がケーキのお皿を持ってやって来た。また餌付けされたようだ。やっぱり、さゆりさんは要注意人物だな。


 麗子がスプーンでモンブランケーキをすくって僕の目の前に差し出す。


「はい、アーン」

「ありがとう……ん、かぼちゃかな?」

「ええ、そうですわ。キッシュケンヅカの季節限定品ですわよ」

「本当に美味しいね」


 でしょっと胸を張って、限定、限定と鼻歌混じりにはしゃぐ様子に思わず笑みが漏れてしまう。


「だけど麗子、あまりさゆりさんと結託してサロンを私物化してはいけないよ」

「あっ!?」


 僕が釘を刺すと途端に麗子がしまったと目が泳ぎ出す。


 せっかく隠れて好みのスイーツをさゆりさんに取り置きしてもらっていたのに、自分からバラしてどうするんだ。


 迂闊な行動と挙動不審な様子がおかしいやら可愛いやら。見れば僕の周りの高学年の女子も麗子の愛らしさにほっこりしている。


 あれ、そう言えば、麗子の周りは歳上ばかりだ。思い返してみれば、麗子はなぜか同級生からは恐がられている節がある。


 どうしてなんだろう?


「お兄様、このことはどうかご内密に」


 みんなの前だからバレバレなのに、シーッと人差し指を唇の前で立てる麗子は、こんなにも可愛い生き物なのにね。

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