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第35話 コンシェルジュはお嬢様を愛でる。

「ごきげんよう、さゆりさん」


 それは周囲に聞こえない囁くような声。かろうじて私の耳に届いた。まあ、他の生徒に聞かれたら、お互いちょっとまずいものね。


「ごきげんよう、麗子様」


 他の生徒にバレないよう私がこっそり挨拶を返すと、見事な縦ロールの少女が嬉しそうに破顔した。


 うん、今日もすっごく可愛い!


 だけどこのドリル、いつもカッチリ巻き巻きにされてて凄い。毎日どうやってセットしているのかしら?


 なんだか少女マンガから飛び出してきたみたいよね。ちょうどこんな感じの縦ロールの意地悪な悪役の女の子がはやった時代もあったなぁ。


 あっ、悪役と一緒にするのは失礼だったわね。


 ――清涼院麗子様


 名門、私立大鳳おおとり学園に入学したばかりのまだ小さな小さな女の子。


 だけど侮るなかれ、彼女の清涼院家は五摂家に次ぐ清華家の家柄なのだ。しかも、大きな会社を幾つも持ってる大グループなのよ。ちっちゃな体で色々と大きなものを背負ってるの。スゴい!


 ここ私立大鳳学園は名士名家の子女がごろごろいる超名門校である。その中でも頂点とも言うべき子供達が集うのが、菊花会クリザンテームのサロンなのだ。清涼院家はその中でもトップクラスの家柄ってわけ。


 菊花会というのは、まあ言うなれば生徒会のことなんだけど、普通の学校と違って学園の教師さえ口出しできない権力を有しているの。だから、菊花会に入れるのは選ばれた子供達だけ。みんな小学生とは思えないほど大人びていて優秀。


 だけど、良家の子女だけあって、かなり尊大なのよねぇ。初めて赴任した時、お貴族様かと思ったわよ。まあ、世が世なら本当にお貴族様だった子供達ばかりなんだけど。


 それに大企業のご子息とかもいて、粗相をすれば私達の首が飛びかねない。彼らにとってコンシェルジュなんて路傍の石と同じ。だから、ここに派遣されたみんな戦々恐々なの。子供相手といえど、きちんとお客様として対応しないとまずいってわけ。


 その筆頭が清涼院雅人様。


 いつも微笑んでいて、物腰の柔らかい美少年。だけど、それに騙されちゃダメよ。あの笑みは昔で言うアルカイックスマイルってヤツなんだから。


 いつも付け入る隙がない。これがホントに小学生かって、内心で冷や汗が出まくり。うかつな失敗をしたら本当に切り捨てられそうな鋭利な刃物。雅人様はそんな印象を受ける子供だった。


 なので、私はいつも内心ビクビクしながら働いていたの。ちょっと長居したくない職場よね。さっさと寿退社しようかなぁ。ちょうど彼氏からプロポーズされたし。


 ところが、ある日を境に菊花会クリザンテームが突然変わった。


 ――その日は新一年生の入学式だった。


「こんにちは」


 私がサロンで仕事をしていたら、驚くことに挨拶された。見れば可愛い女の子がにっこり笑っている。うわぁ可愛い子だなぁ。


「こんにちは」


 あまりの愛らしさにほっこり。私は思わず笑顔で返してしまった。いかんいかん。


 今まで菊花会クリザンテームのメンバーにまともな挨拶されたことがなかったから面食らってしまった。


 私達はコンシェルジュ。菊花会クリザンテームのメンバーとは線を引いて対応しないといけない。彼らも私達に話しかけるのは仕事の依頼の時だけ。


 明らかに私達を見下している子もいるけど、全体的にどちらかと言うと無関心。私達を人とも認識していないかもしれない。


 名士名家の子女はそんな感じ。清涼院雅人様や久条美咲様はとてもよくできた子供だけど、やっぱり私達に感心は向けない。


 だけど、目の前でニコニコ笑う女の子は……少しキツイ目つきだけど、フランス人形みたいに綺麗。肌は白くツヤツヤ。黒髪も長くさらさら。縦巻きロールだけど。


 立ち振る舞いに品があって、一目で良いところのお嬢様だと分かる。サロンに来ているのだし、この子も良家の子女であるのは間違いない。髪型ドリルだけど。


「今日からここでお世話になります」


 彼女はぺこりと頭を下げた。これにはびっくり。だけど、雅人様がすぐに飛んで来て女の子にコンシェルジュの説明をした。どうやら女の子は雅人様の妹さんらしい。


 ああ、なるほど。私を教師と勘違いしたのね。


「でも、これからお世話になるのですから、挨拶くらいはよろしいですわよね?」


 ところが、説明を受けても彼女は屈託ない笑顔でよろしくお願いしますと頭を下げてきた。


 うっ、なんて素直で可愛いの。


 六歳にしては整いすぎた顔、きつく吊り上がった目。恐ろしいほど綺麗なのに、へにゃって笑うとギャップがすごい!


 こっちも表情が崩れそうになったけど、雅人様に睨まれ慌ててキリッと。


 う〜、だけど破壊力ヤバすぎでしょ。


 これが私と麗子ちゃ……様との出会いだった。


 それから麗子様はサロンに来ると私のところへ挨拶にやって来てスイーツを頼んでいくようになった。ん、逆かな。スイーツを頼むついでに私に挨拶しているのか?


 試しに彼女の好みでスイーツを揃えたら、笑顔が完全にへにゃった。可愛い。


 あまりに可愛いので、麗子ちゃん……様の好むスイーツや飲み物を優先的に揃えたり、コソッとお菓子を横流ししてたら懐かれた。


 日本トップのお嬢様は食べ物で買収できるらしい。誘拐されないか心配だ。


 麗子ちゃ……様。ああ、もういいや。麗子ちゃん。そうだ。私は麗子ちゃんと心の中で言っている。だって可愛いんだもん。


 そのせいで、以前うっかり口に出して麗子ちゃんと呼んでしまったことがある。


「私のお母様も麗子ちゃんって呼ぶんですのよ」


 そういって彼女はパッと花が咲くように笑った。普段は人形みたいに冷たく整った顔がいきなり血が通ったように嬉しそうに笑うのよ。可愛すぎでしょ。くッ、なんて破壊力!


「さゆりさんには親近感が湧きますわ」


 それは私が麗子ちゃんのお母さんみたいってこと?


 最初は未婚の自分が子持ちの年齢と見られるのはと思ったけど、清涼院家の夫人を直に見て納得。


 あれが二児の母親とは。とても三十を超えてるとは見えない。私と同い年と言われても納得しそうだ。女優と勘違いしそうな美女である。


 隣に立つ麗子ちゃんパパは悪人ヅラだけど。政略結婚なんだろうなと思ったら恋愛結婚だったらしい。


「びっくりでしょ」


 麗子ちゃんは悪戯っぽく笑った。


 こんな暴露話までするくらい麗子ちゃんは私に気を許している。サロンにおける彼女の一番のお気に入りになったのは間違いない。全部お菓子という賄賂の賜物だけど。


 麗子ちゃんはお菓子で簡単に懐柔できるのだ。

 ホント、いつか誘拐されるんじゃないかしら?


 ときおり、私も麗子ちゃんをさらいたくなるくらいだもの。

 ああ、私も麗子ちゃんみたいな可愛い子供が欲しいなぁ。


 こんなに可愛い麗子ちゃんにメロメロなのは私だけではない。いつも上級生の女子生徒からマスコットみたいな扱いを受けている。


 そんな麗子ちゃんが菊花会クリザンテームを変えたのだ。


 まず、激変したのが雅人様。私達に対する言葉に温もりを感じるようになった。麗子ちゃんがいるととろけるような甘い微笑みになる。あれは完全にデレてるな。あのアルカイックスマイルが完全に目尻が下がっていやがる。


 重度のシスコンめ。


 まあ、麗子ちゃんもお兄様好き好きオーラ全開のブラコンなんだけど。いっつも雅人様にべったり甘えている。麗子ちゃん、お兄ちゃんばっかりじゃなく、もっと私にも甘えて良いのよ。


 ほら、飴ちゃんあげようか?

 あっ、ホントにこっち来た!


 トコトコ、トコトコ可愛いなぁ。

 このままお持ち帰りしたいなぁ。


 それから他にも久条美咲様、千種舞香様など主だった女子メンバーが前より華やいできた。きっと自然な笑顔がこぼれるようになってきたからかな。それに釣られてなのか、サロンの子供達の表情が柔らかくなった。


 どこか灰色に感じていたサロンが一気に色づき、無機質で冷えていた雰囲気が温かくなり血が通うようになっていた。


 そして、大きく変わったのは私も同じ。


 相手は自分達をいつでも罷免できる。それを恐れて、いつしか淡々と与えられた仕事をこなすだけになっていた。


 だけど、それではいけない。私達はコンシェルジュなのよ。子供達が壁を作っているからと言って、こちらが歩み寄るのを忘れてどうするの。


 私はコンシェルジュの本質を忘れていた。相手が誰であろうと、どんな態度であろうと関係ない。真心をもって要望に応え、常にお客様に寄り添うのがコンシェルジュ。


 何かあれば我々コンシェルジュを頼れば良いと思っていただければ、それが我々の喜びとなる。麗子ちゃんはコンシェルジュの初心とやりがいを思い出させてくれた。


 麗子ちゃん以外のメンバーにも親身に対応するよう心がけよう。そんな姿勢のおかげだろうか、私に対する一部の生徒の反応が変化した。


 特に変わったのは雅人様である。以前まで、あの方は私の名前を呼んだことがなかった。私の名前を知っていたかも怪しい。


 ところが、最近になって雅人様は私を名前で呼ぶようになったのだ。きっと、彼の中で私達コンシェルジュが路傍の石から『人』としての扱いになったんだと思う。


 麗子ちゃんは菊花会クリザンテームも我々コンシェルジュも良い方向に変化させてくれた。


 だから、ちょっとだけ麗子ちゃんの傍にいたい。彼女をもっと見ていたい。そんな想いを彼も理解してくれて、私は寿退社するのを保留にした。


「麗子ちゃん、麗子ちゃん」


 小さな声で呼んでちょいちょいと手招きすると、まるで後ろ暗い取り引きでもするかのようにキョロキョロと辺りを見回してから麗子ちゃんが近寄ってきた。


「ふっふっふ、して本日の献上品は?」

山吹やまぶき色のモンブランにございます」

「各務屋、おぬしも悪よのぉ」


 私がうやうやしくケーキを差し出すと麗子ちゃんが悪い顔で笑う。麗子ちゃんはいつもノリがいい。


「むっ、これはかぼちゃのモンブランか!?」

「キッシュケンヅカからハロウィン季節限定品を取り寄せました」

「限定〜♪」


 麗子ちゃんの顔がにへらと崩れる。日本屈指の名家のお嬢様は意外にも限定品がお好きらしい。


「美味♪美味♪」


 モンブランを頬張る麗子ちゃんはとても幸せそうだ。


「さゆりさん、さゆりさん」

「なーに?」


 秘密のお話でもするように、麗子ちゃんが口に両手を当てて私を呼ぶ。私が屈んで視線を合わせると、麗子ちゃんはスプーンで一口分すくってスッと差し出してきた。


「はい、さゆりさんもどーぞ」


 思わずあーんっと一口パクっと。

 口の中にほど良い甘さが広がる。


「ん~、美味しい」

「ふふふ、これでさゆりさんも共犯ね」


 くすくすと麗子ちゃんが悪戯っぽく笑う。


 あゝ、麗子ちゃんは今日も可愛い。

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