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第33話 麗子様は月舟の彦星を迎える。

 滝川グループのホテルは高級の前に超が付く。建物も立派で近代的だ。ところが、その屋上には本格的な日本庭園がある。


 石と築山が絶妙で、まるで自然の庭にいるかのよう。都内のホテルの屋上であることを忘れさせてくれる。


 春には桜と新緑、夏には満天の星空、秋には燃えるような紅葉、冬には雪化粧と四季折々の顔を見せてくれる、侘び寂びを忘れぬ粋で雅な空間――とネットの口コミで絶賛されていた。


 いったい幾らかかってるのやら。


 そんなお金を心配してしまう私は侘び寂びよりも、山葵わさびで蕎麦をズズッとすする方に粋な江戸っ子を感じる。日本有数のお金持ちとなっても根っからの庶民は抜けないようだ。


 さて、滝川グループの無尽蔵に沸き出る資本で造られた日本庭園には、それは見事な曲水が作られている。春には曲水の宴が催され、束帯や唐衣裳に身を包んだ公家姿の男女が詩歌を競い合うのだそうだ。なんとも風流な話である。


 そんな曲水を本日は天の川に見立てて七夕ごっこをするらしい。


 ――かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける


 三十六歌仙の一人、大伴家持おおとものやかもちが歌った詩によれば、中国ではカササギの橋を織女しょくじょが渡って牽牛けんぎゅうに会いに行くそうだ。残念ながらここは日本で、都心にカササギはいない。


 残念だ。カササギがいないのでは天の川は渡れない。とても悲しいことだが、今年も織姫は彦星に会えないようだ。


 それではまた来年。いやー、ホントに残念だなぁ――となれば良かったのに。


 カササギがいない日本では織姫と彦星は一年に一回の逢瀬もままならない。それはあまりに不憫だ。よし、我々が織姫と彦星を会わせてやろうじゃないか。


 つまり、お人好しの日本人にはお節介な者が多かったのだ。


 ――彦星の妻迎え舟つまむかへぶね漕ぎらし天の川原かわらに霧の立てるは


 とは山上憶良やまのうえのおくらの詩歌である。


 カササギの橋がないなら天の川を舟で渡れば良いのさ。ちょうど夜空には三日月が煌々と輝いているではないか。あれぞ舟。月舟じゃ。と、昔の歌人達は彦星に舟という文明の利器を渡してしまった。ちっ、余計なマネを。


 清涼院家は清華家の家柄。高貴な貴族である以上、きっと宮中でご先祖様も意気揚々と織姫と彦星の恋歌を高らかに披露したに違いない。


 くっ、千数百年先の子孫が、そのせいで苦しむとは思わなんだか。なぜそこで織姫彦星なるリア充を舟ごと爆破する詩歌をそらんじなかったのか。恨むぞご先祖様。


 つまり、日本では彦星が舟に乗って織姫に会いに来るわけだ。そこで私と美咲お姉様は小川の畔で船に乗って曲水を下ってくるお兄様と滝川を待っているところである。


 しかし……


 私はちらりと隣の美咲お姉様を盗み見る。


 長い黒髪が風にさらりと流れ、瞳はぱっちり大きい。着物から覗く肌は白く、指はほっそりしている。完全無欠の美少女だ。薄桃色の天女コスがまるで彼女のためにあつらえたよう。


 誰が見てもザ・織姫である。

 そこに疑う余地はあるまい。


 逆に私はどうだろうか。


 清涼院麗子は美少女だ。それもただの美少女ではない。ビスクドールのような造形美のだ。だから絶世の美少女と言っても過言ではない……はず。


 だが、なんだろう。私が織姫スタイルをすると、それじゃない感がハンパない。美咲お姉様と並ぶと私の織姫姿はよりいっそう惨めなものになる。


 くっ、なんだこの敗北感は。


 かたやお淑やかな本物の織姫、かたやドリラーの悪人顔のまがいもの。周囲からやーいやーいパチモンと嘲笑されていやしまいか?


 早くこの晒し者状態から救い出して欲しい。もう星に願うまいと誓ったが、助けてくれるならまた星信仰を取り戻しても良いとさえ思えてくる。


「あっ、二人が来たみたいよ」


 そんな私の願いが届いたのだろうか、美咲お姉様の指差す方を見れば、月舟に乗った二人の彦星が登場した。


「月の舟と言うよりゴンドラですわね」


 うん、まんまベネチアだ。そんなゴンドラに彦星スタイルはちょっとシュールな気もする。私の指摘に美咲お姉様も苦笑い。


「そこまで手が回らなかったのかしら」

「片手落ちですわね」


 まあ、舟を造るのも簡単ではない。いきなり月の舟を設計しろと言われても、安全面も保証できないから設計士さんも困るだろう。


 それならゴンドラで代用すれば良い。形もちょうど月に似ている。そうだそうしよう。と言うのが事の真相ではあるまいか。この予想はおそらくそれほど外れていまい。


 まあ、お母様達は私と滝川が織姫と彦星になればそれで良いのだ。目的は七夕祭りそのものではないのだから。


 保護者の観覧席をチラッと盗み見れば、とんでもない美女が並んでいた。金持ちの奥さんは美人率が高いんか?


 あっ、和風美人がこっち見てにっこり。黒髪ロングで着物がよく似合う。着物ええな〜。しかし、どことなく美咲お姉様の面影があるような。


「あちらの着物姿の美しい佳人は、もしや美咲様のお母様ですか?」

「ええ、そうよ」


 やはりか。とても優しそうだ。それにしても、なんだか熱い視線を感じるな。自分の娘を見ているのだろうが、なんとなく目が合ったような気がする。


「お母様もね、麗子ちゃんに興味津々なのよ」

「そうなんですの?」

「だって、麗子ちゃん可愛いもの」


 母娘そろってドリルがお好みらしい。私のお母様と気が合うかもしれない。今度、家に遊びに来ないかと美咲お姉様に誘われたが、丁重にお断りした。これ以上、滝川に睨まれたくない。


「母の右隣が瑞樹のお母様よ」


 その隣もやはり絶世の美女だった。間違いない、確かにあれは早見ママだ。早見のヤツ、やっぱり母親似だったか。女装が似合いそうだと思ったのだ。織姫を代わってくれれば会場が盛り上がっただろうに。残念。


 そして、最前列に陣取っている美女がお母様と滝川ママ。やはり、この二人もすごい美女だ。我が母ながらなんつーハイクオリティ。


 そして、居並ぶ夫もみんなイケオジしかいない。なんだこのイケメン率は。顔面偏差値が高くないと金持ちになれんのか?


 登場人物はイケメン、美少女ばかりで、その親はみんなイケオジ、美女ばかりときたもんだ。


 さすが少女マンガの世界。こう美男美女ばかりだと間違ってアカデミー賞授賞式に来てしまったのかと錯覚しそうだ。


 おや?


 ハリウッド男優の中に一匹メタボなタヌキが混ざっているではないか。


 あっ、タヌキがこっち見て手を振った。まったく、馴れ馴れしい。いったいどこから入り込んできたのか。完全に場違いだろ。


 ん、なんだ我がお父様か。こう美男美女ばかりだと、タヌキを見て少しだけ気持ちが和む。やはり、あれは清涼院家のゆるキャラらしい。


「麗子ちゃん、雅人様と和也が到着よ」


 我が家のタヌパパンに気を取られている間に、ゴンドラもとい月舟が接岸したようだ。


 さて、一世一代の大芝居を始めますか。


「とっても凛々しいわぁ」

「私もあんな彦星が迎えに来てくれないかしら」

「ホント織姫が羨ましい」

「だけど、なんで織姫があの女なの」

「そうよねぇ、美咲様は納得ですが、あの縦ロールで織姫はありませんわよねぇ」


 にっこり笑顔の超ステキな彦星とむすっと仏頂面の彦星が舟から降りてくると、同世代の女の子達からうっとり吐息と羨望の眼差しと共に私へのやっかみの声が聞こえてきた。


 うっ、胃が痛い……

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