楓ちゃんと椿ちゃんには、キツく釘を刺しておいた。
私と滝川の婚約話は、まったくのデタラメであると。
これ以上、変な噂を流されてはたまらん。外堀埋められて、ホントにヤツと婚約させられたら私は破滅なんだからね。
その代わりと言ってはなんだけど、二人にはジルベール滝川の情報を
私は愛憎劇を五割り増しに盛って、面白おかしくジルベール滝川物語を活動弁士よろしく熱く披露してあげた。二人ともキャーキャー黄色い声を上げて喜んでくれたので、私も大いに満足である。
そんな悪役総合商社清涼院は社員にきちんと娯楽を提供する、福利厚生の行き届いた優良企業です。
腐っ腐っ腐っ、どうやら楓ちゃんはセルジュ早見×ジルベール滝川の正統派に琴線が触れたようね。ボーイッシュで真っ直ぐな楓ちゃんらしいわ。
逆に、お嬢様風の椿ちゃんはジルベール滝川×オーギュスト雅人にどハマりした。おっふ、大人しい見た目に反して、焦らしてイジメる腹黒攻めがお好みらしい。
二人とも耽美と倒錯のイカれた腐臭の世界へようこそ!
さて、これで学園に広がった私と滝川の婚約の噂は、麗しき衆の道の話題で上書きできるでしょう。ふーっ、やれやれだぜ。
そして、ジルベール滝川が学園のホットな話題となる頃には、ジメジメして不愉快指数が急上昇する季節になっていた。
我が家の広い庭には、しっとりした雨に濡れながらも、色とりどりの紫陽花が綺麗に咲いている。その葉にカタツムリが休んでいるのは、もはやこの季節の風物詩。
そう、THE・TU・YUだ。
この時期は気温も上がって湿度も上がりやがる。カビのヤローどもが大喜びして小躍りしているに違いない。きっと、億万の微生物どもに、家政婦さんの藍田さんが泣いていることだろう。なんせ清涼院家の屋敷は広いから。
じっとり嫌な汗が滲み、シャツがべったり肌に纏わりつく。いやぁねぇ、まったくもって鬱陶しい。日本人にとって嫌いな季節トップスリーに入るのではあるまいか?
でも、そんなことは関係ない。私はどんなに暑苦しくとも、どんなに鬱陶しくとも、愛しのお兄様にくっつき虫となってべったり甘えるのだ。
今日も今日とて、ガンガンにクーラーを効かせた部屋で、冷えた体に暖を取ろうとソファーに座るお兄様に突撃!
「麗子、こっちにおいで」
ところが、今日はお兄様の方から、おいでおいでと手招きされた。珍しい。
うーん、だけど、お兄様の笑顔が黒いわ。これは何かあると、私の勘が危険を告げている。麗子のドリルセンサーがバリサンだぜ。
しかし、私は誘蛾灯に誘われてしまう羽虫のごとく、フラフラとお兄様の元へ。はーい、ただいま参りまーす。
危ないと分かっていて、なぜ行くのかって?
それはそこにお兄様がいるからだ。麗子は、何があってもお兄様の愛を受け入れますわ!
私の定位置お兄様の隣にチョコンと座れば、お兄様に逃がさないよと肩を抱き寄せられた。
んっまっ、お兄様ったら、いくら家の中だからってだ~いたん。麗子、嬉し恥ずかしっ!
「またおかしな噂を流しただろう」
「はて、なんの事でございましょう?」
急に何でしょうか?
「ここのところ、ちょっと困ったことになっていてね」
「まあ、お兄様を困らせるような噂が流れているんですの?」
きっと、超優秀で超モテモテのお兄様を妬んでの犯行ね。
「初等部が出所みたいなんだけど?」
「私は特に何もしておりませんが?」
いったいどこの不届き者なの?
我が愛するお兄様に風評被害を与えるなんて。
「本当にわからない?」
「お兄様は私をお疑いなんですの?」
うーん、まったく心当たりがありません。
「最近、おかしな熱い視線を男性陣から向けられるんだけど」
「まあ、そうなんですの」
老若男女を問わず魅了するお兄様なのですからさもありなん。さすおに、さすおに。
「初等部ではジルベールとかセルジュとかが流行っているそうだけど、いったい何のことなんだい?」
「えっ、あっ!……さ、さあ、麗子は下世話な噂には、とんと
サッと目を逸らしたけど、顎をクイッて。イヤン。
「へぇ、そうなんだ」
や、やべぇ。お兄様の目が笑ってない。
「ふーん。ところで僕の周囲でオーギュストって単語をよく耳にするようになったんだけど、麗子に何か心当たりはない?」
どうやら初等部で巻き起こった風と木の歌の大合唱は、遠く中等部にまで鳴り響いているらしい。そして今では、中等部でも一部生徒の間で口ずさまれているようだ。
隣から聞こえてくる音楽に影響を受けて歌ってしまうことってあるよね。
「も、申し訳ありませんが、何のことやら麗子にはさっぱり」
すっとぼけてみたけど、お兄様の微笑みが一気にドス黒くなってしまわれた。
あゝ、やめてくださいまし。私の愛するお兄様はもっと黒さをオブラートに包み込まれる方ですわ。
「あんまり変なことはしないでくれよ」
「……」
これは全部バレてーら。
お兄様から親族の男達にまた熱い視線を向けられるよってボヤかれてしまった。でもまあ、お兄様なら大丈夫でしょ。
釘を刺されてしまったので、熱く萌える噂にせっせと薪をくべるのを止めた。
人の噂も七十五日。
ジルベール滝川を巡るセルジュ早見とオーギュスト雅人の物語は、色褪せるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
むしろ、延焼が酷くなっている感さえある。私が黙秘を貫いても、楓ちゃんと椿ちゃんがせがんでくるのよぉ。
ごめんなさい、お兄様。麗子には、もうどうする事もできません。
覆水盆に返らず。やっちまった事は仕方がねぇ。
心機一転、気持ちを切り替えていきましょうや。
それよりも、私には成し遂げねばならぬ事がある。
「お母様、お願いがあります」
お母様にハッキリ主張しなければならないのだ。
「どうしたの麗子ちゃん、そんなに改まって」
ずいっと私が迫れば、お母様は片頬に指を当ててコテンと小首を傾げた。くっ、可愛い。でもでもお母様、そんなにあざと可愛い仕草で私は誤魔化されませんから。
「今日こそは絶対に私のお願いを聞いていただきます!」
なぜならこれは、今後の私の一生を左右する重大事なのだから。
「私、このドリルを卒業します!」