まあ、早見が石像に連れ去られ地獄へ堕ちそうになったら、アリア『ああ、お許しください、皆様がた』くらいは歌ってやろう。
あれレポレロの命乞いの歌だから、ドン・ファンにどんだけ効果があるか知らんけど。
「それにしても、美咲様と懇意にされている女生徒は他にもおりますわ。それなのに、滝川様はどうして私ばかり目の敵にされるのでしょう?」
だが、あの理不尽大王は許せん。他の女生徒が美咲様と楽しげに談笑していても無関心のくせに、なんで私ばっか敵意むき出しなん?
やっぱ、私が悪役お嬢様だからなのか?
麗子、なんにも悪くないのに、クスン。
「美咲さんの一番のお気に入りっていうのもあるけど、清涼院さんがサロンでいつもお兄さんの雅人さんにべったりだったからじゃないかな」
「雅人はそれが気に食わなかったんだと思う」
「滝川様だって姉とも言うべき美咲様にべったりではありませんの」
自分は美咲お姉様を独占しているくせに、私がお兄様と仲良くするのが許せないってーの?
ホントに我がままボーイだ。ヤツの心は
「そうなんだけど、和也は雅人さんを敬愛しているからね」
おっふ、やっぱり滝川はジルベールだったらしい。オーギュスト雅人と仲睦まじい私を許せず、憎しみをぶつけたってわけね。
「美咲さんも雅人さんも、君に奪われた気分になったんじゃないかな?」
ふむ、なるほど。お兄様と美咲お姉様がご結婚されれば、どちらも私の家族になる。そうなれば、ますます二人は私に急接近し、滝川とは疎遠になるだろう。
あー、私に嫉妬するはずだ。
「前々から雅人さんが兄だったら良かったって漏らしていたんだ」
「お兄様は私のお兄様でしてよ。それを物みたいに欲しがるなんて。だいたい、滝川様には美咲様がおられるではありませんの。あれも欲しい、これも欲しいなど、まったく、お子様ですわね」
だからと言って、私がヤツに同情してやる義理はない。あやつは未来で私を破滅させる
「そう言う清涼院さんは、僕らと同い年なのに大人びているよね」
私の辛辣な言葉に、あははと早見が乾いた笑いを漏らした。まあ、私は前世三十年のオバハンですからね……まさか、それがバレたわけじゃないわよね?
「早見様こそ、とても達観していらっしゃいますわ」
「はは、そんなことはないと思うけど」
私がちょっと探りを入れてみると、早見は照れたように軽く頬を掻く。そんな様子を見るに私の思い過ごしのようね。
「失礼ながら早見様は他のご学友から、その、なんと申しますか、心に距離を置いているようにお見受けいたしますの」
「よく見ているね」
早見が驚いたように目を見開いたけど……ふーん、認めるんだ。
「ですが、ご親友である滝川様にだけは、心を許していらっしゃるご様子ですわね」
「うんまあ、和也とは腐れ縁だしね」
和也はあんなだし目が離せないんだよ、と笑う早見。はにかんだような苦笑いだったけど、どこか滝川に対する思いやりを感じる。
ふむ、やっぱ早見は愛に飢えたジルベール滝川の行状を案じるセルジュで間違いないわ。
姉と慕う美咲お姉様とオーギュスト雅人の婚約話に揺れるジルベール滝川。その愛憎の狭間で苦しみ乱れ狂うジルベール滝川を心配しながらも、惹かれていくセルジュ早見。やがて、友情は愛情へと昇華し、二人は美しくも
キャーーーッ、やおいだわ、ジュネだわ、
これは楓ちゃんと椿ちゃんにも教えてあげなくちゃ!
「ねぇ、清涼院さん、いま何か良からぬ想像してない?」
「……いいえ、何も」
ちっ、コイツの眼鏡は人の邪な考えを透視するんだった。気をつけよう。
「しかし、滝川様がお兄様を尊敬申し上げておられたとは意外でしたわ」
「そう?」
優しく穏やかな(ちょい腹黒、これ大事)私の愛しのお兄様を敬愛している割に、滝川は
「お兄様はあれほど激しい性格はしておりませんわ」
「あれで和也も大人しくなったんだよ」
「あれで!?」
いかんいかん、素の心の声と口調が漏れた。早見が笑ってやがる。おのれ早見、清涼院さんも見た目どおりじゃなさそうだね、だとぉ。
ふんっ、私のはTPOじゃ。お前みたいな腹黒と一緒にすな!
「どうしてか、清涼院さんにだけ気持ちが
そう言えば滝川は私以外には噛みついてない。
くそっ、これもすべて悪役お嬢様補正なのか?
「あれでも雅人さんを見習っているつもりなんだよ」
「それなら私への態度もお兄様を見習って欲しいものですわ」
いや、アヤツは君ジャスのヒーローで悪役お嬢様の敵だから、懐かれても困りはするんだけど。
「はは、そこは和也の大人になりきれないところさ」
「そうおっしゃる早見様は、ずいぶん大人でいらっしゃいますのね」
「それこそ清涼院さんほどじゃないと思うよ」
早見の眼鏡がキラリと光ったような気がした。屈託なく笑っていた早見の表情が、やや黒くなる。
私の背筋に冷たい汗が流れた。早見のこんなとこがお兄様を彷彿とさせる。やっぱ、早見の方がお兄様に似ているなぁ。
「私はてっきり、お兄様を慕っておいでなのは、早見様の方かと思いましたわ」
「僕が?」
きっと、コヤツはお兄様を師と仰ぎ、リスペクトしているに違いない。だが、お兄様は黒さを完全に隠して優しく微笑まれる。擬態がまだまだぞ。もっと精進せよ。
「うん、まあ、雅人さんは凄い人だって思っているよ」
その上から目線の言い方!
そういうとこやぞ。おぬしがお兄様に及ばぬところは。
「だけど、僕は雅人さんを目標とするより、追い抜きたいんだ」
腹黒同士の同族嫌悪ですか?
おまえには負けないぞって。
「それはずいぶん高い志ですわね」
だが、ヌシはしょせん劣化お兄様に過ぎぬ。
努力しても、お兄様の頂には届かぬのじゃ。
なぜならヌシには、シスコンが足りぬ。シスコン、それすなわち
シスコンなる者は、妹のためなら死すら
「うん、簡単ではないとはわかってるよ」
ん? なに? そんなに私をジーッと見つめて。
いくら私が美少女だからって……イヤン、ぽっ。
「だけど、越えたいって……越えなきゃいけないって、今そう思ったんだ」
急に私に向けられる早見の瞳が、とても真剣なものになったような気がした。
うん、気のせいよね。
気のせい、気のせい。