僕は自分の家族が嫌いだ。
この清涼院家が大嫌いだ。
もちろん生み育ててくれた両親に感謝はしている。
何不自由のないどころか、よその家庭と比べて高い水準の教育と行き届いた生活環境、そして贅沢な暮らしができるのも清涼院家に生まれたおかげだもの。
それでも父さんは家柄で他者を見下し、母さんは庶民と関わるなと言う。二人の傲慢さが僕には我慢がならない。
二人とも彼らは卑しい者達だと言うんだ。だけど世の中はその庶民に支えられているのに。
清涼院家が僕の世界を小さくする。両親が僕の未来を狭めていく。
交友関係も窮屈だ。一般家庭の友人など作ろうものなら、怒られるのは目に見えている。下手をすれば僕と関わった友人達に被害が及ぶかも。だから、僕は友達を作れない。
これほど恵まれていて、将来も約束されて、何を贅沢を言っているんだって他人は怒るかもしれない。それでも僕は、この息苦しさに耐えられないんだ。
だから、僕はいつか清涼院家を出ようと考えている。今すぐには無理だけれど。
恵まれているくせに、不平不満だらけの僕は我が儘なんだろうか?
そんな闇のような僕の世界に、一つの光が灯った。
それは始め、とても小さな小さな光だったけれど。
それは清涼院麗子――僕の愛してやまなくなった妹。
始めの頃は、麗子は両親に甘やかされ、選民思想を植えられ、特別な子供として育てられた。だから、麗子が我がままで怠惰で傲慢な子に育つのは必然だった。
実際、麗子は
突然、麗子が変わった。駄々をこねず、物を
まあ、頭のドリルはそのままだけどね。縦ロールは母さんの少女趣味だから致し方ないんだけど。
さらに、まじめに習い事や勉強に取り組み、大人達の言うことを素直に聞くようになった。
だけど、親に素直ということは、両親の選民思想まで受け継ぐのは必至だろう。この時、両親だけではなく、妹とも決別する日が来ると僕は予感した。
ところが、この予感は裏切られた。良い意味で。
六歳になると、麗子はさらに変わった。
はっきり言おう。とても過激になった。
まず、麗子はやたらと僕にべったりスキンシップが激しくなった。それに、僕のお嫁さんになるって言ったりもするんだ。
この頃は麗子がだんだん可愛く思えていたので、ちょっと嬉しくはあったかな。父さんはフラれてショックを受けていたけど。ご愁傷様。
でも、本心を隠して素っ気なくしていたら、麗子が僕のことを空海だって言い出した。あの弘法大師と例えられて喜んでいいのかな?
だけど、どうして空海?
ははーん、なるほどね。
「まさか徒然草じゃないだろうね」
「ツレヅレグサってナンノコトでしょう?」
途端、麗子の目がキョロキョロと忙しくなる。おいおい妹よ。それじゃあバレバレだぞ。
「
効果
だけど、こんな会話を理解できる六歳児って……
麗子との仲が進展したのはクリスマスパーティーでの一件からだと思う。しつこい又従姉弟久世美春の撃退劇は痛快だった。
だが、妹よ。僕はノーマルだからね。変な噂を広めるのは止めてくれ。あの件以降、女の子だけじゃなくて親戚の男性陣からも熱い視線が来るようになったぞ。
だけど、僕が麗子を大切に想うようになったのは、母さんの実家、高司家へ家族全員で挨拶に行ったことが大きい。
高司家は五摂家の一つで、祖父母はそれを誇りに思っている。それだけなら問題は無いのだが、清涼院家以上の選民思想の塊なのだ。庶民は人に非ずとまで言い切るような人達である。
正直、あの家には二度と行きたくないな。
「お母様も犠牲者なのですね」
その帰りに麗子がボソリと呟いた。
「犠牲者って?」
「だって、お母様はとてもおっとりしていて人の良い方ですわ」
まあ、母さんは険のある人ではない。どちらかと言うとお人好しな部類に入ると思う。
「家柄を誇るのだって、お祖父様ほどでもありません。お兄様や私を大事にしてくれる愛情たっぷりの方です。あの家で生まれなければ、お母様ももっと違っていたでしょうに」
麗子の指摘に僕はハッとさせられた。
もしかして、父さんや母さんの本質をちゃんと見てこなかったんじゃないか?
それから僕は二人をよく観察するようになった。すると、父さんが部下や秘書たちと気さくに接するようになっていたし、母さんも使用人達と談笑する光景を見かける。
それに思い返してみたら、最近は二人とも僕の交友関係にあまり口出ししてこない。
麗子が父さんや母さんを変えた。清涼院家を変えていたんだ。それが狙ってなのか無意識なのかは分からない。
だけど、麗子は不平ばかりで、何も行動をしなかった僕とは違った。そんな僕を嗜めるかのように、麗子は僕の目の前で現実に立ち向かってみせたのだ。
自分の世界を変える努力もせず簡単に諦めていた。甘えるなと麗子に叱られた気がした。だから、僕は頑張ろうと思う。自分と家族の両方が変われるように。
これが契機となり、僕にとって麗子はとっても大きな存在になった。麗子にとってもそうであると良いな。
そんな想いが通じたのか、嬉しいことに麗子はますます僕に懐いてくるようになった。
そんな麗子が可愛くて僕もよく構う。この前なんか珍しく雪が積もったので一緒になって雪だるまを作った。陽射しが強かったので、日焼け止めを塗ってくれとお手伝いさん達が悲鳴を上げているのを無視して。
そのせいでビスクドールみたいに真っ白な麗子の肌が焼けて母さんが卒倒した。ごめんね、麗子。僕も調子に乗りすぎた。これから一緒に謝りに行こうね、と二人で母さんの前で土下座したのも、今となっては良い思い出だ。
「お兄様、これを受け取っていただけますか?」
トコトコと麗子が手作りチョコを持ってきた。
ああ、そう言えば今日はバレンタインだった。
むふーと鼻息荒く小さな胸を張って自信満々。
その姿はおもしろいやら可愛いやら。
包みを開けると中からブタのチョコが出てきた。六歳の子供が作ったにしては良くできていると思う。
だけど、なぜブタなの?
麗子のことだから何か意味があるのかもしれない。いつも突拍子もないこと考えているからなぁ。ここは慎重に考えて反応しないと……
「雅人の言う通り、とても可愛いブタさんだ」
どう褒めるべきか頭を悩ませていたら、父さんが先に動いた。最近どうにも麗子のことで僕に対抗意識を燃やしているみたい。何を争っているんだい父さん。
「えっ?」
あっ、麗子の顔が引き攣った。良かった。これ、やっぱりブタじゃなかったんだ。僕も思わず可愛いブタさんだねって口走りそうになったから、犠牲になってくれた父さんには感謝。
安心して。ちゃんと僕がフォローしておくよ。ありがとう父さん、代わりに麗子のヘイトを買ってくれて。なーむー。
麗子はますます僕にべったり。父さんは慌てて麗子の機嫌を取ろうと必死。そんな様子に母さんがため息を漏らして呆れ顔。
どこにでもある普通の団欒がおかしくて僕は自然と笑ってしまう。
ああ、いつの間にか僕は清涼院家の中で笑うようになっていたんだな。家族の一員になったんだって麗子に気づかされた。
ありがとう麗子。いつも良いとこ、良かったことを見つけてくれて。
最近、僕は麗子のおかげで、この家族が少しだけ好きになった。