リオンとの出会いから2日が経過していた。
――午前8時半
リオンと出会ったことで前世の記憶を取り戻してしまった私は今の自分にすっかり違和感を抱くようになっていた。
何しろ、前世の私は21歳の女子大生だったのだ。
文学部に通い、サークルにも所属していた。ボーイフレンドだっていたし、ファミレスでアルバイトにも励んでいたのに……。
そもそも、何故自分がこの世界に転生してしまったのかが謎だ。
思い当たることと言えば、高熱を出して意識が朦朧としたままベッドで横たわっていた……それが最後の記憶だ。
もしかして、あのまま私は死んでしまったのだろうか? それで、この世界に転生してきた……?
とても信じられないが、現に映る私は10歳の子供。しかもここは前世で私が一番好きだった乙女ゲームの世界なのだ。
挙句に一押しの悪役令息のモブ婚約者なんて、未だに夢を見ているみたいだ。
「ニルヴァーナ」というゲームには、ヒロインを徹底的に虐めるような悪役令嬢というものは存在しない。
その代わりにヒロインに異常なほど執着し、ヒロインと彼女を取り巻く主要男性キャラたちを徹底的に追い詰めていくのがリオンなのだ。
「大体、悪役令息の婚約者がモブだなんて一体どういうことなのよ」
鏡の前で思わず心の声が漏れてしまった。
「え? ユニスお嬢様、今何かおっしゃいましたか?」
私の髪をセットしていた専属メイドのキティが尋ねてきた。
「ううん、何でもないわ。いつもありがとう、キティ」
今までは、自分の髪をセットしてもらうのは当然のことだと思っていた。けれど前世の記憶を取り戻したからには、そうも言っていられない。
髪のセットくらい自分でできるのに、わざわざ手を煩わせて申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
キティの仕事は他にも沢山あるはずなのに。大体、キティは現在17歳。
本来なら私よりも年下? になるのだから。
すると、鏡に映るキティが目を見開いた。
「まさか、ユニスお嬢様からそんなお言葉が出てくるとは思いませんでした。10歳の誕生日を迎えられた途端、何だかお姉さんになられましたね?」
「そ、そうね。もう10歳だから、大人にならなくちゃね。これからは身の回りのことは自分でするから、キティも自分の仕事をしてちょうだい」
ユニスは半月前に10歳の誕生日を迎えている。そのことを思い出した。
「何を仰っているのですか? ユニスお嬢様のお世話が私の仕事なのですからそのようなこと、おっしゃらないで下さい。まさか、私が専属メイドでは不満なのでしょうか?」
悲しげな目で尋ねてくるキティ。大変だ! 私より年下の? キティを悲しませてしまった。
「ま、まさか! キティは最高よ。だって私が5歳のときから側にいてくれたじゃない」
「でしたら、これからも私を側に仕えさせて下さいますか?」
「ええ、もちろんよ」
私の言葉に、安心したのかキティが笑みを浮かべる。
「良かった…それを聞いて安心しました。……はい、ユニスお嬢様。出来ました。とても可愛らしいですよ?」
キティがブラシを置いて鏡の私に話しかけてくる。
「……ええ、そうね。ありがとう、キティ」
鏡に映るユニス。オリーブグレーの髪に、ブラウンの大きい瞳は……確かに可愛いと思う。
けれど、私は知っている。
「ニルヴァーナ」というゲームに出てくるヒロインは絶世の美女だ。彼女が様々な男性たちに好意を寄せられるのは、神聖魔法が使えるだけが理由ではない。
人目を弾く美貌は、私の推しであるリオンすら虜にしてしまうくらいなのだから。
モブ令嬢の私など、成長したところでヒロインに敵うはずなどないだろう。
「どうかされましたか? ユニス様」
キティが声をかけてきた。
「ううん、何でもないわ。そろそろ学校に行く時間だから」
私は鏡の前に置かれた椅子から降りると立ち上がった。
「それが良いでしょう。ところで、確か今日からリオン様も同じ学校に通学されるのでしたよね?」
「ええ。そうね」
リオンは今まで別の学校に通っていたが、今日から私の通う学校に転校してくるらしい。
何故、転校してくるかは……本人が言いたくなさそうだったので敢えて私は聞かないことにした。
「お二人は婚約者同士ですからね。同じクラスになるのではありませんか?」
「どうかしら? だって8クラスもあるのだから、その可能性は低いと思うけど」
ゲーム中ではリオンと婚約者が一緒に過ごす描写はほとんど無かった。
恐らく、クラスメイトになることはないだろう。
そう思っていたのだが……私の予想は見事に外れることになる――