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#の章 第6話 僕たちの合コン必勝法

 ♯


 駅で田中恵一と待ち合わせをしていた。約束時間ギリギリに着いたが、彼はまだきていなかった。現地に着いた旨をメッセージで送るとほぼ同時に田中恵一が到着した。


「お待た――」「僕も今着い――」


 僕たちは顔を見合わせ、絶句した。二人とも鏡写しのようにまるっきり同じ色の長袖チェックシャツに、グリーンのチノパンだった。

 正確にいうならば、「メンズおしゃれ6月号・合コンで絶対イケるファッション特集巻頭ページ」と同じ格好だった。何ページもある雑誌の中で、全く同じ格好なのは訳がある。綴じ込みハガキの通販で、雑誌のコーディネートをまるごと注文できたからだ。メンズおしゃれという致命的に陳腐で絶望的に昭和臭い名前の雑誌を買うのではなかったと激しく後悔した。ストレスでハゲそうだ。


 道行く人の視線が痛い。女子高生のグループにスマホで隠し撮りされている。


「どうする」「どうする」


 恰好も同じなら話す言葉も同じ僕らは、一目散にマックに逃げ込んだ。

 マックで飲み物を頼み、座る。時計を見ると合コン開始時間まで猶予が十分もない。最悪なことに長袖チェックシャツの下は、どちらとも肌着だった。あの忌まわしいクソ雑誌に、合コンは肌着で行くのが鉄則、と書いてあったのだ。

 なぜ僕はあの何も根拠のない鉄則に従ったのだろうか。肌着のため、チェックのシャツを脱いでやりすごすことはできない。僕らがいる周りには服屋などなく、居酒屋しかない。田中恵一はとりあえず裾を肩までまくりあげる。何の効果がなくても。今やるべきことをやるしかなかった。


 田中恵一が、ソースか醤油をズボンに垂らし、迷彩柄にしようと提案した。着想は良かったのだが、いかんせん臭いが問題点として立ちはだかり、却下した。とりあえず僕は整髪料で固めた髪を戻すために手洗い場に向かった。これだけではまだ解決には至らないが、最悪は免れるだろう。尿意を催し、すぐそばにあったトイレに入る。

 トイレ正面の壁に、「ピンチはチャンスだ。ありがとう」という格言を書いた紙が貼ってあった。どこがだっ、ばかやろう。僕は尿と怒りをぶちまける。

 トイレで目の当たりにしたやるせない思いを田中恵一にぶつける。


「トイレにさ、ピンチはチャンスだありがとうって書いた紙が貼ってあったよ。ピンチはただのピンチって思わないかい?」


「それだ! 怜!」


「え」


「だから、ピンチはチャンスなんだって!」


「いやでも、どうするの。この状況」僕は互いの服を指差す。


「このままやり過ごす」田中恵一は唇の端を上げ、胸を張る。


「何とかしないと」


「ダメだ。このままだ。よく考えるんだ怜。もし、この状況を客観的に見たとしたら、どうだ」


「うわぁ、アイツらイタイなとか、ペアルックって思うかな。とにかく面白いもん見たって思うかもね」


「それだよ。それ」


「……?」


「違うって、面白いもん見たってとこだよ。この状況は間違いなく笑いになる」


「失笑にならないかな」


「そこは賭けだ。どうせ合コンなんか、好かれるか嫌われるかの二択なんだからいいじゃないか。行こうぜ同志。当たって砕けろだ」


 田中恵一の根拠のない自信はどこから来るのだろう。


 ♯


「あ、田中さんと山口さんだ」


 マックを出るなり、あの可憐な声がした。見るとマックの店員さんとショートカットの見知らぬ女性が立っていた。どちらも息を呑むほどの美女だ。


「えっ、あ、こんばんは。偶然ですね」予期してないタイミングでの出会いになったためか田中恵一は狼狽している。


「ん? あれ、二人ともなんか、今日の服、同じ? ペアルックってやつですか」

 目を輝かせるマックの店員さん。営業ではないスマイルは一段と男心を惹き付ける。


「いや、あのなんていうか。これには訳が……なっ怜」


 さっきまでの自信たっぷりな笑顔はどこへやら、田中恵一の目は黒目が見えなくなるほど泳ぐ。急に水を向けられても、美しい女性二人を前にして、僕は沈黙してしまう。


「おもしろー。ペアルックてホントにあるんですね。天然記念物を見たって感じです。ん? 人間国宝だっけ」あごに人差し指を当て、マックの店員さんは考える。


「どっちにしても失礼じゃない? それ」隣にいたショートカットの友人が、マックの店員さんを指摘した。


「そうかも」「そうかもじゃないでしょ」


 二人揃って笑い出した。何これ。ずっと見てられるこの二人。ずっと見ていたいこの二人。僕の脳内がお花畑になりかけたとき、田中恵一が耳打ちをした。


「なんとかなったんじゃないか、コレ。ピンチはチャンスだな」


 僕は、目線で頷きを返す。


 田中恵一が選んだ居酒屋は、メンズおしゃれ6月号に書いてあった通り、落ち着いた雰囲気のある個室だった。掘りごたつ式の席になっていた。女性陣は、オシャレな店だねとはしゃいだ。田中恵一は策士のような顔を僕だけに見せた。雑誌に書いてあるとおりの店で、僕は一人赤面した。


 席に着き、飲み物を頼んだ。みんなビールを頼んでいたので、僕もそれに倣ってビールを頼んだ。ポルカドットのオネエ達から日ごろ愛のあるイジリを受けている僕はそれなりに酒が強くなっている。


 ビールが置かれ、僕たちは乾杯をした。高校生の暗黒時代を思い返せば、合コンをするなんて夢のようだと思った。もしかしたら夢なのではと何度も疑った。ビールののどごしが夢ではないと伝えていた。

 勢いで飲み干してしまった僕はすぐさま次の一杯を頼んだ。


 僕のおかわりが届き、自己紹介が始まった。

 僕の正面に座ったマックの店員が、天野優さん。その友人が中里未来さん。年はどちらとも僕らと同じハタチだった。不意に田中恵一が僕の足を二回蹴った。どっちの女の子がイイかを表す符丁だった。どうやら田中恵一は中里さんが好みのようだ。僕も符丁を返し、互いの利害の一致を確認した。


「みんなの愛称を決めようぜ」田中恵一が場を仕切る。


 女性陣は無難に、名前にちゃんづけになった。優ちゃん、未来ちゃんなんて畏れ多くて言えない。


「普段、トモダチのこと、なんて呼んでるんですか」


 天野さんが僕の目を見て言った。数秒遅れて、これは僕に話しかけているのかと気づく。胸の動悸が僕の判断力を鈍らせている。


「た……田中恵一」


「なんでフルネームなんですかー」


 どっと笑う天野さんはなぜか嬉しそうだった。

 田中恵一を田中恵一と呼んでいてよかったと思う。


「怜、そりゃないよ。もっとフレンドリーな感じをくれよ」


「田中さんってどんな人なの」中里さんが僕の顔を見た。


「マックが好きで……。週に十回も行っているんです」


「えっ行き過ぎじゃない、それ」


 中里さんの軽蔑のまなざしを見て、ああやっぱりそれが普通の反応だよなと思った。


「それほどでもないよ」田中恵一はなぜか照れている。


 何に照れたんだ。何に。


「そうなんだよ。しかもさ、いつもてりやきバーガーは絶対に頼むの」

 天野さんがエピソードの補強をする。


「うそーっ、じゃあもうあだ名、マックかてりやきでいいじゃん」


「てりやきがいいな」


 田中恵一改めてりやきがそう言ってすぐに、居酒屋の店員さんがてりやきチ

キンを運んできた。僕らは火が付いたように笑った。田中恵一改めてりやきは店員に握手を求めた。店員は困惑顔で握手に応じていた。


「田中さんがてりやきなら、相方の山口さんはポテトがいいんじゃない」中里さんが陽気に言う。


「そんなこと言ってたら、ホントにフライドポテトが来るよ。きっと」

 天野さんはいたずらっぽく笑っている。


 僕はフライドポテトが来ることを願う。

 個室をノックする音。

 店員は手にフライドポテトを持っていた。

 一同の笑い声の中、僕は心の中でガッツポーズを取る。


 お互いのバイトや学部などの当たり障りのない会話をして時間が過ぎた。僕以外の人はいつのまにか敬語をやめていた。僕は女性にタメ口で話すのは、なんだか畏れ多く、敬語のままだった。


 バイトの話題になったときポルカドットのことは、当たり障りがあり話せなかった。オネエが家に上がり込んで、いつの間にか母代わりになっていることを話すのは、僕の話術ではどうやったって説明が難しすぎた。だから、無難に有馬音楽教室の話をしてやり過ごす。


 酒を飲み過ぎて尿意を催し、トイレに向かう。深々と便器に放尿しながら、この後の展開を妄想する。ドラマとかだとそのままラブホテルとかお互いの家に行ったりするのだろう。万が一にでもそんな可能性があるだろうか。妄想の中の僕は、度胸が溢れ女の子の扱いに慣れていたのだが、現実の僕はその1パーセントの度胸も持ち合わせてはいなかった。

 歩いたせいか、酔いが廻る。下を向きながら歩いていると向こうからやってきた人にぶつかった。


「あ、すみません」謝りながらその人を見ると天野さんだった。「ああ、天野さん……」


「大丈夫怜くん? 飲み過ぎちゃった?」

 首を傾げ、僕の顔を覗いてくる天野さん。あまりの美貌と近さに呼吸を止める。


「いえ、だいじょう――」

 大丈夫ではなかった。僕はその場で盛大に、吐しゃ物をぶちまけた。


 終わった。何もかもが終わった。


 天野さんは絶句した顔で、踵を返し立ち去って行った。


 僕の始まりそうだった青春はこの瞬間に終わりを告げた――かに見えた。僕は向こうからやってくる人を見て目を見開く。なんと天野さんが戻ってきたのだ。糾弾されるのではないかと身構えそうになったとき、僕は天野さんの右手を見て、考えを思いなおす。


 その右手には、ぼろぼろの雑巾があった。まさか、そんなわけはないだろうと狼狽している僕に目もくれず、天野さんは吐しゃ物を掃除し始めた。そのあと店員が二人やってきたときに、ようやく自分の後始末をしなくてはと気づく。


「天野さん。あとは僕がやっておくから、席戻ってよ」僕は天野さんに手を伸ばし、雑巾を取ろうとする。


「いいよいいよ。あとちょっとだし、やっておくからさ」

 そういって天野さんは、僕の差し出した手に目もくれず、掃除をしている。店員が何度も、変わりますと言っても、天野さんは笑顔で、「大丈夫ですよ。やっておきますから」と遮って作業を続けた。結局、天野さんは菩薩のような慈愛と掃除業者のようなスムーズさで、ほとんど一人で掃除してしまった。店員二名と元凶一名は、天野さんを聖者のように崇め奉る視線を送る。


「おい、怜。どうした。なんかあった?」

 僕たちの帰りが遅く心配になったのか、てりやきと中里さんがやってきた。


「ちょっと……」


「ごめんね。遅くなってすぐ戻るから、二人とも席戻っててよ」

 天野さんは僕の弁解を遮り、二人を追い返す。


「わかった。じゃあ先に戻ってるよ。早く来ないとアイス溶けちゃうぞ」

 てりやきと中里さんが席に戻っていくのを見ていると天野さんの視線を感じた。


「このことは言わなくてもいいと思うよ」

 人差し指を口に当て微笑みを見せる天野さんに、見惚れた。天野さんの服の袖が僕の汚物で汚れていた。


「天野さん、袖が汚れてる」僕は指を差し指摘する。


「あ、ホントだ」


「いくらだったその服? 弁償させてもらうよ。」


「弁償? いいよいいよーそんなの。気にしなくて。洗えば大丈夫だからさ」


「いや、でも……」


「じゃあ、弁償じゃなくて。今度新しい服欲しいから、買いに行くの手伝ってくれない」


「え?」


 天野さんの言ったことを消化するのに、幾分時間を要した。聞き間違いかと思った。再度天野さんが同じことを言って、ようやく理解することができた。そこから、あっという間に話は進み、来週の土曜日、僕は天野さんと出かけることになった。そして僕は女の子の電話番号を手に入れた。


 大事なことだからもう一度言う。


 僕は女の子の番号を入手した。

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