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#の章 第5話 決戦前夜

 ♯


 駅に向かおうとしたとき、以前流星くんと鉢合わせしたマクドナルドが視界に入る。今日も流星くんはいるのだろうか。思わず中に入りそうになったが、あれは昨日のことだったと思い出した。どこかの誰かでない限り、人はそんなにマクドナルドに行かないだろう。


「おっ! 怜じゃんか」

 聞き覚えのある声に、振り返る。そこにいたのは、案の定どこかの誰かである田中恵一だった。田中恵一はマクドナルドから帰るところだったらしい。


「どうしたんだよ。マック行くならおれを誘わないのは、罪だよ。罪」

 田中恵一がおもむろに肩を組んできた。


「君も、またマックか。懲りないね」

 呆れながら言う僕を尻目に、田中恵一は衝撃の一言を放つ。


「立ち話もなんだからさ、マック行かない?」


「行かないって、いま行ったばかりだろ君は」


「いいのいいの。友人と行くマックは別腹っしょ」


 根拠のない根拠を振りかざし、田中恵一は僕をマックに連れていく。

 田中恵一は、「注文はおれに任せろ」と無駄にカッコつけた。お金は僕が払うべきと思い、田中恵一の横に並ぶ。


「いらっしゃいませ」


 女性店員が笑顔で応対した。その女性店員はマスクをしているにもかかわらず、満面の笑みということがわかるほどの笑顔をみせた。この店は社員教育が行き届いている。などと変なことを考えてしまうのは、女性店員がハッとするほどの美貌だったからだ。アイドルやモデルを実際に見たかのような衝撃があった。今すぐにでもマスクを剥ぎ取って、ご尊顔を拝見したい欲求に駆られる。


「あれぇ、田中さん。また来たんですか」


「いやぁ、こいつがお姉さんを見たいっていうから連れてきたんすよ」

 田中恵一は僕に向かって指を差し、適当なことを言う。


「……あ。お友達ですか。どうも、いらっしゃいませ」

 僕はうなずきを返す。自分に向けられたスマイルがあまりにも眩い。このスマイルが、0円とはマックの企業努力たるや恐るべし。


 田中恵一が慣れた様子で注文をして、フライドポテトは今から揚げるため、後で持ってくるらしい。とりあえず飲み物とハンバーガーを持って、カウンター席に横並びで座る。


「なあ、あのお姉さん。すっげえ可愛いだろ」自慢するかのような口ぶりで田中恵一は僕を小突く。


「うん、まあ。というか、君はあの人と知り合いなんだね」


「まあ、ってなんだよ。カッコつけんなよ。あのお姉さんと知り合いになるために通い詰めたんだって」

 異様なまでのマック好きは、それが理由かと思い至る。なるほど、それほどの美貌ではある。


「え、そうなの。じゃあ、ナンパってやつですか」僕は田中恵一に敬意を払う。


「そんな感じかな」ニッと笑う友人が、少し大人びて見えたが、口の端にマヨネーズが付いていたので、プラスマイナスゼロだ。


「実はさ、来週あのお姉さんと合コンなんだ」


「僕も参加する合コンのこと?」恋人に興味を持っていないはずだった僕は、あのお姉さんが相手なら話は別だと思った。だから期待を込めて訊く。


「そうだよ。ってどうした?」


「いや、どうもしていないけど」


「そんな嬉しそうな顔初めて見たよ」


「え、そうかな」 


「お待たせしました」

 可憐な声が響く。振り返ると例の店員さんが、フライドポテトを持ってやってきた。


「ありがとうございます」僕と田中恵一は口々にお礼を言う。


「ねえねえ、田中さん」店員さんは、僕と田中恵一の間に顔を寄せ、小声で話しかける。髪の毛からいい匂いがした。「このお友達も来週の合コン来るんですか?」


 お姉さんの顔が余りにも近く、繊細な髪からとてもいいにおいがした。その瞬間、僕の心臓は沸騰したかのように鼓動を始めた。


「そうですよ」


「へえ、そうなんだ。楽しみですね。じゃあ、また来週」

 芳香を残し、去っていく店員さんに僕と田中恵一は数秒、見惚れた。我に返ると田中恵一と目が合った。


「来週の合コン楽しみだな」


「ああ。君はイイやつだ。とても」

 僕は友人の手を握り締めた。


 ♯


 田中恵一と合コンの約束をしたときから、雑誌を一冊読み込み研究していた。綴じ込みハガキの通販で、来たるべき日のための戦闘服を準備した。戦闘服に身を包む。


 普段使うことのない整髪料も、毛髪の死滅したクリリンからおすすめのモノを訊きだし、購入済みだった。洗面所で、整髪料に悪戦苦闘していると僕の背後からぬっとミーコさんが顔を覗かせた。


「なんか怜くん。オシャレしてない?」

 ミーコさんは目聡い。僕は振り返り応える。


「や、別に。あ、そうだ今日ごはんいらないから。言うの忘れて、ごめん」

 合コン、というのは気恥ずかしいものがあり、ごまかす。


「ふうん、いいけどどこに行くの?」


「え、ああ。友達とごはんだよ」


「友達って……心ちゃんのこと?」


「違う! 大学の友達だよ」

 心のことを言われ、つい感情的になってしまう。


「ごめんなさい。怜くんが楽しそうにしていたから、調子に乗っちゃって」


「いいよ。気にしていないから」

 嘘だった。胸の鼓動がそう言っている。だが、僕は気にしないフリをしてその場をやり過ごそうとする。


「それより、ミーコさん。今日はポルカドット行くんだよね?」

 ミーコさんは不登校だった僕のように欠勤するようになった。もう金曜日になるのに、今週は一度も出勤していなかった。


「瞳ママが怒りを通り越して心配しているよ。他のみんなも」


「もう、いいじゃない!」今度はミーコさんが感情的になる。「私だって、好きで行かないわけじゃないんだから」


「なにか理由があったの?」 


 ミーコさんが行けない理由が、喉元まで出かかった。まだそれを明らかにするのは早い。いま明らかにしたところで、何も解決しないどころか崩壊してしまうのはないかという懸念があった。できることなら、ミーコさんから答えを聞きたいと思っていた。


「別になにもないわよ」


「嘘だね」


「なによ。ナマイキなんだから、怜くんだって嘘ついてるから、おあいこよ」


「ふうん、じゃあ僕が本当のことを言ったら、ミーコさんも教えてくれるってこと?」


「内容によるわ」


「ずるい」


「大人のオネエはずるいのよ」


 大人だろうがオネエだろうが関係ないと思うのだが、話をこじらせるのも面倒だった。それに約束の時間も迫っている。


「じゃあ、言うよ。実はいまから――合コンがあるんだ」


「……っ!」


 ミーコさんは口に手を開け、吐息を漏らす。みるみるうちに体を震わせ、目には涙が浮かんでいた。涙がこぼれ落ちそうになったとき、ミーコさんは僕に抱きついてきた。


 とても力強く、とても優しい強さで。


「怜、くん。良か、った、ねえ」


「あのさ、泣くようなことかな」


「だって、あの人見知りの怜くんが、合コンなんて。感激で涙も出るわよ」


 僕もつられてなぜか泣きそうになる。笑顔でごまかし、やり過ごす。


「じゃあ、ミーコさん仕事いってらっしゃい」


「うん、行くから。必ず」


 泣き顔でウインクするミーコさんは、おぞましいが必死で堪えた。やっと仕事に向かおうとしてくれたのに、水を差すわけにはいかない。


「怜くん楽しんできてね」


 手を振るミーコさんに別れを告げ、僕は一世一代の大舞台へと向かった。歩きながら、僕はミーコさんの口から仕事に行けなくなった理由を聞きそびれたことを思い出した。


 明日聞けばいいか、そう思い僕は眠ることにした。

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