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我が家のドラ〇もん的存在であるミーコさんに、流星くんのことを相談しよう。歌のことを相談するには、現役歌手に聞くべきだろう。とは思うものの、我が家のド〇えもん的存在は、絶賛スランプの真っ只中にあった。
ポルカドットで倒れて以来、劇場の舞台に上がるとミーコさんは、その場にうずくまるほど体調が悪くなり、いまは裏方の仕事ばかりやっている。ミーコさんが、スランプになった原因をミーコさん本人に訊いても、曖昧な言い方をして逃げるばかり。ポルカドットでの仕事終わり、ミーコさんのことを瞳ママに単刀直入に訊いてみた。
「瞳ママ、ミーコさんなんかあったの?」
ミーコさんのことを一番知っている瞳ママに訊いても、瞳ママもお手上げな様子で、両手を振った。
「お客さんたちからも、ミーコが舞台に上がらないことを不審に思う人たちも出始めていて、私もまいっちゃうわ。そういえば、怜くんが初めてここに来たときも体調悪くなったことあったわよね」
「あ、そういえば。あれは――」
僕がここで働くきっかけになった日のことを思い出す。
僕の不注意でミーコさんに火傷を負わせてしまい、ポルカドットでピアノを弾くことになった日。源五郎の出番を引き延ばすことで事なきを得たが、あのときのミーコさんも体調が悪くなっていた。体調が悪化した原因は火傷を負ったことでトラウマを思い出したからだった。
ミーコさんのトラウマ――火事を起こしたお姉さんとの確執。
ミーコさんはもしかして、お姉さんとのことを思い出しているのだろうか。思い出してしまうから、スランプに陥ってしまったのか。
いや、違う。オネエバーの店名は、「ポルカドット」――水玉。
水玉はミーコさんのお姉さんが好きだったスカートの柄だったはず。ミーコさん自身、「戒めみたいなものよ」と店名のことに言及していたこともあるから、普段思い出す分にはきっと問題はないのだろう。思い出したくない過去を強く連想させる出来事があったときに、ミーコさんは体調が悪化するのかもしれない。火傷を負ったときは、十分ぐらいで立ち直ったが、今回はそれの比ではない。もう一週間ほどミーコさんは舞台の上で歌えていない。ミーコさんの顔色は日増しに悪くなるばかりだ。
火傷よりも強く過去を連想させるものにミーコさんは遭遇したのかもしれない。あるとするならば、それは何だろうかと考える。もしかしたら、ミーコさんはお姉さんにそっくりな人物でも見かけたのだろうか。お客さんの中には、少なからず女性もいるから、可能性はゼロではない。
そこで僕は気づく。
そっくりさん、などではなく――
ミーコさんの家が火事になったとき、ミーコさんのお姉さんは亡くなったのだろうか。ミーコさんがお姉さんのことを語ったとき、お姉さんが死んだとは言っていなかった。僕が勝手に亡くなっていたのだと思い込んでいたのだ。
「瞳ママ、ミーコさんのお姉さんって火事で亡くなってるの?」
「え? 火事で重傷は負ったけど、お姉さんは存命のはずよ。ミーコが家族と疎遠になって何年も経つから、今は知らないけど。急にどうしてそんなこと訊くの?」
すんなり決まった新しいバイト。
ミーコさんが歌えなくなった日のこと。
ミーコさんのお姉さんが生きているという事実。
全身を覆い隠すような服装のピアニスト。
全てがひとつに繋がっていく。
有馬先生が――ミーコさんのお姉さんだ。
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「あら、今日はレッスンない日ですよ。間違えちゃったのかしら」
玄関に出るなり、有馬先生が言う。
「レッスンのない日だから、来たんです。有馬先生と話したくて」
「流星くんのことですか?」
「ええと、そうです」
なんといって、ミーコさんのことを切り出せばいいかわからなかった。だから、好都合とばかりに流星くんをダシに使うことでごまかした。実際に流星くんのことについても話したかったから、嘘ばかりではない。
「わかりました。上がって来てください」
有馬先生は、笑みを浮かべ僕を家に招き入れる。
有馬先生が紅茶を準備する間、こっそりと家の中を見回す。改めて見てみるとカーテン、テーブルクロス、マグカップ至る所に水玉模様が使われていた。
紅茶を並べながら、「そんなに肩をこわばらせなくて大丈夫ですよ」と言うが、僕はより一層緊張を高めた。
一回聞いただけでは覚えられない名前の紅茶に口を付ける。
「それで、流星くんのことって、なにかしら」
僕はマクドナルドで起きた出来事を語った。
「そうですか。流星くんは、音楽がキライになったわけじゃなさそうで安心したわ」
「でも、どうすればいいですかね。なんとかしますって言ったものの、レッスンに来てくれないならどうしようもなくて」
「山口先生は歌うの好きですか」有馬先生が笑う。
「歌うのは、苦手ですね」
「でも、キライじゃない?」
「まあ、そうですけど」
「じゃあ、ちょっと歌ってみてください」
有馬先生は、おもむろにピアノに向かい、「ちょうちょ」を弾き始める。躊躇していると前奏が終わり、有馬先生の「ハイッ」の掛け声に合わせ、歌う。かすれ声、音程のずれ、歌詞忘れ。ヒドイ歌だと自分でも思う。
二番にさしかかったときに有馬先生も歌いだした。有馬先生の心地よい歌を真似るように歌う。自分も歌が上手くなったのではという錯覚があった。
演奏が終わり、有馬先生が僕に向かって笑いかける。「たいへん、よくできました」
つられて僕も笑ってしまう。
「楽しかったですか」
「ええ、まあ。でもどうして僕に歌わせたんですか」
「流星くんの気持ちをわかってもらえるかと思って。山口先生が楽しんで歌ってくれないときっと流星くんも歌ってくれませんよ」
なるほど確かにそうだ。思えば僕は流星くんがいるときにいつも「歌って、歌って」と願いながら難しい顔で見ていなかったか。流星くんがレッスンを敬遠するのも無理はない。僕と友達になってくれとお願いをしたときも、即答で拒否したのもそれが理由か。
「そういう私もあの子にそんな思いを抱いていたんだなと思います。そう思えたのも山口先生が来てくれたおかげです」
「え、じゃあ」
「そうです。つい最近気づいたんです」
プロでもそんな風に思うものなのかと感心する。自分のミスをはっきりと口に出して認める有馬先生を尊敬した。僕が同じ立場だったら、きっと誰かのせいにしていたと思う。
「そこで、私から、お願いがあります。流星くんの家に訪問して、授業を行ってくれませんか」
「はい?」
「ダメでしょうか」
「いや、ダメじゃないですけど。急すぎて」
「じゃあ、お願いします」
「いいですけど、条件があります」
流星くんのことも本題だったが、いよいよここに来た大義名分を果たすときがきた。
「条件? もしかして給料ですか。もちろん給料はアップしましょう」
「流星くんが歌えるようになったら、僕の大切な人に会っていただけませんか」
僕は有馬先生の目をまっすぐに見る。
「大切な人……というのは、山口先生の恋人ですか?」困惑する有馬先生。
大切な人、そんな言い方をすれば、そう思ってしまうのも無理はない。僕は焦る。
「いいえ、違います。育ての親です」
育ての親、という表現は、焦っていたから思わず出た言葉だったが、とてもしっくりくる表現だった。忘れていたことを思い出しときのような感覚みたいなものがあった。
「育ての親……? お父さんですか。それとも――」
「どっちでもないです」
有馬先生の表情が困惑から疑惑に変わりつつある。
「複雑な事情がおありなのですね」
「とても複雑な事情なので、口で説明するのは難しいんです。だから写真、見せますね」僕は言いながらスマホを操作し、画面を有馬先生に見せる。「この人です」
「そんな人知らないですよ。会ったところでどうなるわけでもないでしょうに」
有馬先生は奥歯を噛みしめながら、目を反らした。その仕種から有馬先生はミーコさんのことを知っていると確信した。これ以上、追及しても何も聞き出せないことを悟った僕はスマホをしまう。
「そうですか。でも、この人に会っていただけますか」
「考えておきましょう」
紅茶を飲み終えた僕はその場を後にした。
時刻を確認するために、スマホのディスプレイを見る。思ったほど長居していたようだ。電車の時刻表アプリを立ち上げようとスリープ画面を解除した。するとさっき有馬先生に見せた画像が写し出された。何の気なしに画面を切り替えようと思ったときに、僕の手は止まる。
僕はミーコさんが、ドアップでホットケーキを食べている写真を見せた――と思っていた。だが、その画面に映っているものは僕が見せたと思っていたものとは違っていた。
そこには、ミーコさん、ナタリー、源五郎、クリリンが海外アーティストを真似たポーズをとっている写真だった。
有馬先生は、「そんな人知らないですよ」と言ったが、この写真を見ただけでは、誰が僕と関わりのある人物かわからないはずだ。にもかかわらず有馬先生は、何の疑問も抱かないまま「そんな人」と言った。
有馬先生がミーコさんのことを知っている確証が取れた。有馬先生が嘘を付く理由を考えてみる。その理由がミーコさんにとって悪いものでなければいいと思うが、どうしても悪いものになりそうな予感が拭えなかった。