目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
#の章 第3話 てりやきバーガーがもたらすもの

 ♯


 僕のスマートフォンから爆音のボレロが流れている。さっきまで寝ていた僕の脳は瞬時に活性化した。ボレロは電話の着信音に設定していた。電話が鳴ると僕は、心からの電話なのではないかと気が逸る。心がいなくなってからずいぶん経つというのに、今回も僕の単純明快な心臓は脈打っている。

 スマホの画面を覗くと見知らぬ番号だった。


「もしもし――」


 もしかしたらという予感に高ぶりそうになる気持ちを抑え、電話に出る。


「あ、怜? 俺、わかる?」


 誰かわからないが、口ぶりから僕のことを知っている様子だ。松永一派の誰かかと思ったが、もしそうであったなら僕のことは名字で呼ぶはずだから違うだろう。電話の先にいる人物は、妙に親し気な雰囲気を醸し出している。だが、心ではないのはわかっていた。


「すみません。どちらさまでしょう」


「ひでえなー。田中だよ。田中恵一!」


 大学の屋上でよく話しかけてくれる彼か。


「ああ、田中くん……。合コンの誘い、じゃないよね」


「朝っぱらから、合コンに誘わねえって。俺のこと、合コンのヒトだと思ってない?」


「思ってるよ」


「ひでえなあ」口ぶりは嫌そうだが、田中恵一の声は笑っていた。


「どうしたのこんな朝から」


「あ、そうそう。連絡網が回って来てさ、教授の都合で、一限目休講だってさ」


「それを伝えるために電話してくれたんだ。ありがとう」


 一限目が休講なら、あと九十分は寝ていられるという幸福感に僕はつつまれた。田中恵一に感謝の意を述べ電話を切ろうとすると、田中恵一が遮った。


「ちょっと待って、怜、もう学校向かってる? 向かってたらさ、朝マック食いにいかね?」


「マック好きだね。君は。いま家だから、遠慮しておくよ」


「そっか、残念だな。また今度行こうぜ」


 田中恵一はずいぶんさみしげな声を出した。そこで僕は気づく。食事に誘うのも、合コンに誘うのもなにか訳があるのではないだろうか。田中恵一が、僕になにか話したいことがあるような気がした。


「うん、また今度」


「俺のこと避けてないよね?」


 避けるためにピアノ教室のバイトを始めたことが頭をよぎり、ワンテンポ遅れ返事をする。

「……そんなことないよ」


「ちょっと間があるのは、なぜ。まあいいや、じゃまた学校で」


 電話を切り、田中恵一の番号を登録した。機会があったら田中恵一の誘いに一度くらいは乗ってあげるべきではないのかと思った。


 二限目が終わり、昼食を取るために屋上に向かう。すると田中恵一がどこからともなく現れた。


「お、怜。今日も昼飯、屋上か」


「うん」


「たまにはおれも行っていいかな」


「僕に屋上の所有権はないから、わからないよ」


「なんだよ。その回答、まじめっつうか、ちょっと変な人になってるぞ。マック買ってくるけどなんか買ってこようか?」


 今朝もマックに行くって言っていたような気がする。どれほどマックに行きたいのだろう彼は。脳内にマックという言葉が朝、昼とインプットされたことで、急激にマックが食べたくなった。


「じゃあ、てりやき」


「即答でてりやきとは、怜わかってんなー」


「え、どういう意味?」


 田中恵一は僕の返答も待たずに駆けていった。


 屋上に座り、弁当を広げようと思ったが、田中恵一に悪い気がしてやめた。

 しばらくすると田中恵一がマックの袋を抱え、やってきた。


「怜、買ってきたぞ。てりやき」


 田中恵一が手渡してきたてりやきバーガーは、なぜか二つあった。


「え、なんで二つもあるの」


「なんでって、てりやきだぞ。てりやき。考える間もなく二つだろ」


「どういう理屈……」


 困惑しながらも買ってきてくれたことに感謝を述べ、財布を取り出す。


 田中恵一は僕のその動作を遮るように手を広げた。


「金はいいよ」


「え、なんで、買ってきてくれたんだから、払うよ」


「いや、いいんだよ。俺は怜とマック食えるだけで、嬉しいのさ」田中恵一は大げさな物言いで、目頭を押さえるフリをした。


「それにしても君、今朝もマックって言っていなかったっけ」


「うん、正確に言うと朝マックな。朝と昼じゃメニュー違うから、注意な」


 ずいぶんと小さいところにこだわる奴だ。マックに対してなにか情熱のようなものを感じる。


「朝も食べて、昼も食べるの?」


「夕飯も食べるよ」


「夕飯も!」


「夜食も食べるよ」


「四食……。栄養偏るよ」


 言いながら、僕は昔見たマックを題材にしたドキュメンタリー映画「スーパーサイズミー」を思い出す。一年間マックを食べ続けると人はどうなるか、というばかばかしい内容だった。答えは、もちろん太る。だが、田中恵一は四食マックを食べている割には、中肉中背の体型をキープしていた。


「マックは、栄養偏ってないって。トマトだろ、レタスもあるし、ピクルスだってあるんだぜ。てりやきバーガーのパンにはごまがついてるしな。あと、あれだ、ポテト。その気になれば、コーンもある」


「その気って、どの気だよ。とりあえず君がマック好きなのはわかったよ」


「だって俺だぜ」親指を自身に向け、自信満々の笑みを浮かべる田中恵一。


「あ、マック奢るかわりと言ってはなんだが――」


 交換条件か。何だろう。大体予想はつくが。


「俺と合コンに行ってくれ」


「やっぱりそれか。わかった。君がそれほど行ってほしいなら一回限りという条件で行くよ」


「ホントか? いきなりだけど明日は、空いているか?」


「空いているよ」


 言いながら僕は合コンにずいぶん乗り気ではないかと気づく。僕は合コンに行きたいのかもしれない。


「よし。約束だぞ」


「君の言うことを聞く代わりに、僕からもお願いがある」


「なんだよ。俺のスリーサイズを知りたい……とかじゃないよな」


「違うって。どういう発想なんだ君は」


「悪い悪い、茶化して。合コン行ってくれるってのが嬉しくってさ、つい。で、お願いってのは何なんだ?」


「僕と――」僕は思い切り息を大きく吸って言う。「友達になってくれよ」


「もうなってるじゃんか。そんなの。何言ってんだよ」笑いながら、田中恵一はてりやきバーガーにかぶりついた。


 僕は、田中恵一の返答に驚きを隠せなかった。いつから友達になったんだろう。その思いを隠すように僕もてりやきバーガーにかぶりつく。


 勢い余って、マヨネーズが鼻に付いた。


 ♯


 流星くんが来なくなった。


 有馬先生が言うには、体調不良らしい。有馬先生の曖昧な笑みから、おそらく体調不良ではないことがわかった。流星くん自身が来たくないのだろう。二回しか顔を合わせなかったが、過去の自分を重ねていたせいか、流星くんの未来は大丈夫だろうかと心配になる。


 ぼんやりした思いを抱えたままバイトが終わる。子どもたちが、「山口先生さようなら」と明るく帰っていく。帰宅の準備をしていると有馬先生が何か言いかけようとしている空気を感じ取った。少しの間があり、その言葉を飲み込む音が聞こえた。多分流星くんのことを言いかけたのだろう。僕はそれに気づかないフリをして、帰る。


 帰り道、昼に食べたてりやきバーガーが無性に食べたくなり、気付くと僕はマクドナルドの店内で、てりやきバーガーとポテトをむさぼっていた。心なしか昼食べたときより味が劣る気がした。昼に二つ、夕方に一つ、計三つも一日に食えば、さすがに飽きる。


 口いっぱいにほおばりながら、流星くんのことを思い浮かべていた。もっと何かをしてあげられたのではないか。


 何をしてあげられただろうか?


 僕の座った斜め後ろから、子どもたちが遊んでいる声が聞こえた。振り返るとキッズスペースでヒーローになりきって遊んでいる子やままごとをしている子がいた。


 かわいらしいなと思いながらも、てりやきバーガー片手に子どもたちを眺めるのはずいぶん怪しい。僕は振り返るのをやめた。そのとき、歌声が聞こえた。僕はその歌声に再度振り返る。その歌は、有馬先生オリジナルの発声練習の歌だったからだ。


 流星くんがそこにいた。


 僕の視線に気づいた流星くんが、こちらを向き、両手に口を当てて、驚きを隠せないといった表情をしている。マンガのキャラクターのような仕種に笑いそうになるが、堪えた。ここで笑ってしまったら、流星くんの歌を馬鹿にしたように見えるのではないかと思ったからだ。


「やあ、こんばんは。流星くん」


 手を振ってみたが、流星くんはそばの席に座っていたお母さんの足にしがみついた。


「あらどうも、先生。こんばんは。ウチの子がいつもお世話になっています」


 慇懃に頭を下げる流星くんのお母さんに恐縮しながら訊く。


「今日、流星くん体調不良とお聞きしましたが、大丈夫でしたか」


 流星くんのお母さんは、ばつの悪い顔を浮かべる。


「先生もお気づきだと思いますが……。体調不良ではないんですよ」


 流星くんのお母さんは、足元にしがみついている流星くんの頭を撫でた。


「そうでしたか……。来られなかった理由は、やっぱり人前で歌うことでしょうか」


「ええ、そうなんです。ただ、先生がさっき見ていたように、例外もあるんです。家の中と周りに知り合いがいないときは、歌えるようなんです。公共の場でも、自分の知り合いがいなければ歌えるらしくて……。公共の場の方が恥ずかしいような気もするのですけど。いまも先生がいるから、恥ずかしくなってしまったようで」


「恥ずかしくなければ、歌えるんですね。流星くんは、歌うのがキライになったわけではないんですね」


「そうなんです。考えすぎかもしれませんが、このままこのシャイな性格のまま大きくなったら、自信が持てない子になってしまうんじゃないかと不安になってしまって」


 流星くんのお母さんの考えすぎともいえる考えは、僕の考えと合致している。松永一派に、音痴だと揶揄されるごとに、僕は歌えなくなった。人前で歌う授業になると緊張で、手の汗が止まらなかった。僕は、これから大きくなっていく子どもにあんな思いをさせたくはなかった。


 僕にもなにかできるのではないだろうか。いや違う、なんとかしてあげたい。


「流星くんが自信を持てるようになるために、僕がなんとかします」


 気付くと僕は必死な口調で言っていた。自分でも驚くほど自身に満ちたセリフに思える。そんな言葉が口をついたのは、てりやきバーガーのおかげに思えた。流星くんに近づき、頭を撫で、本日、二度目となるセリフを言う。


「流星くん、僕と友だちになってくれよ」


「やだ」


 即答だった。


「こら、流星!」


 流星くんの心を開くのはどうやら難しそうだ。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?