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第5話

 キリイがヒステリックな様子をみせてもユウトは、知らぬ顔だった。

 少女はたしかにムラクモ総督エジンブラの娘、ミカルだった。

 レースのついた青いワンピースのパジャマ姿で現れた彼女は、キリイの姿を

みても気にしてはいないようだった。

 それよりも、好奇心が働いたらしい。

 事務所は、相変わらずに回遊している。

 上からぶら下がるかのような 海中都市の合間を縫うように移動している。

 様々な輝きが窓から差しては消え、また別の明かりが部屋を照らす。

 「あーキリイ、お久しぶりねぇ。こんな場末の事務所にどうしたわけな

の?」

 ミカルはセミロングの髪を頭上で束ね、前髪の端の部分を一束ずつ垂らし、

その一本を指に巻き付けながら言った。

 覚悟を決めたような、態度だった。

 ようやくに階段を下りてきた時には、キリイは事務所の薄汚さからは考えら

れないほどぴかぴかに磨かれたタンブラーから、一気に酒を飲み干していた。

 「ミカル様、あなたの以前のご意思と事態は承知しています。しかし、父上

様のご意向に逆らってまでというのが、解せません」

 「いいよ、別に承知しなくても。わたしはわたしでやるから。それに、父上

は本気でやろうとはしていない感じがするのよ」

 「それでも、困るというのですよ」

 彼は行方不明だった提督の娘を発見した幸運にやや興奮気味だった。

 ミカルは思わせぶりな笑みをうかべた。

 「なんなら、わたしをここで捕まえる?」

 「そこまで自惚れ手はいないです……」

 ミカルの実力は知っている。

 彼女がムラクモの神聖第一銃士隊を作り、なおも隊長であるという事実は、

キリイでも躊躇する相手だ。

 「どうしても、やるつもりですか?」

 キリイは念のために確認した。

 「もちろん」

 快活な返事が返ってきた。

 「事態って?」

 カアーナはつい、聞いていた。

 「誰かなー、君?」

 ミカルは、眼だけダークエルフに向けてきた。

 カアーナは負けじと、見返す。

 「この島の森アカシアの守護者、カアーナです」

 「へぇ……あの森の……」

 視線はダークエルフから、ユウトに移された。

 「随分、可愛い子連れてきたね」

 満面の笑みが逆に怖い。

 ユウトは同じ満面の笑みになった。そのかわり、ミカルから、顔を背けて。

 「良かったな、可愛いとさ」

 「ユウトに言ってるんだけど?」

 ミカルは彼に声をぶつける。青年は、とぼけた様子でキリイが飲んでいたグ

ラスを、脇に置いた。

 「……あー、なんだなぁ。事態に役に立つとおもってね」

 「ラシフェを、どうにか出来ると?」

 「……ああ」

 ラシフェとは、ムラクモの土地と反対側にある街だった。

 街であり、今も探索機には反応がある。

 だが、ラシフェまで到達した者はいない。 

ムラクモがこの島にしばらく定住するために作った街は、ラシフェルの為の

ものだった。

 それだけではない。ミカルにも深い関係があった。エジンブラは、無目的で

この島に来たわけではなかったのだ。

カアーナはごちゃごちゃしてきたので、敢えて無言になった。

 彼女には、アカシアの記憶がある。彼らが何を考えているのか、しばらく考

え、少しヒントをもらえれば、解明出来そうだった。

 もっともそんなことをしなくとも、計画に必要と言われた時点で、内容は聞

いておかねばならない。

 「全部吐けと言ったろう……?」

 酔いで目元も虚ろになってきたキリトは、それでも、遠くに置かれたタンブ

ラーに手を伸ばそうとする。

 ユウトが軽くその肩を押すと、彼はそのまま、寝てしまった。

 「少し、説明しようか、カアーナ」

 彼は幼なじみの銃士を見下ろすと、彼女のほうを向いた。ダークエルフはう

なづく。

 「この街はもともと潜航艦でできている。いま、人類が多く乗り込んでいる

ものの一つだ。もちろん、我々は陸地をさがして、ここに来た。だが、さっき

出た名称に仰々しさを感じなかったか?」

 「神が堕ちたのに、神聖銃士隊とか……?」

 「それだ。なぜ、神聖なんて名乗るのか。答えは、我々が神を捕えたから

だ」

 「神を捕えた!?」

 カアーナは思わす、聞き返した。

 ただでさえ神を堕とすのが人間の所業じゃないというのに、さらに捕獲まで

していたのだ。

 「……本物なの? デミウルゴス(創造主)やプロメテウス的な存在じゃな

く?」

 「本物だ。そして、エジンブラはそれを利用して、人類の潜行艦隊から優位

に立とうとしている」

 「優位? 生っちょろいいいかなね。自分が支配者になろうというのよ」

 ミカルは訂正した。

 もしそうならば、止める? 理由をカアーナはわからなかった。手段を手に

入れたなら目的に使おうというのが心理だろう。それに神を完全に確保したな

ら、エジンブラの野望をそのまま受け入れても、問題はないだろうに。

 「どうして、それを阻止しようというの?」

 「ダークエルフは、権力志向かな?」

 ミカルは笑った。だが、カアーナは真剣である。

 「……他の艦が許すわけないでだろう、そんなの。ここは堕天使が作った世

界だぜ? 現にうちはすでに潜行艦群に狙われている。」

 なるほどと、カアーナは納得した。


 エーレルとアーソングは山の奥から降りて、獣道といっていい道を歩き続け

ていた。

 「まったく、乗り物はないのかよ」

 アーソングは何回目かの不満を吐いた。

 「……どうして街からもってこなかった?」 

エーレルはいままで、その愚痴を無視していたが、意外と長い道のりに、よ

うやく疑問をぶつけた。

 既に、野宿三日目である。

 「あー、ムラクモの管理は知ってるだろう。都市内ならいいが、変に外には

出してくれないんだよ」

 「そうか、立派だな」

 皮肉が返ってくると、二人はまた無言で道を歩き続ける。

 既に太陽は落ちかけている。また泊まる所がないので、野宿になりそうだっ

た。

 「今のうちにやっておこう」

 アーソングはそういって、歩を止めた。

 鬱蒼とした雑木林といっても良い所だった。

 エーレルは頷き、腰の水筒から水を一口飲む。

 一息つくと、夜のための薪を集め出す。

 すっかり陽が落ちて炎が焚かれ、二人はその側で対面するように座った。

 二人は無言のまま、夕食の干し肉を炙りった。

 「これから行く街はな……」

 アーソングが、誰にともないと言った風に喋りだす。

 「地図にはあるが、実際にはない都市だ。いや、正確には以前まであった」

 ティルモア。それが街の名前だった。

 「どうして、地図だけになったんだ?」

 街まで行く目的は、ルェジェンに頼まれたからだった。

 とにかく、そこに行け。

 少年は二人にそれだけを言っていた。 

 「神の造りし街です」

そうとも付け加えた。

 何しに行くのか、目的もわからずに二人は従った。

 ルェジェンは神の側にいる存在だ。それが、二人に思考停止を働かせた。

 「どうしてかは、わからんな。まずは行ってみないと……」

 アーソングが焼けた肉をパンと一緒に口にする。

 彼は、無言で手を伸ばして刀の鞘を側に置いたエーレルをみた。

 辺りに、何かの気配が感じられた。すでに、彼らを取り巻いている。

アーソングは、回転演算機をポケットからだした。

 やがて、たき火の明かりに姿を現したのは、半透明になった老若男女だっ

た。

 「……害意はなさそうだ」

 エーレルは一つ、深々と息を吐いた。

 そして、不信感を丸出しにしたアーソングを無視すると、その場に寝ころん

だ。

 「おまえらは、何者だ……?」

 声に多少の恐れが混じっていた。

 薄ぼんやりとした彼らは、やがてケタケタと笑い出した。

 「あなた方が……」

 「……新しい住民になるというので」

 「ご挨拶に……」

 誰が言っているのかわからないが、周りから言葉が投げかけられた。

 「いらねぇよ、そんなもの」

 アーソングは、回転演算機を手にして、かたっぱしから消滅させていった。

 すべての者が消えると、彼は荒くなっていた息の一つを深々と吐いた。

 「先が思いやられる……」

 恐怖より、疲労感で彼はつぶやき、胡坐をかいて木にもたれた。

 やがて、彼にも睡魔がやってきて、意識がなくなった。


 アーソングが目を覚ますと、エーレルはすでに朝食の星肉とパンを食べ終わ

るところだった。

 「行くぞ、アーソング」

 起きたばかりだというのにアーソングを見ると、防寒のマントを外したエー

レルはスレンダーな身体を伸ばして立ち上がった。

 「へーへー。おれは飯を歩きながら食えばいいんだな」

 皮肉に答えたが、相手は無視してきた。

 やがて、いつの間にか先を行っていたアーソングが、回転演算機と、丘を見

比べながら、立ち止まった。

 「……到着だ」

 だが、ティルモアの都市の姿形すら見えない。

 エーレルは、彼の脇を通り抜けると、丘を登って行った。

 「何もない、な」

 見渡したが、都市があった跡すら無く、彼女は独白した。

 「反応は、回転盤が回りっぱなしになっているほどなんだがな……」

アーソングは遥か足元で、警戒していた。

 その時、晴天だった空に、薄暗い雲が出現しだした。

 同時にどこからか鼻歌が聞こえてくる。

エーレルは刀の柄に手をやった。

 「アーソング、ティルモアの確実な位置は?」

 回転演算機の対象を縮小し、全体を範囲に収めると、星型をした歯車の一つ

が、一点を指示した。

 「ティルモア、姿を現せろっ! 我々は神より遣わされた者」

 アーソングはその示された方向をむいて怒鳴った。

 とたん、地響きが起こった。

 エーレルが立っていた、場所から遠くないところまで丘に亀裂が入るかと思

うと、レンガのように崩れた。

 すると、耕作されたような台地に、フードを被り外衣で身体を包み、杖を持

った一人の人間と、脇に三つの頭を持った巨大な黒い犬の姿があった。

 フードを被っているのは、小柄で華奢な体躯と線で知れる。

 「軽々しく神の名を唱える者よ、我はティルモア。控えよ」

 ティノールの越えはよく響き、物理的な重量感を持っていた。

 二人は、何とかその重さを抱える。

 「貴様が、神の預言者ティルモアか。顔を見せてもらおう」

 アーソングは臆することなく要求する。

 風が吹き出し、マントに包まれた身体の周りで荒れるように吹き上がったか

とおもうと、ードが、頭部からめくりあがった。

 パーマのかかった短く黒い巻き毛で、白磁の肌の美少女と言っていい容貌が

現れた。  年齢はまだ幼さが目立つ十五歳ぐらい。瞳は黒いが、アジア系で

はない。どこか、ヨーロッパとアジアの中間といった作りだ。

 「我の貌を見た者は、魂の審判を受ける」

 杖でトンと地面を打つと、黒い瞳が輝いた。

 エーレルとアーソングは明らかに身体に何かが侵入してきたのを感じた。実

に不快気なものだが、それが、一気に膨張を始めた。

 「うぉぉぉぉぉぉっ!?」

 アーソングは、かがみ気味に自分の姿を見下ろした。コートの下、肌が見え

るところから、光が放たれていた。

 エーレルの緋色の外衣の内側からもだった。

 光は頭上の輪と、背中に数枚広がった翼の形を取った。

 「おお、これは……」

 ティルモアは、驚きと歓喜の声を上げた。

 二人の前に前に跪く。

 「天使様、真の天使様でいらっしゃったのですね」

 エーレルとアーソングは、ムラクモの地下で老人にあった時、何か違和感を

与えられたが、その正体がわかった。

 「なんだこれ、どうなってる!?」

 アーソング達から光が消えた。

 「私は似合ってたが、アーソング、おまえは全くガラじゃなかったな」

 冗談とも本気とも取れるようにエーレルは言う。

 「……まったく、こんな小汚いオヤジと一緒なんて、本気で嫌気がさす」

 続けた言葉で本気だと知れた。

 「で、どうするんだよ、このガキ?」

 アーソングに訊くと、彼は回転演算器を持った手に力を入れた。

 「もちろん、堕とすつもりだが……」

 「我らが主に仕えし、天上の住人にお願いしたいことがあります」

 少女は態度を一変し、丁寧に二人に接した。

 「あなた方に堕天の力があると、すでに主の声で訊いております。使者を二

人寄越すとも」

 「試したのかよ、お嬢ちゃん?」

 アーソングが、邪悪な笑みを浮かべる。

 「ふざけたことすると、ろくな目に遭わないぞ?」

 「申し訳ありません」

 「で、願いってなんだ?」

 エーレルが割って入る。この情けない風情の中年オヤジが本来の嗜好を発揮

されるのは、気持ちの良いことではない。

 「ティルモアは、街の名前。同時に私の今の名前でもあります。私は神の言

葉を聞き、いかにティルモアの街が汚れているか悟りました」

 背後で、ケルベロスが小さく唸り出す。

 「どうか、私共の罪に審判を下していただきたい。そして、できることなら

ば、魂の救済を」

 跪く少女に、二人は顔を見合わせた。

 ムラクモで会った老人は彼らに言っている。

 この島の北に、我の手の物ではない、汚れた存在がある。貴様等は、それ審

判してからを浄化し消滅させなければならない。

 この言葉によって、彼らは来たわけだが、目の前の子供とも言うべき存在に

審判などという、消滅などさすがに気が引ける。

 アーソングに至っては、それではあっけなくももったいないと思っている。

 「残念だがねぇ、お嬢ちゃん。私たちは、まだ有りもしていない罪なんかに

興味がねぇんだ」

 エーレルは、少女の後頭部に言葉を投げた。

 すると、彼女は立ち上がり、生真面目な表情を真っ直ぐに向けてきた。

 「これから、お見せします。どうか、寛大なご処置を……」

 少女は背を向けて、杖を掲げる。

 再び風が吹き出したが、今度のは黒い煤煙とも見間違える璋気を含んでい

た。

 杖は突き出され、黒い風がその遙か先に舞うように集まった。 

黒い風は、まるで硬化するかのように、姿を取り始めた。

 ゆっくりと高いビルが乱立し、建物が地上を埋めた、半壊した街の様子が浮

き彫りになってきた。

 「なんだこりゃぁ」

 回転演算器を持ったアーソングが思わず声を上げた。

 堕天属性が回転板を止めないで高速に動いているのだ。

 声が風に乗ってやってくる。それは怨嗟の声であり、助けを求める声でもあ

り、憎悪や後悔といった声だった。

 二人はその声に、鳥肌が立つ思いをする。

 璋気を発する街が、今やはっきりと存在を表した。

 「嬢ちゃん、おまえの名前は?」

 エーレルは、街を眺めつつ、訊いた。

 「……本当の名前は、フージェです」

 「では、フージェ。さっきからそのケルベロスが、こちらに敵意をむけてい

るのだが。地獄の門番がこんな所で何をしている?」

 「私が門からティルモアを守る為に、召喚したのです……」

 「まあ、なんにしろ、街に入る前に、その犬をどうにしなきゃならねぇな」

 エーレルはケルベロスに視線をやって、舌なめずりをする。

 「それでもいいか?」

 「……構いません」

 少女は一瞬の迷いを見せながらも、やがて決断したようだった。

  低い笑い声がした。

 見るとアーソングのものだった。

 「悪いが、先に行かせて貰う」

 珍しく積極的に言って、アーソングはティルモアの街に向かった。

 「勝手にしろ」

 エーレルは既に通常刀の柄に手をやり、そろそろとケルベロスとの距離を詰

めていた。 「リュジカ、これは試練だよ。おまえは一時期地獄に堕ちるかも

しれないが、必ずたすけてあげる」

彼女の背後からフージェの声がした。

 リュジカと呼ばれたケルベロスは、頭三つをエーレルにむけて、咆吼した。

彼女の髪が後ろになびく。

 エーレルは一気に跳んで間合いに入ると、抜きざまの刀の鞘で一つの首を突

きと同時に刀で相手左側の頭に上段からの一撃を与えようと振るった。

 柄はもろに鼻先に当たり真ん中の頭は引っ込んだが、左の頭部への刀は、そ

の巨大な牙をもつ口に挟まれた。

 エーレルは、親指で鞘のボタンを押した。

 その表面の裏から薄い刃が起き上がり、鞘口から伸びる。刀を咬んだ顔の右

側の鼻の根元に突き刺した。

 リュジカの左頭は痛みで上を向いて口を開く。

 解放された刀は、その位置から、頬を滑るように引き裂いた。

 苦痛の咆吼を上げようとしたときには、左の頭はエーレルに切り落とされて

いた。

 ケルベロスは後ろに跳んで、間をあけようとしたが、エーレルのほうが、早

かった。

 真ん中の頭部が縦に袈裟斬りにされ、返す刀で右側の顔面に刀を突き刺す。

 リュジカは力なく腹を地面につけてから、浮かなくなった。

 「リュジカっ!!」

 フージェは、ケルベロスに駆け寄った。

 「救済を……天使さまっ!」

 彼女は懇願するように、エーレルを見上げた。

 正直、エーレルは困惑した。

 彼女は刀を振るうのが楽しくて仕方がないのだが、救済と言われても、なん

のことかやり方すらわからない。

 出来ることは一つだ。

 「地獄から召喚したというのなら、地獄に返すのが救済だ」

 言って、そのままにした。

 動悸が激しい。それは快感でありエーレルは満たされていた。おかげでフー

ジェの心情を理解してやる余裕はなかった。

 少女に一目もくれず、エーレルはティルモアの街に歩を進めた。

 廃墟と言っていい街だった。

 これが、この島を支配し盛況をはかった場所とは、とても思えない。

 砂利がまばらに道に落ちている中をすすんでゆくと、遠く彼女を横切る影が

あった。

 猫背で顔色は土気色をして、服はボロボロ。髪は半分抜け、眼は窩の奥でし

おれている。

 一人だけではない。

 似たような姿の若い女性や子供が、どこへ向かっているのか、とぼとぼと徘

徊するように歩いていた。

 エーレルは、害意を示さない彼らを無視して進んだ。

 昨晩会った、姿の薄い者達が言ったのは、この人々だとして、仲間になると

は、どういうことだろう?

 これをどうしろというのだ?

 彼女は疑問を疑問のままにした。

 人間以外というと、意外とまともな生命があった。

 それは、精霊だ。光球としての姿しかないが、彼らは明らかに洪水後に存在

をはじめた、新種の生物だった。

 様子をみていると、彼らは同じ方向に進んでいるようだった。

 エーレルも、その後に付いていくことにする。

 やがて人々は群れだし、一つの建物の中に入って行っていた。

 大きめの教会である。

 屋根は半壊し、壁には亀裂が出来て、汚れ放題に庭の雑草が生え放題になっ

ていたが、多分、街で大人数を収容出来る建物といえば、ここぐらいしかない

のであろう。 

 中に入ると、ゾンビのような住民達が壇上を見上げて所狭しとひしめいてい

た。

 そこには巨大な象牙色した像が建っていた。

 目が三つあり、腕が六本。足は踊るように片方を上げている。首と腰に髑髏

の束を垂らし、手にはそれぞれの武器となる刃物を持っていた。

 伝説である大洪水以前の大陸にあった、ある地方の神に似ているが、三つあ

る目の顔はそれだけのパーツしか付いてなかった。

 やがて、人々が不思議な合唱を始めた。

 エーレルはその響きに頭痛と胃のむかつきを覚えた。

 一人、生気のない男性が壇上に昇り出すと、像は急に生き物のように滑らか

なに動きだし、鮮やかな腕の一振りで、男の頭を斬り飛ばした。

 エーレルが驚いて呆然としていると、いつのまにか列ができていて、像が住

民を次々に処刑していった。

 押されるようにして、エーレルは壇上に押されて上がらされた。

 三つの目が彼女を見下ろす。

 「これはいなしたことか。貴方のような存在が、何故、我の眼下に立つの

か?」

 像はどこからか声を出した。

 「それは、こちらも訊きたい。なんだ、この自殺志願者の群れと、貴様の所

業は?」

 エーレルは柄に手を置いていた。

 「説明させて貰おう。ここの者達は、神に作られた存在だ。だが、今地上を

支配しているのは、人間に堕とされた神ではない。堕天使の一人だ。彼らにと

って、堕天使支配の街は存在を許されない者となった。故に、我は彼らをこの

世界から追放しているのだ」

 「殺すのが追放か。笑わせる」

 「殺すのではない。存在を変えさせるのだ。人間として否定するときに殺す

イメージが現れているに過ぎん」

 「じゃあ、変えられた存在とはなんだ?」

 「精霊だ」

 像は簡潔に一言で答えた。

 「精霊は体を持たない。ただの思念体がそんなにいいと?」

 「うぬは、生半可な知識を持っているようだな」

 嘲笑されたようだが、エーレルは無視した。

 「貴様も、神に作られた存在か?」

 「違う。だからこうして表面上、人間を殺している」

 それは、なんという都合の良いシステマティックな作業だろう。

 エーレルは、場違いにも関心した。ふと、気になったことがある。

 「……ここの人々を殺し尽くしたらどうするつもりだ?」

 「その時は、新たな人間を求める」

 「単純明快な言葉だった」

 エーレルはここでフージェからの頼みに、悩んだ。

 だが、考えはすぐに決まった。

 「すぐに作業を再開するがいい、悪魔の手先さんよ。私は見なかったことに

する」

 エーレルは壇上に背をむけて、人々の脇を通り抜けて行った。

 アーソングの居場所だが、携帯通信機を使い連絡を入れる。通話に出ない。

 仕方ないので、ナビシステムで、彼の体に埋め込まれたチップを追わせた。

 目指す先にあったのは、なんの変哲もない一軒家だった。まるで半世紀前に

半壊しているような点を除けば。

 エーレルは壊れたドアから入ると、早速、様々な香料の香りが漂ってくるの

と、何かを焼く音が聞こえてきた。

 「……くそったれが」

 吐き捨てる。

 エーレルには、アーソングが何をしているのか、すぐにわかった。

 リビングのドアを開けると、キッチンに立つ、アーソングの姿があった。

 その足元には、少年の者と思われる死体が転がっていた。

 「そこまでだ、アーソング。それ以上、ゲスの真似するなら、私は黙ってね

ぇぞ」

 エーレルは殺意を込めて、こちらに気づいた中年男性に警告した。

 彼はフライパンの前で両手を軽く挙げて、卑屈な笑みを浮かべた。

 「火を消せ」

 すぐに、コンロのつまみを消化にする。

 「とにかく、出てこい。これからのことを考える」

 アーソングは未練たらしく、その場から離れた。

 家から少し離れた路地に来ると、エーレルは見たことを伝えた。   

 「……とにかく、フージェと地下のじじぃは、我々に何をさせたいと思

う?」

 「決まってる。ここは、まともな人間の住んでいるところじゃない」

 家から出てきて欲求を抑えたアーソングは意外とまともな発言をする。

 「あのガキもじじぃも、言いたい事は同じだ。堕としてしまえってことだ

よ」

 「……なにか、引っかかる」

 エーレルは呟いた。

 「何がだ?」

 「つまり……ティルモアが何故、こんな街になったかとか……」

 彼女自身もはっきりとは解らず、口調が曖昧になった。

 「なにもかにも、堕天使のせいだろう?」

 「堕天使は地上を支配している。こんな半端な状態にして置くわけがない…

…神が造った街だと、ルジェンは言っていた。それがこのざまなのは……」

 「と、なると……残りは一つと決まっているか……」

 アーソングの言葉に、エーレルはようやく合点が言ったという様子だった。

 「さすがにやることが、狡いな」

 「おれが距離を置いたのもわかるってもんだろう?」

 「あんたは、別だ。全く別だ」

 エーレルは即答した。

 言われた本人は気にする風でもなしに、街を見渡した。

 「堕としておくか……」

 「それが、無難だ」

 彼女もその言葉に頷いた。

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