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第30話 俺が君に贈った最高の曲

 そうして次の扉の前に立ち止まったさっちゃんは無言でこちらに顔を向け、なんの部屋なんだと訴えかけてくる。


「トイレだね」と扉を指差しながら答えてやると、さっちゃんの満足の行く答えじゃなかったらしくまたもやズシズシと歩き始めてしまう。


 花音と美佐さんがやんちゃって言ってたけど、そんな素振りは見られない。

 その代わりと言っちゃなんだが、わがままな子だなぁとは思う。


 まぁそれがいいんだけどね?

 子どもらしくて可愛いと言うか、やっぱり子どもはこうじゃなきゃなという安心感が湧いてくる。


 将来は元気な子に育ってくれよ?さっちゃん。

 俺みたいな根暗にならず、かといって人様には迷惑のかけない大人に。


 思いに耽ける俺はポンッとさっちゃんの頭に手を置き、ワシャワシャと撫でる。


「どしたのぉ?」

「元気に育てよ〜ってな」

「さっちゃん元気だよ?」

「だな」


 まるで先程の怒りなんて無かったかのように気持ちよさそうに目を伏せ、もっと撫でろと言わんばかりに頭を突き出してくるさっちゃん。

 もちろんそんな要望に答える俺はこれ見よがしに撫でてやった。


「変なお兄さん優しい〜」

「そうか?」

「うん!さっちゃん変なお兄さん大好き!」

「そうかそうか。なら俺も嬉しいよ」

「変なお兄さんが嬉しいならさっちゃんも嬉しい!」

「いい子だね」

「うん!」


 さっちゃんの将来が楽しみだなこりゃ。

 優しくて元気が良くて可愛くて。将来は良い旦那さんを連れてくるだろうな。


 まるで我が子のようなことを考えてしまう俺なのだが、そんな俺を他所に、扉の前に立ち止まったさっちゃんは指を指す。


「この部屋なーに?」

「防音室だね」

「ぼうおんしつ?」

「楽器が置いてあるんだよ」

「楽器!さっちゃんやりたい!」

「あー……んー、いいよ」

「やった!」


 さっちゃんに言葉を返した俺はドアノブを捻り、ゆっくりと扉を開く。

 そうすればギターやピアノ、トランペットやクラリネット、打楽器から金管楽器までありとあらゆる楽器が視界に入る。


 そんな楽器たちから視線を下げてさっちゃんのことを見てみれば、これまた分かりやすく目を輝かせ、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


「楽器さんがいっぱいある!」

「全部父さんのなんだけどね」


 先ほど少し了承に時間がかかってしまったのは、前述した通り、ここにある楽器は全て父さんのだからだ。


 俺は父さんに触っていいと許可されているが、さっちゃんは了承されていない。

 だからなにかが壊れた時に叱られるのは俺なんだけど……まぁ多分大丈夫だろう。


 扉を開けた瞬間に飛び出さなかった、ということは自分を制御できているという証拠。

 触りたいという我欲に負けず、俺の目の前に立っている。

 さっちゃんはほんと大人だな。


 なんて思いに浸っていると、キラキラとさせる目をこちらに向けてきたさっちゃんは俺の手を握り、楽器たちを指差してくる。


「変なお兄さん!なにかやって!」

「なにか……?」

「うん!」


『数ある楽器の中でひとつしか弾けない』という場合にはすぐに手が伸ばせる。

 だけど、俺の場合は少し違った。


「なにか……ねぇ……?」


 この部屋にある約20種類の楽器のうち、俺はすべての楽器が弾けるのだ。

 木琴もドラムもベースもサックスも。父さんに教えられた楽器はすべて弾けるようになった。

 というよりも、弾けるようにした。


 あの時のことを忘れようと無我夢中で楽器を鳴らして、楽器にハマろうとして、とにかく弾きまくって、できるようにした。

 まぁ結果としては楽器にハマらず、ひとつの楽器で一曲弾けるレベルで終わったのだけれど。


「んじゃあ最近練習したピアノでも弾いてやるか」

「ピアノ!」

「ピアノ知ってるのか?」

「うん!ねぇねが動画よく見せてくれる!」

「なるほどね」


 確かにピアノは楽器として有名だ。それこそ幼稚園に通っていたら常に目に入る楽器だと思う。


 でも3歳児が楽器名まで知ってるか?少なくとも俺が3歳の時は絶対にピアノって名前は知らなかったね。


 とまぁ、なにが言いたいのかというと、花音のやつ相当さっちゃんにピアノを聞かせてるな?ってことだ。

 小さい子は覚えるのが早い。即ち、どれが綺麗な音で、どれが下手かなんて一目同然だ。


 それこそネットに上がっているピアノの動画なんてすべての音が綺麗だ。

 だから俺のハードルが上がるんだよ……。


「ピアノっ!ピアノっ!」


 なんて言葉を口にしながら俺の手を引っ張るさっちゃん。

 そして当然のごとくグランドピアノの元へと俺を連れていき、輝かせる目をこちらに向けてくる。


 流石にここまで来てやらないという選択肢はない。

 それに、前述した通りここ最近ピアノだけは一晩中練習していた。


 花音が他人の弾くピアノに『綺麗』という言葉を発したから変な火がついたんだろう。

 我ながら柄にもないことをしたもんだ。


「変なお兄さんっ!」

「分かった分かった。緊張するから急かさないでおくれ」


 太ももを揺すってくるさっちゃんに苦笑を向けた俺は鍵盤蓋を開き、赤色のキーカバーを取る。

 屋根はまぁ、開けなくてもいいだろ――


「ここ開けないの?」


 ――動画通りのことをしてほしいのだろう。

 ピアノの屋根を指差したさっちゃんは、顰めた眉で俺のことを見上げてくる。


「……音が大きくなるよ?」

「大きいほうが好き!」

「……なるほど」


 ほんと物好きな子だなぁ……。

 仕方無しに屋根を開き、側板でしっかりと固定した俺はトムソン椅子へと腰を下ろす。


 先ほども言った通り、俺はひとつの楽器でひとつの曲しか弾けない。

 別にこれは呪いとかなんかじゃなく、2曲目を練習する前に他の楽器に目移りした結果、1曲しか弾けなかっただけ。


「じゃあ弾くぞー」

「やった!」


 パチパチパチとまだ早いんじゃないか?と思う拍手を耳に、ダンパーペダルに右足を、鍵盤に両手を添えてゆっくりと音を鳴らし始めた。



 俺が唯一、ピアノで弾けるのは、ヴィットーリオ・モンティ作曲の『チャルダッシュ』。

 かつてヨーロッパ中で大流行を極めた『チャルダッシュ』は、ウィーンの宮廷が一時的にチャルダッシュ禁止の法律を公布させたほどの有名なクラシック音楽。


 なぜ俺がこの曲を自分のものにしたのか。

 それは花音の人生を見ている気分になったからだ。


 弱く、緩やかに始まる鍵盤音はまるで生まれたての赤ちゃんを彷彿とさせ、途端に強くなる音は元気に遊べた子どもをイメージさせる。

 けれど、またすぐに音が弱くなる。それはいつしかの花音が病院に運ばれたときと同じだった。


 ついさっきまでは元気だったのに、刹那で弱々しい姿に成り果てていた。

 せせらぎに流れる水のように細く、それでも綺麗で、心を癒やしてくれる。

 そんな彼女に、俺はこの曲を送った。


 楽譜の終盤のように、強く、たくましくなってほしいから。

 俺の前に元気な姿で現れてほしいから。

 だから俺は、この『チャルダッシュ』という曲を、病室から花音を連れ出して聞かせてあげた。


 花音がこの曲をどう聞いたかはわからない。

 だが、俺の前に元気な姿で戻ってきてくれたのだ。

 俺の願いを叶えてくれたのだ。

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