「部屋の中でさっちゃんに変なことされなかった?」
玄関を後にし、歩道を歩いていると隣の花音からそんなことを言われる。
「いや?別に?」
「そう?ならよかった。さっちゃんこう見えてやんちゃな所あるからさ」
「やんちゃなんだ……」
まぁやんちゃなところは見れなかったが、素直な子だなとは思ったよ。
その素直さが故に俺の部屋が汚部屋だということがバレないかが心配なのだが。
俺と花音の間で手を繋いでるさっちゃんを見下ろす俺に気がついたのだろう。
こちらを見上げるさっちゃんは、首を傾げて口を切る。
「変なお兄さんなーに?」
「んいや、なんでもない」
流石に長時間の抱っことなれば相当の筋肉が必要となる。
生憎俺にはそこまでの筋力はないので、抱っこじゃなくて手を繋ぐということで手を打たせてもらった。
最初こそ若干不服気なさっちゃんだったが、花音と俺に手を繋がれたのが嬉しかったのだろう。
今では満面の笑みで手を振っている。
なんとも愛くるしい姿だ。
「そういえばおばさんになに頼まれたの?」
「あーっと、ろうそくとケーキの受け取り……だけど、今日誰かの誕生日だっけか?」
ふと思い出したかのように口を開いた俺は、首を傾げながらさっちゃんのことを見下ろす。
さっちゃんのこともあり、なぜ西原家が我が家にいるのかを考えれていなかった。
多分さっちゃんの誕生日だろうけど……うちで祝うことか?
「……もしかして知らないの?」
「え?」
不意に聞こえてくる花音の声に顔を上げてみれば、そこには不服だと言わんばかりのしかめっ面があった。
「本当に聞いてないの?なにも?」
「なんも聞いてないけど……」
ズイっと顔を近づけてくる花音から顔をそらす俺は慌てて脳をフル回転させる。
母さんは今日のことなんか言ってたか?いや言ってないよな。
少なくともこの一週間……いや、この一ヶ月。というか一年。
だとしたらそれよりも前?
いやいやいや、流石にないだろ。
9月30日になにかあったという報告を受けたら覚えてるはずだぞ?
それこそ重要なことなら。……重要なこと?重要な――
「――あ、退院おめでとう」
「……遅いなぁ」
「ほんとごめん。完全に頭からすっぽねけてた」
そういや母さんそんなこと言ってたな?ちょうど3年前に。
玄関の扉を開いて、階段で座って待ってた俺に安心しきった笑みで言ってきてたな?
「いいよいいよ。今言ってくれたしね」
「いやこれはまじでごめん。退院祝い……には遅すぎるけど、俺にできることならなんでもやってやる」
「……それほんと?」
「まじだ。何でも言ってくれ」
頭を下げ、いつしかの保健室のようにつむじを花音へと見せつける。
退院日に病院に出向かなかったことがこれで解消される訳では無い。
そんな事はわかってる。けど、せめてもの償いをさせてくれ。
捻くれていた昔の俺の尻拭いだ。
「じゃ、じゃあ……えっと……その、と――」
「――ねぇね?変なお兄さん?早く行こ?」
突然耳を通り抜けていくのはしんみりとしたさっちゃんの声。
俺達の雰囲気を察してのものだろうけど、小さい子のそんな声を聞いてしまえば俺とて頭を上げざるを得ない。
「あ、あぁ……ごめんな?さっちゃん。続きは後で2人っきりのときに」
「そ、そうね。さっちゃんごめんね」
花音もなにか言いかけようとしていたが、後でちゃんと聞こう。
どんなむごい仕打ちが待ち受けていようが、なんだってやってやるよ。
あの時行かなかった俺が悪いのだから。
どことなく頬を赤く染めている花音が先に歩き出し、それに続くように俺とさっちゃんも歩き出す。
そうしてやって来たのは、つい先週にも見たショッピングモール。
流石は休日というべきか、やっぱり人は多い。
ここでは抱っこするか。
はぐれたら怖いし。
「さっちゃんおいで」
さっちゃんから手を離した俺は腰を屈め、大きく手を広げてやる。
さすれば、この上ない笑顔を浮かべたさっちゃんは俺の胸へと飛び込んできて「やったぁ」と言葉を零す。
俺に子どもが出来たらこんな感じになるのかな?なんてことを思いながら腰を上げると、どうやら花音も同じことを思っていたらしく、
「子どもが出来たらこんな感じなのかな?」
「かもな。できたらの話になるけど」
「……ちなみに作る気はあるの?」
「相手が居たらって感じかな」
「な、なるほど」
なにがなるほどなのかは分からんが、まぁ納得してくれたのならいいか。
なんてことを頭の片隅に考えながら目的地であるケーキ屋さんへと向かう。
不意に、グリグリと胸に髪の毛が押し当てられる。
どした?なんて言葉を零しながらそちらを見下ろしてみれば、これまた気持ちよさそうに目を細めるさっちゃんが視界に入った。
「さ、さっちゃん?」
「変なお兄さんいい匂い」
「なんじゃそりゃ……」
この子はほんと素直な子だなぁ!
いいことなんだけれども!素直なのはいいことなんだけれども!
すっげー恥ずい!
ふいっと背けるように視線を外す俺は、少し離れた所にあるケーキ屋さんを見る。
将来この子は絶対男の子を勘違いさせるだろうな。
今ですらそんなオーラを感じる。
「照れてる?」
「まぁ……いい匂いと言われましたらね……」
「ふーん?なるほどね?」
「……さっきから気になってるんだけど、一体なにに納得してるんだ?」
「え?あーうん、色々?」
「ほーん?」
なるほど?言えないってことな?
分かりやすく視線を泳がせる花音は俺より半歩前に進み、手を後ろに組む。
別に詮索しようとは思っていない。
でも、気になるものは気になる。
だからジッと花音の背中を見つめて言葉を探していたのだが――
「あっ、私ちょっと化粧品見て来ていい?」
――俺から見ればまるで逃げるように、けれど普通に化粧品が見たくなったのだろう。
先ほどとは打って変わり、純粋無垢な目をこちらに向けてくる花音はつい先週俺達が出会った化粧品売り場を指差す。
「んならケーキ受け取ったらそっち向かうわ」
「ありがとっ。私もすぐ終わると思う」
「おけー」
そんな会話を終えた俺達は、それぞれ別々の方向へと歩き始めた。
さっちゃんはずっと俺の腕に居るつもりなのか、首に手を回して肩に顎を乗せてくる。
寝てしまうのではないか?なんて思ったのもつかの間、さっちゃんは顎をあげて辺りを見渡す。
「ねぇね?」
「ねぇねは化粧品見に行ったよ」
「けしょうひん?」
「お顔を綺麗にする道具だね」
「ねぇねのお顔、きれいだよ?」
「だね」
まぁあくまでも俺の意見だが、さっちゃんが言った通り花音は綺麗な女性だ。
それこそ化粧なんていらないんじゃないか?と思ってしまうほどに肌が白く、まつ毛が長い。
本人に直接言うことはないだろうが、少なくとも俺はそう思っている。
他の人がどう思ってるかは知らんが。
さっちゃんが再度肩に顎を置くと、俺たちはケーキ屋さんへと到着した。
店内に入ってみれば、ガラスケースに囲われたショートケーキやらモンブランケーキやら、多種多様なケーキが揃っている。
だが、今回はケーキの受け取りだけ。
なのでレジに立つ店員さんの元へと行き「ケーキの予約をしていた白崎ですけど」と伝えてやる。
さすれば「白崎様ですね」と胸ポケットからメモ帳を取り出した店員さんは俺の名前を確認し、キッチンへと下がっていった。
「いい匂い〜」
「いい匂いだね。さっちゃんはケーキ好き?」
「大好き!」
「どんなケーキが好き?」
「いちごのやつ!」
「ショートケーキかな?美味しいよね」
「うん!」
いちごが乗ってるケーキにも色々種類はあると思うが、多分ショートケーキだろう。
……当の本人はショートケーキがなにかすら分かってない気がするけど……。
「こちらがご注文のフルーツケーキです。お会計は前日に払っておりますので大丈夫です」
「ありがとうございます」
ケーキが入っているであろう箱をビニール袋に入れて渡してくる店員さんに、軽く会釈をしながらケーキを受け取る。
「――あ、このろうそくもお願いします」
「かしこまりました」
ふと思い出した俺は3本入りのろうそくを指差し、先ほど受け取ったビニール袋を一度レジに置く。
そしてポケットから財布を取り出し、片手でファスナーを開いて千円札をカルトンへと配置した。
すると、これまた丁寧にビニール袋の中にろうそくを入れてくれた店員さんは千円札を手に持ってレジを叩く。
勝手な偏見なんだが、ケーキ屋さんで働いてる人って見るからに優しいし、言動も優しいよな。
そんな優しい店員さんからお釣りを受け取った俺は財布に小銭を入れ、ポケットにしまう。
「ありがとうございました〜」
そんな言葉を背後に、ビニール袋を持った俺は、ケーキ屋さんを後にして花音の方へと急いで向かった。