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第19話 勝手な勘違い

 考えてから発せられた言葉は俺の背中に届く。

 人を騙すような、俺の様子を窺うような、そんな言葉だけが俺の心を包み込む。


 俺が今どんな顔をしているのかなんてわからない。

 浮かない顔をしているのか、それとも仏頂面をしているのか。そんなの鏡を見ているわけじゃないのだからわからない。


「なんでそんなこと聞くの?」


 不意に聞こえてくる声は、いつもの柔らかいもの。

 俺の様子を窺うような声色なんてなく、ただ純粋な言葉。


「気になっただけだよ。深い意味はない」

「そうなんだ」


 淡々とした会話は一瞬にして静寂に飲まれ、車のエンジン音が過ぎ去っていく。

 その車を追いかけるように尻目で背後を見やれば、顎に手を当てた西原が視界に入る。


 分かりやすく考え込んでんな。

 何も


 別に恨んじゃいない。

 あの廊下で坂間が俺の背中に罵倒を浴びせたことも、そんな坂間に西原が何も言わなかったことも。


 ちゃんと坂間の言葉は俺の耳に届いたさ。

『嫌なんだってさ!次からはやめろよな!』なんて言葉は今でも鮮明に残っている。

 俺の記憶の中に、坂間のあの叫びがずっと鳴り響いている。


 俺はあの行動に優しいという感情なんて混ぜていない。

 善意と認識しながら行動したわけじゃない。


 俺はただ、目の前の彼女を、幼馴染を――西原を助けたかっただけなんだ。


 ……でも、そうか……。

 他人から見たらあれはイキリになるんだな……。


 いやまぁそりゃそうか。

 身体から力が抜けた女性を横抱きした。それは見方を変えればお姫様抱っこをしているようにも見える。

 他にも抱き方はあったのになんでお姫様抱っこなんだって、周りからはそう見えるよな。


 ――西原もそう思ってんだろな。


 何も言わなかった……いや、言えなかったが正しいか。

 西原も坂間とを持っていたから否定できなかった。


 ちょっとぐらい恩があって、否定してくれたっていいだろうとトイレの中では思った……けど、そう考えたら嫌に腑に落ちる。


 せっかく今日築き上げた関係が、一瞬でなくなっていくような気がして心が痛い。

 でも、西原がそう思っているのなら仕方がなかった。


「バイバイ。また明日ね」


 毎日のように視界に入る2つの家にたどり着く。

 そして振り返れば、ほほ笑みを浮かべる西原は右手を上げ、小さく横に振ってくる。


 俺の気なんて知りもしないそのほほ笑みは、俺の俺の心を深くえぐった。


『なんでそんな顔ができるんだ?』って『なんでそうやっていつもの声が出るんだ?』って聞いてやりたい。

 けど、今の俺はポーカーフェイスを貫くことで精一杯だった。


「……おう」


 左手を上げながら言葉を返した俺は我が家の扉を開ける。


 それからは西原がどんな顔をしていたかなんて見ていない。

 言葉も返されなかったから今の心境なんて分かりやしない。


 ガチャッと扉を聞くのを背中に、靴を脱いでリビングへと向かった。

 そして水が流れるキッチンへと目を向ければ、


「おかえり〜」


 ここでも俺の気なんて知りもしない女性が溌溂と声をかけてくる。

 まぁこの人――母さんに察しろなんて言わない。


 というか察せれない。

 どこまでも鈍感で、人の感情に疎い人間なのだから。


「ただいま」


 カバンから弁当箱を取り出し、スポンジを握る母さんの元へと持っていく。

 さすれば、「開けて出しといてー」という声が耳に届くので、素直に指示に従う。


「あっ、そういえば今日ね?公園で迷子になってた子ども助けたのよ?」

「すごいじゃん」

「でしょでしょ〜。親御さんにすっごい感謝されちゃってね?嬉しかったのよ〜」

「よかったね」


 まるで子どものように自慢を披露してくる母さんは、スポンジを振り回しながら笑みを浮かべる。

 そんな母さんに、押し付けるように俺は弁当箱を渡す。


 言ってないのが悪いんだけど、今人助けのこと話されるのは少々気分が悪いな……。

 俺とて学校でのことを気にするなと言われても不可能だ。

 あの言葉はちゃんと傷つく。


 鼻からため息を吐く俺は、カバンを肩にかけたまま台所を後にする。

 拍子にチラッと母さんの顔を見てみるが……うん、分かってたよ。


 鼻歌を歌う母さんは身体を左右に振りながら洗い物を続行していた。

 やっぱりあの人は察し能力が低すぎる。

 隣でため息吐いたんだからちょっとぐらい気にしてくれ?


 なんて愚痴をリビングに残した俺は、階段を上がって2階にある自室へと向かった。



 太陽ひとつ入らない俺の部屋は相変わらず散らかっている。

 ピアノの楽譜が転がっていたり、サッカーボールやらスケボーやら本やらけん玉やら。

 服だけはちゃんとタンスに入れているのだが、物だけが地面を覆い尽くしている。


 そろそろカーテンを開けて換気をしたいところだが……まぁそれは無理か。


 わずかに空いている隙間に足を入れながら机へと向かい、椅子にカバンをかけてやる。

 そしてベッドに向かい、腰を下ろした。


「はぁ……」


 自然と溢れるデカデカとしたため息は宙を舞い、物が散らかる床へと姿を消す。


 母さんの人助け……ねぇ……。

 あれは明らかに善意だという自覚があった。

 言葉の節々から漏れ出す『私優し〜』が丸見えだったからな。


 でも、なんでかな。嫌な気はしないんだよ。

 坂間みたいにイキリだとは思わないし、西原みたいに嫌な気も起こさない。

 なんなら、心の底からすごいねと褒めてやりたいほどだ。


 ……でもまぁ、多分俺がおかしいのだろう。

 自分が人助けをしたから、逃げ道を探しているのだろう。

 イキリと言われても、この人だけは褒めてくれるなという逃げ道を見つけようとしている。


 現に、母さんにだけは褒められていた。

 転んで泣いている子どもがいたのなら抱っこして手当をしてやったり、道に迷っている他国の人の道案内をしてあげたり。

 その度に母さんは褒めてくれ『もっと色んな人を助けるのよ』と言い聞かせてきた。


 ……それは間違いだったのか?

 ふと嫌な考えが脳裏に過った。


 俺が生まれてから今まで、母さんが俺を騙していたのかもしれない。

 人助けは周りから嘲笑われることなのに、母さんは俺に嘘をついていたのかもしれない。

 もしそうだったら、一体俺は誰を信じればいいのだろう……。


 不意に訪れる空虚は、俺の脳内を騒ぎ立ててくる。

 隠していたなにかを押し出すように、溜まっていたなにかを吐かせるようにグルグルと回り始めた。


「あぁ……しんど、これ……」


 誰にも届かない言葉だけが俺の口から吐き出され、それ以外は堪えるようにグッと口を閉ざして枕に顔を押し当てる。


 あいつの身体に比べればこれぐらいどうということはない。

 そう自分に言い聞かせ、思考を止めた。

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