上履きから靴に履き替え、正門を出て校舎を振り返る。
もしかしたらとも思ったけれど、どこを見ても坂間くんの姿は見えず、安堵のため息をついた。
「手……痛い……」
未だにヒリヒリと痛む手のひらは赤く染まっていて、小ギザミに揺れている。
でも、この痛みに後悔なんてしていない。
なんならスッキリしているほどだ。
コツコツとローファーを鳴らしながら人通りの少ない路地に入る。
すると、背後から差し掛かる夕日が私の影を伸ばす。
私の大きくなった身体を褒めるように、私の行いを肯定するように。
瞬間、背後からは私以外の人影が伸びてくる。
慌てて警戒心をマックスにした私は避けるように石壁の方へとズレてスピードを落とす。
もしかしたら会社員かもしれないし、他の生徒かもしれない。その場合だとスピードを緩めた私を追い越すはずなんだけど……。
できれば追い抜いてくれることを願って何歩か進んでみるのだが、私の隣を通ることはなく、私の後ろについてくるばかり。
ここは勇気を振り絞って振り返るしかない……?いやでも怖いな……。
足音を聞く限り私と同じローファーだし、もし坂間くんだった場合はどうすればいいか分かんない……。
でも突然後ろから襲われる方がどうしようもないし……。
グッと握りこぶしを作った私はその場に立ち止まり、高まる鼓動を抑えるように深呼吸をする。
もし、後ろの人が坂間くんだった場合は全力で逃げる。
知らない人なら、会釈して歩き出す。
大方の行動パターンを頭に思い浮かべた私は勢いよく後ろを振り向き――
「あぇ……?」
思わず溢れてしまうのは拍子抜けの言葉。
身体に溜まっていた力が一瞬で抜けて、早まっていた鼓動が嫌に落ち着いていく。
なんでこんなに落ち着くのかも自分でも分からない。けれど、今だけは安心する。
『あなたでありがとう』と伝えたいほどに、心が満たされていく。
「おぉ。ここにいたのか」
ポケットに手を突っ込んだままの彼は、まるでこの状況を予想していたかのようにわざとらしく足を止めて言葉を返してくる。
「な、なんで……ここにいる、の?」
私よりも遥か先に教室を後にしたはずの彼――白崎は、さっきの坂間くんの言葉を気にしていないのか、はたまた聞こえていないのか、飄々とした表情を浮かべている。
けど、その表情が私の心を安心させてくれる。
今はちょっと動揺してるけど……。
「トイレ行ってたら遅くなってな」
「……ほんと?」
「嘘はつかねーよ」
「…………ほんとに?」
問い詰めるように目を細めてみるけど、表情ひとつとして変えない白崎は「ほんとだって」と言葉を返して歩き出す。
それに続くように私も足を動かした。
……と言っても、帰り道が一緒だから後ろを歩くしかないのだけれど。
それからは無言が続いて、たまに通る車が静寂をかき消す。それでもやっぱり静寂は訪れる。
だけれど、いつもなら感じるはずの気まずさはひとつとしてない。
「……ありがとうね」
静寂に紛れるように広がる私の言葉は何気ない一言だ。
ただの感謝に過ぎなくて、今日のお礼だけはちゃんと言わないとな、と思っただけ。
けど、初めて目を見開いた白崎は勢いよく振り返ってくる。
パクパクと口を開けては閉めて、まるで魚のように。
「な、なによ……」
思わず私も目を細めてしまったのだけれど、すぐに白崎は口を開いてくる。
「いや……うん。どういたしまして」
「え?なにか思った?」
「なんも思ってないよ」
いつものように言葉を返し、誤魔化すように表情を戻した白崎は正面を向く。
絶対なんか思ったよね?なんてことを思う私は首を傾げるけど、白崎がかけてきた言葉によって思考がシャットダウンされてしまう。
「坂間……だったっけか。あいつとはどういう関係なんだ?」
「関係……?」
どことなくいつもよりも気が沈んでいる白崎の声に、首を傾げたまま言葉を返す。
「体育の時楽しそうに見えたから」
「確かに楽しかった……けど、もう友達でもなんでもないよ」
「……はい?」
私の言葉に相当驚いたのだろう。
その場に立ち止まり、再度こちらを振り返ってくる白崎は訝しげに目を細めた。
もしかして、坂間くんが言ったあの言葉聞こえてなかった……?
だったら私としても嬉しいのだけれど……本当に?坂間くん結構大きな声で言ってたよ?
「まぁ……うん、私と坂間くんの関係は友達未満。それだけ」
一応聞こえていない前提で話を進めているけれど……これでいいよね?
心配を胸に抱える私なんて他所に、白崎は「ほーん」と言葉を返して再度歩き出す。
この感じだと本当に聞こえていなかったみたいだ。
……だからと言って、私が坂間くんのことを許すわけがないのだけれど。