パチッと目を開いた時は視界が白く、少し周りを見渡せばカーテンが閉められているのに気づく。
身体は無性に熱く、掛け布団が酷く蒸れていた。
なんでここにいるんだろ。
不意に落ちてくる言葉は私の記憶を彷徨い、途端に行き止まる。
私の視界が暗くなってしまったのは、白崎と言葉を交わしてから。
それまでは意気揚々と走っていて、高校生活で初めて出来た友達とのサッカーが無性に楽しくて、笑顔を向けられるのが嬉しくて、一心不乱にボールを蹴っていたはず。
身体の調子も良くて、ふらつきなんて感じずにずっと走れると思っていた。
でも、突然目眩に襲われて……頭がフラフラして……。
それからの記憶はなかった。
なんで私がベッドに寝転んでいるのかも、ここがどこなのかも、外で話しているのは誰なのかも分からなかった。
キーンという耳鳴りのせいでその声もまともに聞こえず、おもむろに身体を起こそうとすれば、後頭部に痛みが走る。
けれど、勢いに任せて身体を起こす私は、掛け布団を捲る。
相当汗をかいてたのだろう。
まるでお漏らしでもしたのかと疑うほどに長袖の体操服は湿っていて、掛け布団までもを濡らしている。
念の為、掛け布団を握って鼻に近づけ――
「やっと帰ったか……」
なんて言葉を呟く男子が、頭を掻きながらカーテンを捲った。
「……なにしてる?」
白いカッターシャツを身に纏う男子――白崎は、訝しげな目をしてこちらを見下ろしてくる。
慌てて掛け布団を隠すように背中へと持っていき、熱くなる顔を横に振った。
「汗で濡れただけだろ。気にすんな」
まるで私の意図を汲み取ったかのように鼻で息をついた白崎は言葉を返し、ベッドの横にある椅子に腰を下ろす。
「大丈夫か?」
「……うん」
コクッと頷きながら返事を返して視線を自分の太ももへと落とす。
なんで彼がここに居るかなんて、大体の予想はつく。
最後に倒れた場所は白崎の前。優しい彼のことだ。抱っこでもして私をここまではこんできてくれたのだろう。
そして白崎が開いたカーテンから垣間見える光景は、保健室そのもの。
保健室の先生にだけは事情を説明している。だから目が合っても慌てる素振りを見せないのだろう。
「授業は全部終わったけど、まだ休むか?」
「……うん」
いつものあの抑揚のない声音で、いつものあの冷淡な言葉で接してくる白崎なのに、どこか心地いい。
いつの間にか耳鳴りは収まっていて、優しい声と優しい言葉が頭にすんなりと入ってくる。
まるであの時の病室を彷彿とさせるようなこの光景は、黒歴史――ではなく、良い思い出として蘇ってきた。
私のことを気遣う様子なんてなく、ただ言いたいことを口にする白崎。
多分私の病状を知らなかっただけだと思う。
けど、それが心地いい。
無駄に悲しい顔をしないで、無駄に心配しないで、風邪を引いたレベルの言葉しかかけてこない。
それが嬉しい。
1人の女の子として察してくれるのが嬉しい。
「なんで身体のこと言わなかったんだ?」
深刻な顔をする白崎は、突然口を切ってきた。
思わず顔を上げてしまう私だけど、すぐに視線を落としてしまう。
だって、だって……だって――
「普通の高校生活を送りたかった……から……」
――ただ、それだけの理由だったんだ。
1人の女の子として察してくれるのが嬉しい。
それは、白崎だけに限った話じゃない。
他のみんなからも私のことを1人の女の子として見て、接して、笑い合って、言い合って。
ただそれだけの理由。ほんと、小さなことだったんだ。
「…………なるほどな」
少し黙り込んだ白崎は、自分なりの答えを出したのだろう。
どんな意味が込められているのかも分からないため息とともに、言葉を零した。
「…………」
「…………」
そして、沈黙が訪れる。
白崎も私の理由には触れづらいのだろう。
私だって誰かにこんな話をされたら触れづらい。
慰めればいいのか、それとも一緒に泣けばいいのかなんて分かんない。
変な言葉をかけてしまえば、帰って地雷を踏み、関係が悪くなる。
形は違えど、昔の私たちはそれを経験しているのだ。
だから言葉が出ない。いや、出せない。
彼は分からないけど、少なくとも私は出せない。
だって、これ以上関係を崩したくないのだから。
関係を戻したいのだから。
「――……ごめんね」
不意に溢れる言葉は意図していなく、白崎だけでなく私までもが目を開いてしまった。
「な、なにがだ……?」
珍しく動揺を見せる彼は謝られ慣れていないのか、キョロキョロと挙動不審に目を動かす。
もちろん、私もこんな真摯に謝ったことなんてない。
体育の時にボールが逸れてしまい、申し訳なさから謝った。
確かにその時も真摯に謝ったつもりではあるけれど……どちらかと言えば顔色を伺う謝罪。
お母さんの笑顔が崩れないように私が合わせないと、と思う感覚に似ていた。
でも、いま口から出てしまったのは正真正銘の心からの謝罪。
今朝から思っていた言葉が、自然と口から、心の底から思っている言葉が出てきたのだ。
「その……土曜日……」
「土曜日……?」
先程までの困惑が嘘かのように白崎の眉間にはシワが寄り、顎の下に手を当てて考え込んでしまう。
そんな光景に、私の言葉が無に帰すような、そんな感覚に陥ってしまった。
覚えていない……?つい先日のことだよ?
あんな辛そうな顔をして帰ったのに覚えてないの?
恥ずかしからなのか、はたまた怒りからなのか、顔に血が集まってくるのが分かる。
「なんで覚えて――」
感情に任せて身を乗り出そうとしたときだった。
シワを寄せたままの白崎がこちらを向き、首を傾げながら口を開く。
「――もしかして俺が先に帰ったことか?あれは俺が悪い。逆にごめん」
「……え?」
「もしかして違うのか……?」
「あっ、いや……その……あってるんだけど、私が他のものに目移りしちゃったから……」
「人間誰でも目移りするだろ。あれは俺が理不尽すぎた」
「そ、そうなの……?」
「そうだ。ほんとごめんな、先に帰って」
膝に手を置き、つむじをこちらに向けてくる白崎。
そんな初めて見る光景に、慌てて顔の前で手を振った私は「だ、大丈夫だから!」と頭を上げさせようとするのだけれど、一向に上げてくれない。
「ほんとすまん」
「大丈夫!もう十分伝わったから頭上げて!」
「ほんとか……?」
「ほんと!今日も私が倒れた時助けてくれたじゃん!」
「あれは目の前で倒れるからだろ……」
なんて、不審と心配が入り交じる表情をする白崎はやっと顔を上げてくれる。
そうすれば自ずと目が合い、せっかく全身に流れてくれた血がまた顔に集まってきてしまう。
慌ててふいっと視線を背けた私は背後にあった掛け布団を握り、口元へと持ってくる。
「……その、ありがとう……運んでくれて……」
「え、あ……おう……」
いつぞやに聞いた同じ言葉が私の耳に届く。
前はこの言葉で落胆していたはずなのに、今は嫌に耳まで熱い。
多分これは、白崎が顔を赤くしているからだ。うん!絶対そうだ!
自分に言い聞かせる私は、掛け布団をぎゅっと握り、顔全体を隠した。
「……イチャイチャしてないで元気ならさっさと帰りなさい」
「してないっすよ」
「いいからさっさと帰って。西原さんの着替えはそこにあるから」
カーテンを開いていく保健室の先生の声は、私の身体とは真逆の冷めきったもの。
だけど、そんな事言われたら顔あげれないじゃん!
コクコクと頷くだけで、言葉を返さない私は枕へと顔を埋める。
こんなのまた気絶しちゃうよ!!