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第14話 一時の感情で動いて、勝手に傷ついてしまう

 月曜日の朝、いつもはシャキッとしているお隣さんは、珍しくウトウトと頭を揺らしている。

 寝れなかったのだろうか?と心配になる反面、初めて見る光景に心が小躍りしてしまう。


「ここのルートを外して解くんだが、マイナスは退けるように」


 中学生で習うような数学を教える先生だけれど、頭から抜け落ちそうになっていたからありがたい。

 お隣さんからノートへと視線を戻した私は、ペンをを走らせて問題を解く。


 私の勉学は中学2年生からのもの。

 それまでも一応家庭教師っぽい人が病室で勉強を教えてくれていたのだけれど、勉強しかすることのなかった私にはあまり必要無かったと思う。


 現に、今では学年1位を張っているわけだし。

 だからまぁ、予習であるこの問題を一瞬で解き終わった私は白崎の方へと目を戻した。


 ……けど、休日のことがあったから正直気まずい。

 あの時見つけられていればもっと簡単に謝れたのだと思う。けど会えなかったからなぁ……。


 小さくため息を零した私は、ズシッとのしかかる憂愁を胸に視線を落とす。


 今朝、私は通学路で白崎と対面したら謝ろうと思っていた。

 なんなら家の前で待ち伏せして驚かそうとさえしていた。


 でも、こういう時に限って中々会えないのだ。

 いやまぁこうして隣の席にはいるんだけどさ?クラスには他の人も居るじゃん?もしかしたら言い合いになるかもしれないじゃん?

 そう考えたら2人きりで話したいなぁって思ったんだけど……これが物欲センサーってやつなの?


 チラッと隣を見れば、ウトウトと顔を揺らすのをやめて堂々と机に突っ伏している白崎が視界に入る。

 冷房が効いてるから相当気持ちよかったのだろう。

 こちらには顔を向けていないけど、ピクリとも動かない後頭部を見れば自ずと分かる。


「んじゃここを――」


 そう切り出したのは、チョークを教卓の上においた先生だった。

 生徒たちの方に顔を向け、目を動かす。

 そして標的を見つけたかのように標準を合わせ、


「――気持ちよく寝てる白崎。前に来て書け」


 パタンと教科書を畳んだ先生が教卓に手を着くと、釣られるように白崎の机からはシャーペンが転がり落ちる。

 けれど白崎が起きる気配なんて全くなく、なんなら微かに寝息すら聞こえてくる。


「おーい白崎」

「……スー」


 先生の言葉に、私だけにしか届かない寝息を返す白崎。

 ……仕方ない。


 そんな白崎に心のなかで呟く私は椅子を引き、床に落ちているシャーペンを拾ってそのまま白崎の腕をペンの尻で突く。


「起きて。当てられてるよ」

「ん……」


 耳打ちする私の言葉に、喉を鳴らす白崎はやっぱり机に突っ伏したまま。


「当てられてるよって」


 突く力を強めながら半袖を引っ張ってやれば、やっと目を覚まし、顔を上げた。


「なんだ……」


 掠れた声でこちらを向いてくる白崎は、心底機嫌が悪そうに眉間にシワを寄せている。だけど、特に動揺しない私は黒板を指差して状況を説明する。


「当てられてるよ。前に書きに行って?」

「……あぁ。サンキュ」


 そう呟いた白崎は立ち上がり、これまた眠たそうに体を揺らしながら黒板へと向かっていった。

 そんな後ろ姿を見ながら、白崎の机にシャーペンを置いて椅子を戻す。


 正直、答えを教えてあげても良かった。だけれど、多分杞憂で終わってしまうだろう。

 現に、チョークを手に取った白崎はスラスラと数字を記入している。


 今日は特別寝ていたけど、いつもの白崎は私以上に熱心に授業を聞いている……はず。

 もしかしたら頭の中では別のことを考えているのかもしれない。今の私だって他の事考えてるし。


「おっ、正解だな。んじゃ次こっちのも解いてみろ」

「はい」


 みんなの前に立っているからか、眠気なんて感じせない――いつもの抑揚のない――声で返事をした白崎はチョークの粉を落とす。

 そんな後ろ姿に、私は憂いを感じてしまった。


 この状況を良いように言えば、私だけにトーンの低い、感情の乗った声を聞かせてくれた。

 でも悪いように言えば、低い声は私に怒っているということの現れだとも言える。


 もし、後者が正解なのならば、一刻も早く謝らなければならない。

 一応土曜日には白崎の親と会うわけだし……。


「こっちも正解だな」


 赤いチョークで大きく円を描く先生は、粉のついてない手で白崎の頭をクシャクシャと揉みほぐすように撫でる。


「頭良いんだからちゃんと授業聞けよー?」

「はい」


 当の本人は嫌がる素振りなんてせず、先生の手に身を任せていた。

 そんな様子を見れば『機械みたいな人になってしまったな』と感じてしまう。


 声には抑揚がなく、されるがままにされて、何でもこなしてしまう。

 別にそんな白崎が嫌いなわけじゃない。

 けど、昔みたいに元気な白崎のほうが好きだ。

 今も昔も変わらず。


 ふとノートに視線を下ろした私は、ノートの最後のページの端をちぎり、右手でシャーペンを握る。


 誰かがいて話しかけれないのなら、文字にして呼び出せばいい。

 そう思った私は『休み時間、廊下に来て』とただ一言だけ紙に記した。


 私は思う。

 白崎から元気がなくなったのは、私のせいではないのか、と。


 この数年間白崎のことを見てないから、いつ感情を閉ざすようになったのかなんてわからない。

 けど、もし、あの病室でのことがきっかけで感情を閉ざすようになったのなら、私がどうにかしないといけないと思った。


 私なんかがどうするの?酷いことを言ったのは私なのに?なんて疑問が押し寄せてくるけれど、もし、白崎があの時のことを抱えているのならスッキリさせてあげたい。


 だからまずは休日のことを謝らなくてはならない。初めはそこからだ。


 白崎が帰ってくる前に素早く紙の端切れを折りたたんだ私は、白崎の机へと設置する。


 そして謝る言葉を考えるために思考の深水へと落ち……落ちて……あれ?謝るってどうやるんだっけ?


 かれこれ15年間。私は誰かと喧嘩して、謝ることなんて一度もなかった。

 確かに白崎とは喧嘩したけど……仲直りなんてしていない。


 親とも喧嘩をすることはなかったし、さっちゃんとも喧嘩はしたことがない。

 ……だから分からないのだ。

 どうやって謝れば良いのか、ただごめんと言えばいいのか、それとも別の言葉も必要なのかなんて分からない。


 ……一度紙を取って仕切り直そう。

 言葉すら考えれてないのに呼び出しても迷惑なだけだ。


 そう思って隣を見たときにはすでに白崎が立っており、私が置いた紙に視線を落とした――


「……ゴミか?」


 ――なんて言葉を口にする白崎は紙を手に取り、あっという間にクシャクシャに握りつぶしてしまう。

 思わず「あっ」と声を上げてしまうものの、慌てて口を手で覆った私はそっぽを向く。


 隣から聞こえてくるはずの椅子の音になんて意識を向けず、私はただ、顔に集まる怒りだけを押し殺そうとするのだ。


 ……ふーん?『ゴミ』ね?人の勇気を『ゴミ』扱いね?

 そんなことしちゃうんだ。人があなたのことを思って破り取った紙と、書いた文字を『ゴミ』呼ばわりしちゃうんだ。


 確かに開いて渡さなかった私も悪いかもしれないよ?けど……『ゴミ』……ね。そっか。『ゴミ』……か。


 不意に、顔に集まっていた怒りが静まり、無性に悲しさが溢れ出てきそうになってしまう。

 言葉が出てこなかったのだから、結果オーライなことぐらい理解している。

 けど、悲しい……というよりも、悔しかった。


 これまでの白崎の行動を今振り返ったらよく分かる。

 私を気にした様子なんて見せていないってことを。


 あの頃の後悔をしているのは自分だけ。

 自分だけが謝ろうとして、空振って、勝手に傷ついて……。

 ほんと……惨めだ。


 肘を机につき、腕にもたれ掛かるように頭を預けてノートに視線を落とす。

 一時の感情で動かないでよ……私のバカ。

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