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第10話 なんで話しかけてきた?

 休日。優雅なひと時が過ごせて、自由な時間が作れる。

 1日中ベッドに潜っていたって怒られることはなく、ゲームをしていたって怒られることはない最高の日。


 もちろん今日もその最高の日になろうとしていた。


『――ちょっとおつかい行ってきて』


 だが、母さんのそんな言葉で俺の至福のひと時は失われてしまったのだ。

 ベッドから引っ張り降ろされ、タンスから取り出した白いTシャツと黒のズボンを投げ渡され……。


 散々だと思わないか?

 日々の疲れを休日で癒やしたいんだ。

 俺だって疲れてるんだ!


 心の中で文句を並べながらも、当然逆らうことができなかった俺は炎天下の歩道を歩く。


「あっちぃ……」


 首筋には水滴が流れ、思わずそう口にしてしまうほど気温は高く、風ひとつとしてない。

 あたりに耳を傾けてみれば、俺と同じ感想を抱いている女性やら社会人やら。


 あまりの暑さに、目の前を歩く人影に隠れようとも考えたが、赤の他人にするのは流石にまずい。

 けれど極力暑さは凌ぎたいので、建物の影やら木陰やらを踏んで足早に歩く。


 そうしてたどり着いたのは、うちの県で一番大きいショッピングモール。

 スーパーマーケットはもちろん、靴屋や洋服店、ゲームセンターなど色んな店舗が詰め込まれている場所だ。


「涼し〜」


 誰かがそんな言葉を言うのに対し、俺は小さく頷く。

 首筋に残っていた汗が冷やされるのは思わず頬が緩んでしまうほどに気持ちよく、ここが天国だと感じてしまうほどに開放的になってしまう。


 白いタイルが貼られた通路をポーカーフェイスで歩く俺は、まず初めに洋服店に入った。


 なんでも『私の白い靴下が破けたから買ってきて』とのことらしいが、それぐらい自分で買え?

 なんで至福な時間を過ごす俺に頼むんだよ。サイズ会わなくても文句言うなよ?というか言わせないが。


 女性の服が並ぶ棚の端にある白い靴下を手に取り、籠を持つことなくそのままセルフレジへと向かう。

 籠を入れるのだろうくぼみに靴下を入れ、タッチパネルを操作すれば、俺が手に取った靴下の商品名が画面に写る。


 どういう仕組みで成り立っているのかはイマイチ分からん。

 まぁ考えたところで凡夫の俺が分かるわけもないんだが。


 会計を終え、小さい紙袋に靴下を投げ込み、洋服店を後にして次に向かうのは化粧品店。

 彼女と化粧品を見ている男性はチラホラと見られるものの、お客さんの殆どが女性。男子高校生1人では流石に入りづらい。


 いやまぁ今の時代、男性も化粧をするからなに食わぬ顔で入れば良いと思う。

 でも今回は母さんの化粧品を買いに来たのだ。


「はぁ……まじで許さねぇ……」


 思わず出てしまうため息とともに足を踏み出す俺は、重い気を保ちながら目当てのリップクリームを探す。


 瞬間、どこかから視線を感じた。

 その人物が男性なのか、女性なのか、はたまた店員さんなのかは分からないが、すっごい視線を感じた。


 だが、辺りを見渡すことはできなかった。

 なぜかって?んなもん化粧品店で挙動不審になってる男が居たら怖いだろ。


『なにか見たい商品があって来たんじゃないのか?』『ないのに入ってきた?もしかして女性狙い……?』なんてことを思われて警察を呼ばれても困る。


 だから極力辺りを見ることなく、目の前にある化粧品だけに目を向けてリップクリームに視線を落とした。


「できれば薄いやつ……だよな?」


 たくさんのリップクリームが並ぶ前で腰を屈めた俺は、思わず目を顰めてしまう。

 目の前には赤からピンクのリップクリームが並ぶのだが、その中にはラメの入ったものもあればナチュラルのものもある。


 生憎俺はリップクリームを付けたこともないし、母さんのを見たこともない。

 どこからが薄くて、どんなリップクリームを付けているのかなんて知りもしないのだ。


「薄いってピンクってことでいいのか……?それとも潤いがあるもの……?」


 色的に見れば赤よりもピンクの方が薄い。けど、潤い的に見れば赤もピンクもどっちでも良いし、なんならラメが入ってたって良い。


 ……え?これ息子に頼むお使いじゃないよね?

 自分のものは自分で買えって母さんに言ったほうが良いよな?

 うんそうしよう。絶対その方が良い。

 変な色買って帰るよりも自分で買わせたほうが絶対良い。


「うん」と自己解決した俺は頷き、腰を上げる。

 そしてすっかりと乾いた首を出口へと向けた。

 その時だった。


「――リップ……ね」


 突然隣から聞こえてくるのは、最近よく聞くあの声。

 約5年間話すこともなかったヤツの声が、忽然として聞こえてきたのだ。


 思わず肩を跳ねさせてしまった俺は、慌ててそちらに目を向ける。

 すると、前かがみになって眉を顰めるヤツ――西原が視界に入ったのだ。


「薄いやつ……ね」


 それも俺の独り言を聞いた状態で。


 まさかとは思うが、この店に入った時に感じたあの視線はこいつなんじゃ……?

 そんな考えが脳裏に過った瞬間、西原に釣られるように俺までもが眉間にシワを寄せてしまう。


「んだよ……」

「……べつに」


 視線を上げようとしない西原の口から出てくるのは、さっきから変わらない冷淡な言葉。

 こっちは見てんのにな?なんて言葉は口の中に留め、去ろうにも去れないこの状況で睨みだけを向けてやる。


 そうしてしばらくの沈黙が続いた後、相変わらず目を向けてくることのない西原は口を切った。


「……誰にあげるの」

「は?」


 計らずも出てしまった言葉は想像よりも大きかったらしく、周りからは冷ややかな目を向けられてしまう。

 慌てて頭を下げる俺は身を隠すように腰を屈め、声を潜めて言葉を紡ぐ。


「誰にもあげねーよ」

「……じゃあなんでリップなんて見てるの?」

「別にいいだろ……んなもん」

「ふーん……」


 納得のいかない言葉を零す西原は更にシワを寄せる。


 なんなんだよこいつ。

 突然現れたかと思えば勝手に質問しだして、勝手に不満になる。

 ……いや本当になんなんだ?


 俺までもが更にシワを寄せる中、さっさとこの状況を終わらせるためにリップクリームを手に取る。


「……ピンク色が好きなんだ」

「別に好きじゃねーよ」

「……ふーん」


 今度は訝しげな目でリップクリームを見やる西原からレジへと視線を向けた俺は、再度腰を上げて歩き出す。

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