ボンッと机にカバンを置き、椅子を引いて腰を下ろす。
黒板の上にある時計を見れば、朝の8時35分を指しており、生徒のほとんどが教室に居た。
もちろんその中には西原も含まれており、隣の席で優雅にスマホを眺めているのが尻目に見える。
そんな西原の様子を伺いながら、カバンの中から昨日借りたノートを取り出す。
そして自然な手つきで隣にノートを伸ばし、
「これ、ありがとう」
スマホは触ったままだったが、「ん……」と小さく頷いた西原は左手でノートを受け取った。
「…………」
「…………」
いやまぁ別に求めてないけどさ?会話なんて求めてないけどさ?
それでも俺の振り絞った勇気を受け取ってくれたっていいじゃん。せっかくありがとうって言ったのに。
なんて、不貞腐れる感情とともにカバンに視線を落とした俺は、筆箱やら自分のノートやらを取り出して机の中にいれる。
そうして訪れるこの2席の沈黙は、スマホに意識を向けてもなお気まずい。
やっぱりこういう時は俺から話しにいくのがいいのだろうか。
一応ノートを借りた、という話題もあるわけだし。
「ぁ……」
いや、うん。無理だな。
ノートの話題があったとしても話せる気がせん。
聞こえたか聞こえてないかも怪しい声に、咳払いで誤魔化した俺は頬杖をつく。
そして脳裏にちらつく病室での言葉をかき消すようにSNSにある文字に目を落とした。
でも文字の内容が頭に入ることはなく、HRの始まりを告げるチャイムだけが俺の身を包みこんだ。
その時、隣で西原が肩を跳ねさせたような気がしたが……多分見間違いだろう。
視線を落としていたスマホをカバンにしまい、前方の引き戸へと目を向けた。
「んじゃ始めるぞー」
教室に入ってきた教師のその声によって委員長が号令をかける。
そうして始まったHRは――
「んじゃ終わるぞー」
特に話すことがなかったのだろう。
一瞬にして終わりを告げたHRは、教卓から降りた教師が笑いを掻っ攫って幕を閉じた。
別に俺はこれが面白いとも思わないし、ニヤついてもいないのだが、どうやら隣のやつがどツボにはまったらしく、小ギザミに肩を震わせて口元を隠していた。
微かに「ふふっ」と聞こえてくるので、相当面白かったのだろう。
「西原さん笑ってる〜」
そんな言葉を西原の前の席の女子が口にする。
すると、ボフッと顔を赤くした西原はブンブンと首を横に振った。
「笑って……な、い」
けれど言葉の節々で笑みがこぼれていて、なんともわかりやすい。
「笑ってるじゃん〜」
「やめて……恥ずかしい」
「可愛いよ〜」
赤くなるばかりの頬を慌てて隠す西原に、女子生徒はこれみよがしにグイグイと責め立てる。
さすれば周りの人たちの注目も集めてしまい、等々机に突っ伏してしてしまう。
そんなツボに入るほどおもろかったか?なんて事も思ったが、当然本人になんて言えるわけもなく、尻目に見ていた西原から窓の外へと視線を移し、再度頬杖をつく。
「西原さんが笑うのって珍しいよね!」
「え、ちょ。どんなんだった?」
隣からは西原の元へと駆けつけてきた数名のクラスメイトの話し声が聞こえ、唯一見ていた女子生徒は自慢気に言葉を返している。
「言わないでよぉ……」
籠もった西原の声が俺の耳に届く。
別に聞く耳を立てているつもりなんてない。
できれば俺だって聞きたくないし、この耳を塞げれるのなら今すぐにでも塞ぎたい。
けれど、胸に襲いかかる謎の怒りがそれを阻止するのだ。
それがなんの怒りかなんてわからないし、知りたくもない。
だから俺は席を立ち、この出来事から目をそらすように教室を後にした。
♡ ♡
昔の私にこの光景を見せたら何と言うだろうか。
喜びを見せるだろうか。それとも怒りを見せるだろうか。
自分自身のことなのだけど、正直よくわからない。
いつの間にか居なくなった白崎の席にはセンター分けの男子が座り、笑った私の姿を一目見ようと顔を覗かせてくる。
もちろん今の顔は誰にも見せたくないので、腕の中に埋めて私は首を横に振った。
「ちょっとくらい見せてくれよー」
「私の特権だから見せませーん」
「なんで山口が反応するんだよ」
「西原さんは私のなんだからいいでしょ。ねぇ〜」
なんて言い合いが私の頭上で聞こえてくる。
当然、私は
「ほら〜。
「……西原さん。嫌ならちゃんと嫌って言っていいんだからな?こんなやつ俺がぶっ飛ばしてやるから」
「うわ、すぐ暴力振るおうとするの良くないよ」
「西原さんを守るためだから正当防衛だ」
山口さんとはプリントの交換でよく話していたけれど、坂間くんに関しては初めての会話。
そして初めての会話がこんな形になってしまった。
別に嫌だなんて思わない。
むしろ、今私は今年一番の笑顔を浮かべていると思う。
「ふふっ……」
「お?笑った?ちょっと顔を――」
「――ダメでーす私の許可を得てからにしてくださーい」
今頭上でなにが起こっているかなんて分からない。
けど、たまらなくこの状況が楽しいのだ。
中学の頃までは友達の1人も……は嘘か。小学校のあの時までは白崎が友達だったわけだし。
でも、こうして複数人に話しかけられるのは初めて。
私のことを奪い合ってる……と言っていいのか分からないけど、それでも私の事を話してくれている。
病気のことじゃなくて、可愛いという話題で。
それがたまらなく嬉しいのだ。心地いいのだ。
ここから友だちになれるかどうかなんて分からない。
「ほら、授業始まるんだから帰った帰った」
「うるせーな。次も来るからな」
「来ないでくださーい」
そんな言葉を最後に、白崎の椅子は音を立てて机の中へとしまわれた。
「絶対来るからな」と言い残した坂間くんは私の席から離れようとするが、私はゆっくりと顔を上げ――
「また来てくだ……さい」
慣れない誘いは、多分私の頬を赤く染めている。
無性に身体中が熱くなり、今すぐにでも顔を背けて腕の中に埋めたい。
でも、ここで逃げてしまったらダメだと思った。
高校生になって初めて話した異性。
そんな人と、今日で最後になんてなりたくなかった。
だから、これまでの人生で1番の勇気を振り絞って声をかけたのだ。
「おう!絶対来るからな!」
親指を立てて言葉を返してくれた坂間くんは嬉しそうにはにかんでいた。
きっと、私も同じような顔をしていると思う。
ほんのり痛みを感じる口角は、踵を返した坂間くんの背中を見続けた。
「本当にいいの?あんなこと言って」
「高校生活で初めて話した異性だから……」
「え、白崎くんと話してないの?」
「……話してない」
「あっそうなんだ。ノート貸してたからてっきり」
「山口さんも初めてだよ?この学校で初めて話した女の子」
話をそらすように山口さんの目を見る。
先程の余韻がまだ身体の中に残るけれど、山口さんだけならなんとかなりそうだ。
「ほんと!?え、めっちゃ嬉しいんだけど!」
「ほんとだよ。話してくれてありがとうね」
「すっごい畏まるじゃん〜。私達友達でしょ?」
「え、その……と、友達なの……?」
思わず訝しむ目を山口さんに向けてしまう。
だって、こんなにあっさりと友達ってできるものなの?
もっとこう……なんというか、段階を踏んで、徐々に距離を近づけていく、というのを想像していたんだけど……。
「逆に友達じゃないの?」
私と打って変わり、心底意外な目を向けてくる山口さんはズイッと顔を近づけてくる。
「と、友達でいいの?」
「当たり前じゃん。こんなに話してるのだからもう友達よ!」
「は、初めての友達だぁ……」
「えっ、まじ?」
「う、うん」
キョトンと目を開く山口さんに対して素直に頷く私なのだけれど、
「えー絶対嘘じゃん。こんなに可愛いのに」
「や、やめてよ。恥ずかしい……」
ニヨニヨと笑みを浮かべる山口さんから目をそらし、熱くなる顔をハタハタと仰ぎながら腕の中に顔を埋める。
「ほら可愛い〜」
「もう……」
チャイムが鳴り、私達の会話はそこで区切られる。
けれど、火照ったからだが冷めることはなく、そしてニヤつく頬が収まることはなかった。
「お?白崎どこ行ってたんだ?授業始まってるぞ」
「トイレ行ってました。すみません」
数学の先生がそう口にしたことで、そういえばと思った私は尻目に白崎のことを見やる。
すると、先程まで坂間くんが座っていた椅子を引き、憂鬱そうな顔で腰を下ろした。
若干濡れている前髪と袖を見るに、顔を洗ってきたのだろうか?
なんてことを思う私だけれど、気にしても仕方が無いと思い、すぐに視線をそらして黒板を見た。