情報が取得できない……って、なんだよ?
俺は、カーナビの画面を睨みつけながら、胸の中で怒鳴る。
スマートフォンも圏外で、ネットに接続することはもちろん、マップを見ることもできなかった。
「ったく、どうしろって言うんだよ!」
低くぼやいて、俺は思わずハンドルを軽く叩いた。
実家の母親から電話があったのは、昨日の夕方のことだった。
親戚にどうしても届けてほしいものがあるという。
「そんなの、宅配を頼めばいいじゃないか」
俺が返すと母親は、急ぐ上に、そこは直接荷物を届けてもらえないほど奥地なのだと言った。
そんな奥地に、俺だって行きたくなかったが、結局押し切られてしまったのだ。
そして今朝早く、実家へ立ち寄り荷物を受け取った俺は、車でその親戚の家へと向かった。
そこへ行くのは初めてだったし、その親戚に会うのも初めてだったが、カーナビのおかげでなんとか昼過ぎにはたどり着き、荷物を渡すことができた。
相手は、泊まって行けと言ってくれたのだが、俺はそれを断った。
親戚とはいえ、まったく知らない人の家に泊めてもらうのが気づまりだったこともある。
仕事はちょうど連休で、明日は自宅でゆっくりしたい、と思っていたこともあった。
それに、母親の話と違ってさほど奥地へ来たという印象がなかったのも、宿泊を断った理由の一つだった。この調子なら、今日中に自宅に戻れるだろうと思っていたのだ。
「この辺は、暗くなるのが早いし、街灯もないから、帰り道は真っ暗になって危険だよ。泊まって行きなさい」
それでも、相手は何度も言ってくれた。
今思えば、その厚意に甘えておけばよかったのだ。
だが、後悔してももう遅い。
来た道を戻るだけのはずが、どこでどう間違えたのか、道はどんどん細くなり、周囲は木々がうっそうと生い茂るばかりになって行った。
そしてとうとう、カーナビへの電波は途切れ、俺は携帯電話も通じない山中に取り残されてしまったのだ。
時刻はようやく五時を少し回ったところだった。
春先のこの季節、普通ならさすがにまだ明るいはずだったが、あたりは真っ暗でライトで照らさないと道が見えないほどだ。
前にも後ろにも、ただ細い道が続いているだけだった。
俺はハンドルに突っ伏して、昼間走った道を思い出そうとする。
せめて、親戚の家まで戻れれば、頭を下げてそこに一晩泊めてもらうこともできるし、道を教えてもらうこともできるだろう。
(……そういえば……)
しばらく考えたあと、俺はようやく道を間違えたとおぼしいポイントを思い出した。
カーナビは、ダメになる少し前から調子がおかしかった。
途中にあった二股の道をどちらか選ぶ時には、画面にノイズが走って音声も聞き取りにくかった。それでも、左と聞こえたのでそっちを選んだわけだが――考えてみれば、そのあたりから来た時と周囲の風景が違っていた気がする。
よし。あの道まで戻ろう。
俺は一人うなずき、車をスタートさせた。
しばらく戻ると、二股の道が見えて来た。
俺は道の手前で、一旦停止する。
カーナビは相変わらず沈黙したままだが、ここで間違えたのなら、向かって左に曲がるのが正解ってことだろう。
俺はゆっくりとそこを左折した。
そのまま、真っ直ぐに進み始める。
道は相変わらず細いままで、周囲にはただ木々が立ち並ぶばかりだ。
だが、しばらく進むと道が開けた。
立ち並ぶ木々の姿が消え、いくつか家が並んでいるのが見える。
道幅も、いくらか広くなっていた。
最初は、親戚の家のある集落にたどり着いたのだと思った。
なんとなく昼間見たのと雰囲気が違うのも、あたりが真っ暗になっているせいだと思った。
けれどすぐに俺は、奇妙なことに気づく。
どの家も、真っ暗なのだ。
スマホの時計は、六時前。
いくら山奥の集落とはいえ、明かりを消して眠るには早すぎる。
俺はブレーキをかけると、エンジンをかけたまま車から降りた。
周囲を、ゆっくりと見回す。
道路の両脇に並ぶ家は、三軒だった。
一軒はどう見ても物置のようだ。他の二軒に較べて小さく、窓もない。
俺が車を止めた場所のすぐ脇の家は、道路に面して庭と縁側があるそこそこ大きなものだった。
少し離れたもう一軒は商店らしく、広い入口の上に看板がかかっていた。
ただ、どれもぴったりと玄関などの扉は閉まっているようで、窓からは明かり一つ漏れていない。
それに、音も聞こえなかった。
俺は車をそのままに、一番近くの家に向かう。
声をかけようとして、玄関の引き戸のガラスが割れているのに気付いた。
どういうことだ……?
スマホのライトをつけてよく見れば、引き戸は桟から外れて、玄関と壁に立てかけられているだけなのがわかった。
おまけに、そこいら中に蜘蛛の巣が張っている。
「あの、すみません……!」
こんな所に人がいるわけがないと思いながらも、俺は声を張り上げた。
案の定、返る答えはない。
外れた引き戸と玄関の間から、中を照らしてみたが、真っ暗で玄関の三和土も上がり框も厚く埃が積もっているばかりだった。
(な、なんだ……ここは……)
心臓がバクバク言うのを抑えて俺は、もう一軒の商店らしい方に行ってみる。
けど、そっちも似たようなものだった。
近づいてみると看板は斜めになっていて、一部が剥がれかけていた。
玄関の扉は全部が板で出来たものだったが、すっかり破れて、扉の意味をなくしている。
商店の脇から上に続く道があって、その上にも家があるのか、黒い塊のような影がいくつか見えた。だが、どの家からも明かりは漏れておらず、音も聞こえない。
「うそ……だろう……?」
俺は、思わず呟いた。
その声が、妙に大きく響く。
俺は、正しい道に出るつもりで、また間違えてしまったのか?
俺は、震える足を踏みしめて車に戻ると、乗り込んだ。
カーナビは、相変わらず役に立たない。
しばらく考えたあと、もう今夜はここでじっとしているほかはないと結論した。
カーナビも、スマホのマップも役に立たない以上、ここがどこかなんてこと、知りようがない。
動いたところで、また妙なところに迷い込む可能性だってある。
幸い、ガソリンはまだ充分残っている。
むやみに動いて、燃料をムダにするよりは、ここでじっとしている方がマシだろう。
エンジンを切ると、急にしんとして、ふいに恐怖が襲いかかって来た。
俺は少しためらったあと、スマホの音楽を流す。
こっちも充電は満タンのはずだ。だから、音楽聞くぐらいなら、大丈夫。大丈夫だ。
俺は、自分にそう言い聞かせながら、ハンドルに顔を伏せた。
いつの間にか俺は、眠ってしまっていたらしい。
小鳥の囀る声に目覚めると、朝になっていた。
リピート再生にしてなかったからか、スマホの音楽は止まっている。
俺は、すっかり強張った体を伸ばしたくて、車から出た。
明るい光の下で見ると、そこは絵に描いたような廃村だった。
ゆうべ物置のようだと思った建物は、ほぼ半壊していたし、すぐ傍の家は縁側の雨戸が剥がれたりゆがんだりしている上に、庭は草と苔にびっしりとおおわれている。
商店らしい家も看板の上から草が生えていて、屋根も傾いていた。
俺は更に、その脇から上に続く道を昇って行く。
昨日見たとおり、そこには何軒かの家があったが、どれも屋根が傾き、扉は壊れ、窓ガラスは割れてひどいありさまだった。中には完全につぶれてしまっている家もある。
家々の裏手には、畑らしいものもあったが、どれも草ぼうぼうで見る影もない。
俺は一通り見て回ると、車に戻った。
まずは、カーナビだ。
エンジンをかけてスイッチを入れると、画面が明るくなった。
『現在地を表示します』
流暢な合成音声と共に、画面のマップに印がつく。
やれやれ。ようやく、動けそうだ。
俺は安堵の息をついて、カーナビに自宅の住所を告げる。
すると画面に、家までのルートが表示された。
シートベルトを締め直し、小さく息をつくと俺は、車を発進させた。
画面のルートに従って、そのまま直進して行く。
商店らしい家の前を通りしばらく行くと、完全に村を抜けた。
相変わらず道は狭くて、周囲の景色は木々がうっそうと並ぶものばかりだが、それでもナビが稼働しているのは心強い。
それに、昨日の帰り道と違って、時おり他の車とすれ違うようになった。
そのことも、俺を安堵させる。
考えてみれば、昨日の帰りは、まったく他の車を見かけなかったのだ。
三十分ほど走ると狭い道は終わりを告げ、バイパスらしい広い道へと合流した。
広い道に出てほどなくして、コンビニが見えて来た。
昨日は結局、夕食を食べていない。
空腹に耐えきれず、車を止めて俺はコンビニで弁当を買った。
車の中で弁当を食べながら、俺はふいに奇妙なことに気づいた。
カーナビが示した道が、あの廃村から直進だったことだ。
昨日、親戚の家に行く途中には、あんな村なんかなかった。
それはたしかだ。
なのに、帰りは村に入ったのとは反対の出入口から出た――ということになる。
(道を間違えたんだから、Uターンするのが普通だよな。それとも、たまたま反対側からも出られたってことなのか?)
俺は首をかしげて考える。
たしかにカーナビは、車で移動するのに最適なルートを選ぶようにプログラムされている。
こちらが特別に指定しなければ、一方通行だとか時間制限のある道は避けてルートを設定するし、最短の道を選ぶ。
だからあの時は、Uターンするよりも直進の方が近かったのかもしれない。
そこまで考えて、俺はすぐに肩をすくめた。
なんでもいい。とにかく、これで家に帰れるんだから。
弁当を食べ終えると、俺は改めて車をスタートさせた。
そこから俺のマンションまでは、一時間半ほどの距離だった。
途中、少しばかり道が混雑したこともあって、家に着いたのは昼前だった。
疲れ切っていた俺は、そのままベッドにころがり込むと、倒れるように眠りに落ちた。
後日。
俺は母親から、こんな話を聞かされた。
俺が荷物を届けに行った親戚の家は昔、別の場所にあったのだという。
それはごくごく小さな村だったが、やがて若者は仕事を求めて他の町に移って行き、残された人々も年老いて死んで、人口は徐々に減って行った。
そこで行政の指導のもと、他の村と合併ということになり、残った村人たちはそこを見捨てて隣村へと移り住んで行ったのだそうだ。
「もしかして、その前の村って、まだ残ってたりするのかな」
俺が、まさかと思って尋ねると、母親が電話の向こうでかぶりをふる気配があった。
「何年か前の台風の時、土砂崩れで村があったあたりは崩落して、今は何もないって話よ」
「そう……なんだ」
なぜとなく背筋が寒くなった俺に、母親は続ける。
「ただね。その村のあったあたりに行くと、たまに廃村に出くわすことがあるんですって。道に迷ったりして、気づくと壊れた家がたくさんある集落にたどり着くんだそうよ。中には、そのまま行方不明になった人もいるらしいわ」
怖いわねぇ……と吐息をつく母親に、俺は適当に相槌を打って、電話を切った。
まさか、俺が迷い込んだあの廃村が、それだったんだろうか。
もし朝になってもカーナビが起動しなかったら……俺は、あそこから戻って来られなかった?
まさか……まさか……なあ……。
真相については、たぶん、ちょっと検索してみればわかることなんだろう。
けど俺は、なんとなくイヤな感じがして、それについて調べられないまま、今に至っている。