今ではもう使われていない道をたどった先に、その建物はあった。
鉄とコンクリートで造られた、四階建ての古い建物で、一階の入り口前には広い駐車場がある。
駐車場は草が伸び放題で、その間から錆びついてもう動かないだろうトラックが二台ほど覗いている。
建物の中には、埃をかぶって動かなくなったベルトコンベヤーや、錆びついたプレス機、天井から吊るされた巨大な鍋やフックなどが、今も残されたままだった。
一階から二階に向かう階段は鉄製で、これもまたすっかり錆びてしまっている。
奥にはエレベーターもあるようだが、その扉は開かないだろうと思われた。
あたりはしんと静まり返り、聞こえるのは鳥たちのさえずる声ばかりだった。
――と。
唯一、建物内で動いていた四階の壁にかかった時計が、八時を指した。
その途端。
建物内に、けたたましいベルの音が鳴り響く。
同時に、女性の声のアナウンスがかかった。
「始業の時間となりました。従業員のみなさまは、速やかに所定の位置に着き、本日割り当てられた作業を開始して下さい。繰り返します。始業の時間となりました……」
アナウンスは、同じ言葉を二回繰り返すと終わる。
同時に、建物内のあちこちから、さまざまな動力音が聞こえ始めた。
もちろん、全てのものが動いていたわけではない。
けれど、一部のベルトコンベヤーやプレス機、鎖で吊るされた鍋やフックなど、動いているものもある。
ガタガタ、ピシピシ、ガンガンと、それはどこか不穏な音を立てながら動く。
とはいえ、何かが造られているわけではない。
ベルトコンベヤーの上に乗っているのは埃と錆だけだったし、プレス機はただそんなベルトコンベヤーの上を叩いているだけだ。
何も入っていない鉄の鍋は、巨大な鉄のミキサーで掻き混ぜられ、ベルトコンベヤーの上に傾けられる。
建物の四階の一画には、『管理室』と看板が掲げられた部屋があった。
錆びついて壊れ、半開きのドアの向こうには、スチールの机と椅子が整然と並べられている。
埃まみれの机の上には、四角くて巨大なコンピューターのディスプレイとキーボード、本体のセットが据えられていた。
その部屋の一番奥、一番大きな机の傍に、それはいた。
人間の子供程度の大きさの、マネキンめいた人型のもの。
かつてこの建物――この工場に配置されていた、作業管理用ロボットである。
すっかり薄汚れ、かつては白かったボディは灰色と化し、その動きもおぼつかない。
けれど、ロボットは稼働していた。
「本日ノ稼働率五十パーセント。イマヒトツ、稼働率ガヨクアリマセン。原因ハ、アチコチ、止マッテイルれーんガアルセイデスネ」
カチカチと、青い目を光らせながら、ロボットは呟く。
「止マッテイルノハ……」
更に青い目が、明滅を繰り返した。
工場内の機械の情報は全て、このロボットに連動して集まって来るようになっている。
つまり、ロボットにはどこが動いていてどこが止まっているのかが、わかるのだった。
青い目の明滅が停止すると、ロボットは再び呟く。
「止マッテイルれーんハ、ドレモ故障個所ノ修理ガ行ワレテイナイヨウデス。修理依頼ヲ出シテ、早急ニ直シテモラワナイト、イケマセンネ」
そして、おぼつかない足取りで机の傍を離れると、別の机の方へと向かった。昨日も出した修理依頼を出すために。
やがて夕方の五時になると、建物内に朝と同じくベルの音が鳴り響いた。
「終業の時間となりました。従業員のみなさまは、速やかに作業を終えて、帰宅して下さい。なお、許可なく残業することは、労働基準法第一万四百四十四条三の三項にて禁止されています。残業が必要な従業員は、管理部門へ申請し、許可を得るようお願いします。繰り返します。終業の時間となりました……」
女性の声でアナウンスが二回繰り返されて終わる。
同時に動いていた機械が止まり、あたりはふいに静かになった。
ちなみにこの建物では、他にも昼の十二時と一時に、休憩開始と終わりのベルと放送が入る。
建物内に動くものがなくなり、稼働音も消えると、あたりの音がふいに大きく響き始める。
周囲を渡って行く風の音や、鳥のさえずり、羽音。そして小さな虫や獣があたりを走り抜けて行く音などが。
四階にある時計は、その間も時を刻む。
けれど、同じ壁に取り付けられたデジタルのカレンダーは止まったままだ。
『3044/04/13』
カレンダーには、そう刻まれている。
それは、ちょうど百年前の日付だった。
その時代、一部では一度の充電で百年近く持つというバッテリーが発明され、もてはやされたことがあった。
自動車だったり、携帯電話やパソコンだったりに、そのバッテリーがつけられ、「毎日の充電からの解放だ」と騒がれたりした。
だが、そうしたバッテリーには不具合も多く、発明されて十年も経つころには廃れ、少なくとも自動車や携帯電話やパソコンのバッテリーにはそれ以前と同じ、頻回に充電を要するものがつけられるようになった。
だが当然、そう簡単に元に戻せないものもある。
この工場も、そうだったのだろう。
工場内の機器や管理ロボットなどに、新発明のバッテリーがつけられたまま稼働を続け、やがてなんらかの理由で放置された……。
あたりは丈高い草におおわれ、建物の屋根は赤く錆びついている。
薄汚れ、ところどころに大きな亀裂の入る建物の間からも植物が生え、近くの道路が使われなくなったことで、建物自体も忘れ去られてしまった。
けれど一部の機械と管理ロボットは、今日も昔と変わらず働き続けている。
その営みは、おそらくバッテリーの充電が尽きるまで続くのだろう。
明日もあさっても、その先も――。