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第5話 デパート廃墟

 案内されるまま中に足を踏み入れて、私は思わず息を飲んだ。

 そこにひろがっていたのは、驚くほどに広々とした空間だった。

 天井は吹き抜けになっていて、外の光を部屋いっぱいに取り込んでいる。

 だからこそ、その場所の寂れようもまた、痛々しいほどあらわになっていたのかもしれない。

「ここはかつて、『デパート』と呼ばれた商業施設の跡地です」

 案内人の声が、妙に大きくうつろに響く。

「このエントランスホールでは、多くの人々が行き交い、さまざまな催しが行われたりしました」

 その説明にしたがって、私同様に中に入って来た者たちが、あたりを見回す。

 私もまた改めて、周囲に視線を巡らせた。

 クリーム色の壁にはいくつものひびが入り、そこから植物の蔓が這い出ていた。

 光の中を埃が舞い、床には白くそれらが降り積もっている。

 中央には丸い水盤を持つ枯れた噴水があって、頭上からの光に包まれて大きく翼を広げた天使象が、奇妙に神々しさを感じさせていた。

 ホールは円形に造られていて、奥には二つ並んだ階段が見える。

 いや、よく見ればそれは、今はもう錆びついて動かなくなったエスカレーターだ。

 その左奥には二つの扉が見えた。こちらは、エレベーターか。

 私たちは、案内人の先導で、ただの階段と化したエスカレーターを昇って行く。

 それにしても……と、私は足を動かしながら、考えた。

 『二十世紀廃墟ツアー』に、こんなに参加者がいるなんて……と。

 とある旅行社が企画したこのツアーは、二十世紀に放置されたまま廃墟となった場所を観光するもので、参加者は私を含めて二十名だった。

 廃墟、それも二百年も前のものを見たがる人なんて、さほどいないだろうと思いつつ申し込んだ私の予想に反して、案外物好きが多かったってことだろうか。

 とはいえ、これが本当に二十世紀から残っているものかどうかは、怪しいと私は思っているけれど。

 だって、二百年も前の建物が、この地震の多い国で、こんなに綺麗な状態で残っているはずがない。

 過去の建物を模して造られたレプリカか、あるいはどこかの企業がある程度管理して手を入れている偽廃墟なんじゃないかと思っている。

 もっとも、二十世紀の雰囲気を満喫できて、廃墟が楽しめるなら、それはそれでかまわないとは、私は思うけれど。


 二階は、壁に沿って円形に配置された通路に沿って、店が並ぶように設計されていた。

 もちろん、店舗スペースの中は何もなく、がらんとしている。

 ただ、ディスプレイ用の棚やマネキンなんかが、ところどころに取り残されていて、なんとはない寂寥感を、私たちに感じさせた。

 壁や天井から下がったプレートには、店名らしきものが書かれている。

「ここは、なんのお店だったのかしら」

「古い記録映像で見たことがあるわ。たぶん、帽子屋よ」

「こっちはおそらく、アクセサリーだな」

 参加者たちが、小声でやりとりしているのが聞こえた。

 案内人を先頭に二階を一周すると、私たちは三階、四階と昇って行く。

 案内人によれば、各階のフロアはそれぞれ、服飾だとか文具だとかいうように、コンテンツで分けられていたのだそうだ。

 また、三階と四階は基本的には二階と同じ造りになっている。

 だが、五階は少し違っていた。

 店舗スペースを区切る壁がなく、全体が一つのフロアといった感じで、一階のエントランスホールと似通っている。

「ここには、お店はなかったんですか?」

 私が尋ねると、案内人はうなずいた。

「ここは催事場と言って、月ごとだったり季節ごとだったりで、違う商品が置かれました。絵や写真などの展示会が行われることも、あったんですよ」

 そして彼女は、私たちを奥の通路へと誘う。

 そこには再び店舗スペースが並んでいた。

 ただ今までと違うのは、入口にのれんが掛けられていたり、看板が残っていることだ。

「こちらは飲食店ばかりが並ぶエリアで、十年ほど前までは、実際に営業を続けていたお店もありました」

 案内人の言葉に、私は思わず目を見張る。

「ああ、たしか違法営業と違法居住で逮捕者が出ましたよね」

 参加者の一人が言った。

「はい。ここのような建物は、基本的には持ち主の許可がなければ立ち入り禁止ですし、危険区域に指定されていることが多いので、営業したり住んだりはできません」

 案内人がうなずいて、続ける。

「こちらのデパート廃墟は、現在はこのツアーのために我が社が維持管理を行っていますので、危険区域の指定からははずされています。ただ十年前はそうではなく……通常は、そういう場所に入り込んでも注意喚起で終わるらしいのですが、その人たちは何度注意喚起されても立ち退こうとしなかったらしいです。それで、逮捕されてしまったのだとか」

 そんな人たちがいたのか……と、説明を聞いて私は驚いた。

 その人たちはなぜ、こんな所に住んで、飲食店をやってたんだろう。

 そもそも、食べに来る人だっていなかったんじゃないのか。

 まさか、二百年前に店をやってた人の子孫とか?

 バカバカしい推測が、脳裏をよぎる。

 だが私は、小さく肩をすくめて考えるのをやめた。

 考えてみたところで、真相を知ることはできないのだ。

 その時、案内人がお昼の用意ができていると、私たちを通路の一番奥の店舗へと導いた。


 その店舗は、『ファミリーレストラン』というやつのようだった。

 他の店舗スペースと違って、床や天井などに埃はなく、長方形のテーブルとそれを挟んで向い合せに配置されたソファのセットが整然と並べられている。

 奥にはカウンターがあって、そこには旅行会社のスタッフらしい男女が四人、詰めていた。

 廃墟の中の店舗で実際に食事ができる、というのがこのツアーの目玉の一つだ。

 私ももちろん、楽しみにしていた。

 壁はデパート内の他の場所と同じく、いくつもひびが入って、そこから植物が蔓や葉を伸ばしている。さすがに蜘蛛の巣などはないけれど、廃墟好きにはたまらない雰囲気だ。

 好きな席を選んでいいということだったので、私は窓際の隅に腰を下ろした。

 窓にも内側と外側の両方から植物の蔓が伸び、端の方が苔むしている。

 ただ、ガラスの一部はきれいに拭かれていて、外を眺めることができた。

 このあたりはきっと、旅行会社の人たちがやったことだろう。

 カウンターの奥にいた男女が、昼食のセットを運んで来てくれる。

 メニューはその時々によって違うらしいが、今日のは『ハンバーグセット』だった。

 当時、このお店で本当に出されていたメニューだというのがウリなので、私はワクワクとテーブルに置かれたそれを眺める。

 ふっくらした楕円形のハンバーグにはデミグラスソースがたっぷり掛けられていて、付け合わせは一口大に切ったジャガイモとニンジン、それにパセリだ。

 他には小さな器に入れられたミモザサラダと、パン、それにコーヒーがついている。

「すごい、ほんものだ……!」

「ハンバーグって、こんな味なのね」

「野菜がやわらかくて、美味しいね」

 あちこちのテーブルから、感嘆の声が上がる。

 私もさっそく、ハンバーグを一切れ口に入れた。

 軽く噛んだだけでそれは簡単に砕け、口の中にジューシーで濃厚な味が広がる。

 美味しい……。

 私は思わず、深い吐息をついた。


 今の時代、ホンモノの料理を食べられる機会は、多くない。

 普段私たちが口にするのは、いわゆるレーションだ。

 一日に必要なエネルギーと栄養素を接種するための、固形物。

 一説によると、本来は同じような成分を持つ水でもいいのだが、それだと口や歯、内臓の機能が低下するとの研究結果が出て、そこで適度な固さを持つ固形物となったそうだ。

 レーションにはさまざまな味のものがあって、もちろんハンバーグや野菜の味のものもある。

 なので、味覚上だけならば私も、何度もハンバーグも野菜もサラダもパンも食べたことがあった。

 また、それがどんな形や色をしているのかも、私たちは写真や動画などを見て知っている。

 それは、ここにいる他の人たちにしても、同様だっただろう。

 けれど、本物は。

 食用の家畜も野菜も、今はどこの国も限られた地域の限られた場所でしか作られていない。

 気候の変動や相次ぐ自然災害、疫病や戦争によって、人の住める地域は極端に減った。更に農作物を作ったり食用の家畜を育てたりできる土地は、もっと少なくなった。

 それでも、日本はおそらくまだマシな方だったのだろう。

 多発する地震と自然災害でずいぶんと地形が変わったというが、その一方ではかつて山だった所が平野になったりしたおかげで、昔よりも輸入に頼る分が減っているらしい。

 少なくとも、今目の前に出された料理のうち、パンとコーヒー以外は国産の食材を使っているのではないかと思う。

 本物の料理を食べられる、ということをもっと前面に押し出せば、このツアーはもっと参加者が増える気がするのだが――旅行会社はそれよりも、廃墟の観光の方に力を入れているようだ。

 もっとも、供給できる料理の量がさほど多くないのかもしれないが。


 ともあれ。

 本物の料理は、過去の文献で見たとおり、目と舌と香りで味わうものだと実感しつつ満足のうちに食べ終えた。

 最後に香り高いコーヒーを飲み干して、私たちはそれぞれに席を立つ。

 再び通路を戻り、私たちは案内人に導かれるままに、スタート地点のエントランスホールへとたどり着いた。

 これでこのデパート廃墟の観光は、終わりだ。

 私は最後に、エントランスの中央の枯れた噴水の傍に立ち、ゆっくりとあたりを見回した。

 目を閉じて、二百年前のここの様子を想像してみる。

 床も壁もピカピカで、温かな光にあふれていて。

 たくさんの人が――大人や子供、男性、女性、老人、いろんな人が、一人で、時には二人で、あるいは数人で連れ立って、行き交っていて。

 誰もが笑顔で、誰もが楽しそうで、にぎやかな声と音楽で一杯で。

 希望と幸福に満ちた場所。

 私は、そっと目を開ける。

 目の前に広がるのは、ひびだらけの汚れた壁と床に囲まれた、無人の場所だ。

 過去の人々の幸福な夢が眠る場所。

 私はもう一度周囲に視線を巡らせると、案内人に導かれて外に出て行く参加者たちのあとに続いたのだった――。

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