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第3話 病院廃墟

 玄関のドアを開けると、つと消毒薬のような匂いが鼻をついた。

 祖父が亡くなってから三年。ずっと閉め切ったままだったのだから、これもしかたがないんだろう。

 そんなことを思いながら私は、中へと足を踏み入れる。

 広々とした待合室は誰もいなくて、ガランとしていた。

 床にも、整然と並べられた背もたれのないソファにも、薄く埃が積もっている。

 待合室の一画には、細長いカウンターのある受付があったが、そこもやはり埃が積もっていた。

 そこは、かつて祖父が院長を務める眼科医院だった。

 祖父は、この街では腕のいい眼科医として知られていて、毎日大勢の患者が詰めかけていたものだ。

 だがその祖父も、もういない。

 病院は誰も継ぐ者がいなくて、その上、父とその兄弟たちの間で祖父の遺産の分配のための折り合いがつかず、結果放置される形となっていた。

 それがようやく片付いたのが、この春のこと。

 もっとも父は、自分でここをどうにかするつもりはなくって、私に振って来たのだ。

「仕事もせずに日がな一日パソコンに向かってるだけなら、病院のかたづけぐらいやってくれ」

 というのが、父の言い分だ。

 昭和生まれの父には、私がパソコンに向かってやっているのが『仕事』だということが、どうにも理解されていないようだ。

 だいたい、母が死んだあと、家事を一手に引き受けているのが誰なのかとか、少しは考えてほしいものだ。

 とはいえ私も、任されたことを放置できる性格ではなかった。

 というわけで、今日、ここに来たのだが――。

「どうせ誰もいないなら、もっと盛大に『廃墟』! って感じになってればいいのに」

 私は、あたりを見回しながら呟く。

 そしたら、仕事にも使えるのに――なんて。

 私の仕事は、『廃墟クリエイター』。

 いや、もともとは趣味で廃墟の写真を撮ったり、それを元にイラストを描いたりしてネット上で公開していただけなのだ。

 ところが、いつからかその写真やイラストを自分のところで使いたいという会社や個人が現れ、そのうちオリジナルの廃墟イラストを描いてくれないかという人たちが現れ、気がついたら私は廃墟を専門に描くことで知られる『廃墟クリエイター』となっていたというわけだ。

(まあ、病院の廃墟といっても、眼科じゃね……)

 胸に呟き、私は肩をすくめて待合室の奥にある、検査室へと入って行った。

 そこには、いまだに検査用の器具類がいくつか残されている。

 壁には、目の悪い人ならおなじみの、一部が欠けた円やら数字やらあいうえおやらが書かれた視力検査用の紙が貼られ、そこからかなり離れた位置の床には足の形の印がつけられていた。

 その隣には、元は白かったはずの大きな機械が置かれている。

 これはたしか、眼圧を計るためのものだ。その隣のは、目のピントを計るためのもの。

 どれもこれもすっかり黄ばんでいる上に、埃が積もって、かなり古いものであることと長らく使われていないのだということを教えていた。

 ちなみに、これらの検査用器具類は、どれも古すぎて売ることすらできないらしい。

 当然のことだが、医療用の機器はたとえ眼科であっても日々進化していて、最近のものはだいたいがパソコンとリンクして使える上に、精度も上がっているらしい。

 一方、ここにある器具類は、パソコンとリンクするなんて無理なのだそうだ。

 かといって、ゴミとして捨てるにしても、お金がかかる。

 だから、今まで放置されていた――というわけなのだけど……。

(捨てるしかないわよね。使えないものを取って置いたってしかたがないんだし……)

 私は胸に呟いて、溜息をついた。

 不要なものを捨てて中を掃除して、父としてはこれから病院をやりたい人に貸せればいいと考えているらしい。

 たしかに、建て直して普通の家にするのはお金がかかりすぎるだろうし、家賃収入があれば父も定年退職後も安泰だろうから、それはそれで悪くはないと思う。

 思うけど――貸すまでの世話を私にしろというのは、間違っている気がするなあ……。

 検査室の奥は、診察室だ。

 机と椅子と、ここにもいくつかの計測器やら大きな天眼鏡やらが置かれている。

 机と椅子は、祖父が医師として使っていたものだ。

(そういえば……私、おじいちゃんに診てもらったことって、ないなあ……)

 机の上に敷かれた透明のガラスとその間に残されたままのメモを見やって、私はふと思う。

 今でこそ、すっかりメガネとコンタクトレンズのお世話になっている私だけれど、子供のころはとても目が良くて、眼科にかかったことがなかったのだ。

 最初に裸眼での見えにくさを感じたのは、大学を卒業するころのことで、就職の際の筆記テストで見えなかったら困ると、メガネを作った。

 そのあとは転がり落ちるように視力が悪化して行き、『廃墟クリエイター』と呼ばれるようになったころには、しっかりコンタクトレンズがなければ生活できない身となっていた。

 けれど、そうなっても祖父に診察してもらうことはなかった。

 というのも、祖父の医院ではコンタクトレンズを扱っていなかったためだ。

 それに、そのころには祖父とは疎遠になっていて、もしコンタクトを扱っていたとしても、ここで診察してもらうことはなかったと思う。

 ちなみに、祖父と疎遠になった理由は、小学校を卒業するころに、たまたま祖父が父と私について話しているのを聞いてしまったからだ。

 祖父は、私が男ではなかったことが、不満だったらしい。

 父に、私にとっては従弟になる男の子を養子にして家を継がせるように勧めていた。

 病弱だった母は、私を産んだあと、二人目を産むのは無理だと医師から言われ、妊娠しないようにしていたそうだ。なので私には兄弟がおらず、父の子供は女である私一人だった。つまり、我が家の跡継ぎは私だということだ。

 平成に生まれ育った私には今一つピンと来ない話だったけど、昔人間の祖父にとっては女が家を継ぐなんて、考えられないことだったらしい。

 そのことを知った時、私はけっこうショックだった。

 休日に遊びに行くと、祖父はいつも笑顔で迎えてくれて、とても大事にしてくれていたから――少なくともそれまでは、私は祖父を大好きだったのだ。

 なのに、祖父は私が男でないからダメだという。

 性格的な欠点だとか、学校の成績が悪いとかなら、努力すればなんとかなる。

 けれど、性別なんてどうにもならない。

 ましてや、私自身は自分が女であることをごく普通に受け入れて育っていたから、なぜ女だったらダメなのか、混乱するしかなかった。

 救いだったのは、父がその勧めを断り、「女の跡継ぎがダメだとか、今どき古いんだよ、オヤジは」と祖父をいさめたことだった。

 それにはホッとしたものの、祖父に対するわだかまりはその後も解けず――以後、私は両親に誘われても祖父のもとに遊びに行くことはなくなった。


 診察室の奥の扉を抜けて、私は従業員用の休憩室へ向かう。

 6畳ぐらいの部屋に長方形のテーブルと椅子が何脚か置かれ、奥にはガスレンジと流し台、冷蔵庫と食器棚が据え付けられていた。

 どれもかなり古いものばかりだ。

 それらを見回しながら、私は少しだけ懐かしい気分になる。

 子供のころ、遊びに来た時にはよく、ここでいろんなお菓子を食べさせてもらったからだ。

 当時は看護師さんも大勢いて、お昼時とかはこの部屋もずいぶんと賑やかだったっけ。

 父の話だと、祖父が亡くなる前ごろは、看護師さんの数も減って、ここを使う人はほとんどいなかったみたいだけど。

 私は室内を横切り、冷蔵庫のドアを開けてみる。

 当然中は電気も通ってなくて、からっぽだ。

 ここにあるものも、業者を雇って捨ててもらうしかないだろう。

 病院をやりたい人に貸すにしても、今どきこんな古い流しや冷蔵庫を使いたい人なんて、いるとは思えない。

(かなり手間とお金がかかる話よね……。いっそ、売ってしまえばいいのに)

 あたりを見回し、私はふと思う。

 そりゃ、家賃収入の方が継続的にお金が入って来るから、父にとってはいいんだろうけど……。

(一度誰かにそのあたりを相談して、見積もりとか出してもらった方がいいのかも)

 私は改めてそう考えると、脳裏に不動産業に従事している知り合いを思い浮かべた。

 彼に相談するにしろ、父と話すにしろ、資料は必要だ。

 バッグから取り出したスマホで、私は室内の写真を撮る。

 そして再び、診察室の方へと足を進めた――。

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